エレミヤ書1章

預言者エレミヤによる書である。エレミヤはヘブル語で「主は高められる」を意味する名で、アナトテの町に住む祭司の息子であった。アナトテは、エルサレムの北東約4キロに位置する寒村である。BC627年に啓示を受け、約50年に渡って預言者として活動した。

その頃、世界の覇者であったアッシリヤは、BC633年アッシュール・バーン・アプリの死後、次第に弱体化し、BC612年新興勢力のバビロン帝国に脅かされるようになり、エジプトの援助を求めるようになったが、BC605年カルケミシュの戦いにおいてついにバビロンのネブカデネザル王の率いる軍勢に破れ滅亡した。こうしてアッシリヤの支配下にあったユダ南王国はバビロン帝国の勢力下に移されていった。しかし、カルケミシュの戦い以降、南ユダの王エホヤキムは、大量の援助を約束したエジプトに頼り、バビロン帝国からの独立を試みるようになった。そこで、バビロンのネブカデネザル王は、BC596年、エホヤキムを反逆者として捕らえユダの最初の捕囚として連れ帰り、ゼデキヤを王位につけたのである。しかしながらバビロンからの独立を求める南ユダ王国の親エジプト派の動きは、簡単には収まらず、エレミヤは、そのような時代にあって預言者として活躍し、親エジプト的行動が、神のみこころに反し、さらなる捕囚の悲劇的な結果を産むことを預言する。

1章は、そのエレミヤが預言者として召命を受けた時の出来事を語る。神はエレミヤを生れる前から選び、聖別し、任命しておられたという(5節)。神は人に永遠の命に与えられるのみならず、それにふさわしい、永遠に価値ある実を結ぶ働きを備えておられる。主権を持った神に自身の進むべき道を尋ねたいところであろう。

神はエレミヤに、二つの幻を与えられる。一つは「アーモンド」の幻(11節)。アーモンドは他の草花に先立って、1、2月頃に、白い花を咲かせる。そのため象徴的に見張りを意味する植物とされた。神は、二つのヘブル語「アーモンド」(シャーケード)と「見張っている」(ショーケード)を語呂合わせて、ご自身がイスラエルを見張り、すべてに先立ち事を行われる裁き主であることを示す。大事なことは、エレミヤがアーモンドの名産地アナトテの出身であったことだ。彼は毎年咲き乱れるアーモンドの花に囲まれて育ってきているのである。つまり、エレミヤは神に見守られて育ち、神の働き人とされてきた。

またもう一つは「煮え立っているなべ」の幻(13節)。方向が北であることは、さばきがその方向から来ることを暗示している。南ユダのすべての悪に対して、神が北方の民を、裁きの執行者とされることを示している。

神はエレミヤに「腰に帯を締め、おびえるな」(17節)と語る。しばしば神の定められた働きは私たちの力を超えるものである。しかし怯んではいけない。神が必要な力は備えられるからだ。神は、エレミヤを「城壁のある町、鉄の柱、青銅の城壁」(18節)とされるという。神は、その職務に相応しい、強靱な性格を与えられるのである。神は、ただともにおられるだけではない、それにふさわしい性質と必要を備えられる。これは、神に従う者に対する恵みの約束である。たとえ私たちには弱い現実があっても、恐れをなして退く者ではなく、神の約束のみことばを信頼して神の働きに携わる者でありたい。