ホセア書1章

ホセア書から小預言書と呼ばれる12巻の学びに入る。旧約聖書も残すところあと100頁、もう少しで完読である。ユダヤ教では旧約聖書を読み終わると、巻物を持って踊る通読完成の祝いがある。こちらも、最後まで読み通して祝いたいものだ。ちなみに、大預言書と小預言書の違いは、重要性の問題ではなく、記された内容の量の違いにある。

さてホセアは、BC8世紀、つまりヤロブアム2世の時代からイスラエル北王国滅亡直前までの約40年間、イスラエル北王国を舞台として活躍した預言者である(2列王15-17章)。ちょうどユダ南王国では、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤへと王が移り変わり、世界史的にも、ローマとカルタゴがこの時期に設立され、インドでは釈迦が宗教上の改革を進めていた。ちなみに彼と重なるようにして活躍した預言者に、イスラエル北王国ではアモスとニネベに伝道したヨナがおり、ユダ南王国ではイザヤとミカがいる。

ともあれホセアが語った時代、イスラエル北王国は神に背き自ら滅びへと突っ走っていた。神は、そんなイスラエルを変わらず愛し、ご自分のもとに帰ってくることを望まれた。その神の愛を、ホセアは妻に裏切られた自らの経験を通して語る。本書の最初の3章は、ホセアが自らの経験を元に、神の愛を語ろうとする。2-9節には、ヘブル語的には、並行法という文学的な修辞法が使われている。記憶されやすいように語られたものなのだろう。

2節、神はホセアに対して、一人の女ゴメルを妻とするように命じる。ゴメルがホセアに産んだ最初の子どもは、「イズレエル(神は種を蒔く者の意味)」と名付けられた(4節)。その地は、イスラエルの王エフーがヨラム王とイゼベルを殺害、またサマリヤで殺されたアハブ王の70人の子らの首を積み上げた場所として知られている。血なまぐさいイメージのある土地である。恐らくここに語音のみならず、意味的な語呂合わせ、つまり「あなたは、清純なイスラエルではなく、血なまぐさいイズレエルである」がある。イスラエルの不誠実さが不貞を働くゴメルに重ねて指摘されている。ホセアの悲劇的な家庭生活は、象徴的に神とその民との関係を示している。

第二子、「ロ・ルハマ」(6節)は、「彼女はあわれみを受けない」を意味する。つまり、ホセアの心には、妻の不貞に対する疑いがいよいよ強まり、もはや、妻に対する愛情が失われている。そして第三子は、「ロ・アミ」(9節)と名付けられた。それは、「我が民ではない」を意味する。ホセアは、妻の不貞を確信し、結婚の絆も完全に切れてしまっている。それぞれの子どもの名前は、イスラエルに迫りつつある審判を暗示するものとなっている。

だが、大切なのは、この後である。ホセアの結婚は失敗であった。自分を裏切り、悲しませ、苦しませる女性に対し抱く感情は失望と嫌悪以外の何物でもない。にもかかわらずホセアは、その妻を愛し続けていく。それは、神に選ばれた民イスラエルが、その罪深さにもかかわらず神に愛され続けていることを物語る行動預言である。ちょうどエゼキエルが、言葉ではなく行動によって神からの啓示を人々に示したように、ホセアもまた自分の生活そのものを通して、重要な神のメッセージを伝えた。「あなたがたはわたしの民ではない」と言われた所で、「あなたがたは生ける神の子らだ」と言われるようになる(10節)。神に関係を否定された者が、神の子として認められるようになる。神の愛は変わらない。その証拠として、三つの約束が述べられる(11節)。神の愛は、情緒的なものではない。何事かをなし、もたらす愛である。その神の愛に応える者でありたい。