33章 神の回復のビジョンと契約の確かさ

おはようございます。コロナ禍にあって社会の回復を語る時に、どうしても表面的な経済活動の回復に目が向かうところです。しかし、様々な指導者とその国の抱える課題を考えると、同時に人間性の回復がもたらされますように、と深く祈らざるを得ません。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.全イスラエルの回復の預言

この時まだエレミヤは、監視の庭に閉じ込められていました。エルサレムには、餓えと疫病が広がり、バビロンの軍隊が、エルサレムの城壁を攻撃、エルサレムの陥落は秒読みの段階にありました。そこにイスラエル回復のメッセージが与えられるのです。

そもそも、エレミヤが牢に閉じ込められたのは、降伏を勧める預言のためでした。バビロンは神の懲らしめの鞭であり、この懲らしめに屈することによって民族再生の道が開かれることを勧めたためです。しかし、イスラエルには神風信仰があります。かつてアッシリヤの攻撃から奇跡的に救い出されたヒゼキヤ時代のエピソードを人々は忘れなかったのです(2列王18,19)。「今度もまた」というわけです。しかし、エルサレムを滅ぼすことは神の意思であり、起死回生の一発はないとされます(5節)。ただ、滅ぼされたイスラエルは再び回復されるのです。しかも、エレミヤの時代から1世紀も昔に滅びてしまったイスラエル北王国も合わせて回復されるのです(7節)。この預言は、70年間のバビロン捕囚がまだ始まる前になされました。既に滅びてしまった北王国、これから70年の捕囚の苦難を辿る南王国、その中間の時代に生きたエレミヤが、完全なイスラエルの回復を語るなど、驚くべきことです。まさにそれは彼にとって「理解を超えた大いなること(3節)」であり、彼は神のことばを託された預言者でした。人には思い描けない、神のビジョンというものがあるのです。そのようなものがあるという意識を持ちたいところでしょう。

2.ダビデ王家とレビ系祭司の回復

33章後半、14節からは、ギリシャ語訳の七十人訳聖書にはない部分なので、エレミヤの著作性が疑われている部分です。しかし内容的には前半を補足する、ダビデ王家やレビ系祭司の回復という具体的なメッセージとなっています。

ダビデ王家の回復については、ダビデ契約をなぞる形で語られています(2サムエル7:12-16)。またレビ系祭司の回復については、ピネハスの契約を踏まえて語られています(民数25:11-13)。大切なのは、イスラエルの回復は、王制国家の回復のみならず、その神聖国家の回復、つまり神の支配を意識した礼拝の民の再建です。そしてこの回復の預言の確かさは、昼が来て夜が来る、自然の秩序や法則と同じほどに確実なものであると言うのです(25節)。

今の日本も、また回復を求めていることは否定しえないことでしょう。しかも局地的な回復ではなく、日本を含めた世界の回復が求められています。そしてその回復については、社会秩序や日常性の回復のみならず、人々の霊性の回復についても語られなくてはならないのです。ただ経済活動が再興されるだけではなく、公正と義に満ちた社会の回復が求められているのです。それが天地をお創りになった神のみこころなのです。