ホセア書2章

2章 決定的な断絶と新しい希望

おはようございます。昨日、更新した後で、もう少し後半書き足すべきことあることに気づき修正いたしました。お時間があれば読んでみてください。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1. ゴメルの罪

ホセアは、妻の不貞を知り(1章)、その罪を告発し、処罰を言い渡しています(2章)。実際には、ホセアの夫婦関係の問題を通して、神とイスラエルの関係の問題が語られていると言ってよいでしょう。イスラエルの罪が三つ告発されています。第一に、愛情を向けるべき人の誤り(5節)、また無知であったこと(8節)、そして、主を忘れたことです(13節)。それによってゴメルの生活は具体的にホセアの嫌悪するものとなっていくのです。

ただ、2章の前半を読みながら、結婚って何かと改めて考えさせられるところでしょう。ゴメルにとって、夫たる人は、「私のバアル」自分のお祭り的な人生の欲求を満たす好都合な人なのです。自分の財(8節)と時間(11節)を注ぎ、思い通りの人生を豊かに実現してくれる人に過ぎません。それは単なるウィンウィンの関係を楽しむ、共同生活者、いわゆる生活のパートナーです。しかし結婚はそういうものではないでしょう。だから神は、結婚の奥義、愛し愛し合う関係の素晴らしさがわかるように、彼女のその努力を一切虚しくする、と宣言するのです。彼女がバアルに貢いだものは取り返すし(9節)、彼女自身が自分を飾り立てたものは剥ぎ取るし(9節)、彼女がただ老いていく普通の女であることを思い知らせるし(10節)、彼女の好きなお祭りごとも取り去る(11節)!コロナ禍でイベント事が中止というのは、そのような意味もあるいはあるのかもしれません。そして、彼女が愛と錯覚した思い出が壊れるようにする(12節)!なんと最悪な事態ではありませんか。

2.ゴメルへの愛

しかしそれは、ゴメル、つまりイスラエルが結婚という契約関係における本当の愛を知るためなのです。人間の世界には、若さゆえに愛される現実があるものです。しかし人間として歳を取り、衰え、魅力を失い、見捨てられ、うらぶれた時に、初めて真の愛の存在に人は気づくのです。けれども気づいた時には遅すぎて、もはや一人過去の記憶の中に虚しく生きる他はないとなったりするものです。けれどもホセアは、そのようなゴメルに、否!神が、そのように見捨てられたイスラエルに優しく語り「アコルの谷を望みの門としよう。」(14、15節)と語ります。アコルの谷は、かつてアカンという人物が罪を犯し、処罰された場所(ヨシュア記7章)、イスラエル人にとってそれは、罪によって災いを招いた地、出来れば蓋をしておきたい場所でした。しかし神は、まさにその地で望みを与えよう、新しい人生の出発地としよう、というのです(15節)。そして、彼女に必要なのは、モノを与えるご利益神バアルではなく、彼女をいわたり、過去の傷を覆い、愛情を語り続け、心安らかにする夫である、と言うのです(18節)。こうしてかつて呪われた地、イズレエルは、新しい葡萄酒と穀物を生み出す地、イスラエルに変わると預言されます(21、22節)。空しさに浸らず、「あなたは私の神」と告白して神の愛情に応え、神の祝福を受けさせていただきましょう。

“ホセア書2章” への1件の返信

  1. 福井先生

    アコルの谷を望みの門とする。
    よくわかりました。
    ありがとうございます。
    罪と裁きの現場が、新しい門出の地となる。
    十字架は悲しいだけのものではありませんね。

    S.A.

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