使徒の働き28章

パウロの一行は、嵐に流されマルタ島に漂着した。マルタは、フェニキヤ語では、避難所を意味する。彼らはまさに避難所にやってきたのだ。島の人々は、ギリシア語でバーバロス、本来はギリシア語を解さないの意味であり、野蛮人の語源となったことばである。しかし、彼らは、この何もかも失った船員たちに、非常に親切にしてくれた。気温は、摂氏10度程度であったと思われるから、彼らが焚いてくれた火は、実に、2週間も嵐にもまれ、疲れ果ていた者たちには暖かいもてなしであった。だがそこに一つの事件が生じる。

3節.まむしが這い出し、手にとりついた。おそらく当時、殺人犯が溺れ死ぬことを免れても、復讐の女神はなおも取り付く、という迷信的な背景があったのであろう、島の人々は、その出来事を人殺しの証拠と見なした。しかし、パウロはなんなく、その蛇を振り落としている。島の人々が、パウロの人柄を知ろうとなおも観察し続けたのは興味深い。結局島の人々は、考え方を変えてパウロを神であると見なした。こうしてマルタ島の首長ポプリオの好意を得て、そこに、パウロの一行は3ヶ月滞在することになった。8節、ププリウスの父は、腹部の疾患から来る「熱病と下痢」、おそらく、マルタ熱の名前で知られた風土病で、病に臥せっていたが、パウロは、彼を「癒した」。この原語は、ギリシア語でイアオマイ、他方9節の「癒しを受けた」は、セラピューオーである。セラピーの語源となることばで医療的な処置を施すことを意味する。10節の「私たち」ということばからしても、これはパウロの働きにルカが加わったためなのだろう。神は、福音とご自身の力を証するために、超自然的な癒しに加え医療的な処置も用いられた。なお、この3か月の期間に、回心者が起こされた記録はない。やはりキリスト教は、理知的な信仰を持つものであることを否めない。単純に奇跡に魅せられて信仰を持つ、という類のものではない。それは、神が聖書を通して語っていることを理解し、何よりも、キリストにある罪の赦しを理解し、個人的に応答するプロセスを要求するのである。神の存在を信じるだけではなく、神が遣わされた御子キリストの業の意味を理解し、キリストの業を受け入れることを要求する。

さて、パウロの一行は、マルタ島を後にした。船のシンボルはディオスクロイ、それはゼウスの双子の兄弟カストルとポルクスである。航海の守護神で、当時はこの星座(双子座)を嵐の中で見ることができれば幸運のしるしとされていた。特に意味はないのだろうが、ルカは読者にいささかジョークを投げかけたのかもしれない。一日の航程で北北東150Km、シチリア島のシラクサに到着、3日間停泊して順風を待った。そこから130Km北航し、イタリア本土の南西端、メッシナ海峡に臨む海港レギオンに到着。一日待つと南風が吹いてきたので出帆し、2日目に北320Kmのポテオリについた。ポテオリはナポリ湾の北岸、ナポリの西11Kmにあった中部の要港で、ローマに向かう船客は、普通ここで上陸したと言われる。もっとも穀物船はさらに北190Kmにあるティベル河口のオスティア港で荷揚げする慣わしがあった。パウロはこの地の信者に迎えられて一週間滞在した。

そこからは、陸路である。ポテオリからローマまでは180Km。約1週間の行程である。彼らは約1日、北に進んでカプアにつき、そこからアッピア街道を北西に進んだ。フォルミアエに宿泊、テラチナについた。ここからアッピア街道は、海岸を離れ、ポンチネ湿地帯を貫いて、北西に延びている。この街道沿いにアピイ・フォルムまで一直線の運河が設けられていた。運河は平底船が通っていて、パウロの一行もこの水路を利用したと考えられている。パウロは、このアピオ・フォルムでわざわざローマから彼を歓迎に出てきた信者に会い、大いなる励ましを得た。翌日パウロは北西16Kmにあるトレス・タベルネに昼頃つき、そこで第二陣の歓迎者の群れに迎えられ、神に感謝した。彼ら歓迎者は、初めアッピア街道の起点となるカペナ門から出発しそろって南下したが、ローマ南東約20Kmのアルバノ山(標高940メートル)の山越えで、脚力の差によって二グループに分かれてしまったと考えられている。

ともあれパウロはついに念願のローマへ到達した。17節、パウロは三日の後、ユダヤ人の主だった人たちを呼び集め、彼らに福音を語った。朝から晩まで語り続け、神の国をあかしし、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて説得しようとした、とある。やはりキリスト教は、その信仰の中身(福音)を明確に語らずにして回心者を起こすことはできない。いわゆる「鰯の頭も信心から」という類のものではない。そういう中で、「語られたこと」(24節)に注意深く耳を傾ける者と、そうではない者がいる。反応は様々であり、聞き方も様々である。実際ここで聞いた人々もパウロ個人に対する偏見は持っていなかったが、やはり、皆が皆パウロの語る福音を信じるわけではなかった。パウロは、信じようとしないユダヤ人の現実に、福音が耳を傾ける者に向けられたことを宣言する。福音は水のごとし、低きへと流れるのである。

30節。パウロは「呼び集めて」福音を語るのみならず「尋ねてくる人たちに」福音を語った。パウロに町の広場や会堂に出て行って、福音を語る自由はない。しかし、神がパウロのもとに福音を語るべき人々を送ってくださった。そこに、オネシモが含まれていたことはよく知られている。また、この期間に、エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモンなどの獄中書簡も書き送られている。パウロは常に神が与えられる機会を活かした。大切なのは、教会に人が来ない、来るではない、神が導いておられる働きを見極めることである。いつも収穫であるわけではない、いつも種まきであるわけではない。神が導いておられる微妙な機会をしっかり受け止めて、時が良くても悪くても福音を語り伝えることである。

ルカは、最後にパウロが少しも妨げられることなく、大胆に福音を語ったことをテオフィロの心に訴えている。ルカは、多くの告発があっても、神は、パウロを支持したと言いたかったのだろう。テオフィロよ、わかっていただきたい、とルカは言うのである。

使徒の働き27章

パウロは、ローマへ送られることになった。ローマの百卒長ユリアスの率いる護衛に守られ、パウロは、海路2700キロ、陸路180キロに渡る長旅を開始した。主の約束であり、個人的願いでもあったローマ行きは、不思議な形で実現した。
イタリアに行く船が得られなかったので、小アジア北西隅ムシヤの港アドラミティオを根拠地とし、沿岸航路を専用とする船に乗り込んでカイザリヤを出帆、翌日シドンに入港した。順調な船出であった。沿岸船であったので、積み荷の積み降ろしがあり、時間もあったのであろう、その間パウロは、百人隊長の好意により友人を訪れることも許された(3節)。しかし、地中海はすでに西風が強い季節になっていたので、シドンからミラへは通常の航路を採らず、海岸線から遠く離れずにキプロスの島影を、海岸から吹く夜風と西方への海流に助けられながら北上し、キリキアに近づき、そこから船首を西に転じ、パンフリヤの沖を過ぎてミラに入港した。D写本によれば、15日かかってミラについたという。妥当な日数である。ミラはエジプトとローマの直接航路にある要港であった。この港でイタリア行きのアレクサンドリアの穀物船を見つけ、これに乗り換えた。普通アレクサンドリアの穀物船は長さ55メートル、排水1200トンほどのものであったとされている。パウロの場合は、乗船者が276名であったというが、600名の乗船があったという記録もある。
おそらく航海が不可能になる冬になる前にイタリヤに到着できると踏んで出帆したのであろうが、ミラから出発すると向かい風の西風が思いのほか強く、ジグザグコースをとって進み、210キロの距離を幾日もかかって、小アジヤ南西端イスカンディル岬の町クニドの沖に達することになった。そこで彼らは沿岸に沿って島影を航行するため、船首を南に転じ、クレテ島東端のサルモネ岬の沖に迂回し、島の南東部を廻り「よき港」についた。ミラからよき港までは、航海に約25日を要した。地中海は、冬季の嵐のため、11月11日から3月5日までは航海が完全に閉鎖された。なお5月15日までと、9月14日からとは少なくとも、航海が危険であるとされ、できるだけ航海を避けた。この時は、すでに、10月28日になっていたようである(使徒27:9)。
船会議の席上、旅行経験の多かったパウロは難船の危険があることを忠告する。しかし、海上の航行が閉鎖されることを考えた船長たちは、もう少し冬を過ごすのに適当なピニクス港まで足を伸ばすように提案、西方65キロにあるピニクス港で越冬することを希望し、都合の良い風に吹かれて出帆した。それは約1日ばかりの旅程のはずであったが、まもなく船は暴風に巻き込まれ、14日間漂流し、ようやくマルタ島に漂着するのである。クラウダ島から西方に900キロ流されたことになる。
ただルカは記録する、「吹き流されるまま」(15節)、「積荷を捨て始め」(18節)、「太陽も星も見えない日が幾日も続き」(20節)、「激しい暴風がふきまくる」(20節)、「助かる最後の望みも今や断たれようとしていた」(20節)、「長いこと食事をとらなかった」(21節)、一語一句が象徴的である。突如として風向きが変わり、暴風となり、疾風怒涛の中を激しく揺られ、きしむ船体の中で、乗客は幾度も後悔と深い恐怖を味わったことだろう。私たちの人生にも、そんなことばで語られる日々があるものだろう。この世の濁流にのみ込まれ、もてあそばれ、友を失い、家族を失い、財を失い、さらには、自分の立ち位置の検討もつかなくなり、全く落胆のほかないもない、そんなことがあるものだろう。しかしそのように絶望的な時であっても、パウロは、「恐れてはいけません」(24節)「元気を出しなさい」(25節)「すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています」(25節)。と確信と平安の中に歩んでいる。そして、35節パンを裂き、それを分かち合った。これは主の晩餐であると多くの注解者が解説をしており、その可能性もなきにしもあらずであるが、実際には通常の食事をしたのであろう。しかし、それ自体がパウロの主への信頼を明らかにしている。先にパウロは自分のようになることを願うと語ったが、まさに、目が開かれ、イエスの十字架愛を悟り、御国を目指す人生は、恐れを知らない。私たちは、神があるいは、神の御使いが私たちを守る経験をする(23節)。パウロの確信は、翻弄される人生の中にあって、模範となって行為化したのである。
パウロは、神の約束に立った。旧約聖書においては、神の幸せの法則が記されている。それは、主が正しい、主が良いとみられることをすること(申命記6章)、主を神とし、神のことばに信頼し、従っていくことにある。パウロも約束の言葉を信じ、それに従った(25節)。こうして、14日目、舟はどこかの陸地へと近づいていた。まだ陸が見えたわけではない。しかし、パウロは、感謝をささげ、食事を勧める。神の約束は確かであるというパウロの信仰がそうさせたのだろう。確かに、パウロに与えられた約束は、文字どおり成就した。神は実に荒っぽいことをされたが、不思議にも彼らは一気にローマへと近づけさせられていた。何もこんな方法でなくても、と思うところでもあるが、神のご計画の真意は、天の御国で後日談に耳を傾けるまでにはわからない部分もあるのだろう。
ともあれキリスト者が困難の中にあって、大胆に振舞うことができるとすれば、それは、神の約束があるからである。神の約束に支えられて人生に大胆さを持っていくのがクリスチャンである。神の約束に立って歩んでいる確信があれば、どんな試練においても、神の目的を見まごうことなく耐え抜いて行くことができる。ただ守ってください、立たせてくださいと祈るのではなく、主の約束を思い起こし、そこに立って、そのとおりに歩ませてくださいと祈る事が大切である。

使徒の働き26章

パウロが、アグリッパ王の前で弁明を開始した。パウロが語ったことは、一つは、なぜ自分がイエスに従うようになったのか、そのいきさつである(2-15節)。パウロが経験したのは、全く神を知らないところから神を知るようになったという、無神論者の回心ではない。すでにパウロは、天地創造の唯一の神を信じていた熱烈なユダヤ教徒であった。彼が転向を迫られたのは、その神が、イエスを約束の救い主としてお遣わしになったことを受け入れることである。それまでパウロは、十字架につけられたイエスは呪われた者であって、約束のメシヤではないと徹底して反対していた。だから、そのイエスに追随する者があれば、これを迫害し、罰を科し、殺害にも協力した。しかし、そのイエスが、ダマスコに向かう途上で奇跡的にパウロに現れたのである。パウロは、イエスの復活を認め、イエスを神であると受け入れざるをえなかった。彼は、イエスの十字架が呪いではなく、旧約聖書に預言された「苦難のしもべ」(イザヤ53:5)の成就であることを理解した。イエスは、私たちの身代わりとなって、神の怒りと呪いを受け、私たちを救い出してくださったお方である、というわけである。
そして二つ目に、パウロは、自分が新たな使命を得たことを語る(16-18節)。パウロは、イエスに直接、証人として任命された。その働きは、少なくとも三つの目的を達成することにある。一つは、人々の目を開かせることにある。暗闇にあること、サタンの支配の中にあることから、主に立ち返らせることである。人は皆自分が正しいと思うとおりに生きている。しかし闇の中にあり、サタンの支配の中にあることを悟ろうとしない。その現実に目を開かせることが第一目的である。そして、第二に罪の赦しを得させること。パウロもそうであったように、イエスが十字架で命をささげたことの意味を悟らせることである。そして最後に、御国を受け継がせること。そのようにして救われた人々が皆、異邦人ユダヤ人の区別なく一緒に神の御国に入るように、励まし、戒め、導き続けることにある。復活の主イエスに出会ったことが、こうして自分のすべての行動を変え、イエスに従うようにさせたのだ、と語る。
フェストゥスは、これを受けて、パウロは気が狂っている、と考えた。しかし、ユダヤ的背景を持ち「ユダヤ人の慣習や問題に精通している」アグリッパは、違った。アグリッパには、パウロが語る要点が理解できたのである。彼は、旧約聖書のモーセと預言者たちによって預言された事柄について知識があった。だからイエスが約束のメシヤであるかどうかについて、それらの預言に照らして考えることができた。だからこそ、パウロのことばは、「わずかなことば」ではあったが、アグリッパにとって、それは、決心を迫られる十分なことばであった。アグリッパは応答すべき事柄を了解していたのである。
今日の日本人に、旧約聖書の知識はない。だから往々にして闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせようとするキリスト者のメッセージは、フェストゥスのように我慢の限界を超えた狂った内容として聞こえるか、もしくは、フェリクスのように恐れを感じさせられる脅迫として受け止められるかではないか。そこで、日本人にとって必要なのは、聖書が何を語っているのかをまず理解することである。聖書の光に照らされて、自分が暗闇の中にあること、イエスの十字架の意味が理解できなかった者であること、人間にとってこの世がすべてではなく、御国を目指す生き方があることを悟らされていくことである。それは、キリスト者になっても追及すべきことで、日本人キリスト者の信仰の持ち方が、今一つ心理的慰めの域を出ず、神の召しに到達しないのは、聖書全体のメッセージについての理解が乏しいためである。
パウロは、「鎖は別として、私のようになってくださることです」と断言した。一人の人間が、自分のようになることを、誇りを持って語った。言うまでもない、闇の支配に目を開かされ、イエスの十字架愛を悟り、御国を目指すことが、この世のどんな生き方にも優り、喜びと恵みに満ちていることを伝えたいというわけである。
たとえ聖書を読んでも、斜めに読んで、自分にとって都合のよいところをつまみ食い的に読んでいてはこうはならない。あるいは、聖書を順序良く、構造的に読んで、その背景を理解することがあっても、単に頭の中の知識を整理していくような読み方でもだめである。まさに、聖書を読みながら、パウロがそうであったように、聖書のまことの著者である神に直接語られるような読み方をしていかなくては、人生を180度変える力に与ることはない。
王と総督とベルニケ、同席の人々が退場した。彼らは互いに話し合って、パウロが、死や投獄に値するものは何一つしていないことを確認した。それは、彼らの職務的な務めとして当然のことである。しかし、彼らには、実際のところ個人的に神に応答するチャンスが訪れていたのであるが、そこに応答することはなかった。神の時はいつでも来ている。神とよき時を過ごす聖書の読み方をしていきたいものである。
なお、パウロのローマ行きが確定した。結局、アグリッパを交えても、フェストゥスは、上訴理由らしきものを明確にすることはできなかった。一人の狂った男と思われる者の上訴を、そのまま伝える以外になかった。だが、それも神が用いた機会であったのだろう。パウロもそのような形でローマに行くことを願ったのかどうかはわからないが、皇帝に直接福音を語る機会として期待したかもしれない。大切なことは、私たちの生活の一つ一つの局面に、神の意図があろうことだ。私たちにはそれがどのように功を奏するのか知る由もない。そしてそれを一々気に留めて生きていくのも煩わしい。だからそのように理解しつつも、ありのままに、主を喜んで生きることがよいのだ。

使徒の働き25章

フェリクスに代わって、フェストゥスが後任となった。新しい総督の着任に合わせて、ユダヤの宗教家たちは、パウロを訴えて、もう一度エルサレムで裁判をする機会を設けるように頼んだ。彼らは、途中でパウロを殺そう企てていたのである。フェストゥスは、彼らの訴えを取り上げたが、ユダヤ人の言いなりにはならず、場所については、パウロが拘留されているカイサリアを指定した。ここに計らずとも、主のパウロに対する守りがあったのだろう。ユダヤの宗教家たちは、パウロを殺す機会を狙っており、おそらく、総督が参加しない形でパウロの裁判を行う可能性を想定していたようであるが、結局、その悪意はかなわず、カイサリアへとフェストゥスと共に下らなくてはならなかった。主は、常に、最善をなさるお方なのである。
さて、裁判において、ユダヤ人たちは、多くの重い罪状を申し立てたが、それを証拠立てることはできなかった、という。確かに、事件が起きてから2年も経過しており、もともと事実無根の不当な教えであればこそ、証拠立ては難しかったはずである。だからパウロは自分を守るために、否認するだけで十分だったのである。本来ならば、これで裁判は結審し、パウロは赦免されるはずであった。しかしフェストゥスは、パウロをユダヤ人との政治的な駆け引きをする材料として、利用することを思いついた。そこで彼はパウロに、エルサレムで裁判を受ける意志があるかどうかを尋ねている。
これをパウロは、拒否した。それは、考えうる限り、懸命な判断であった。というのも、もしエルサレムで裁判をされたとしても、そこで正当な裁判がなされるはずもなかったからである。パウロは、思慮深く対処したのであり、問うべき問題は、ユダヤ人たちが訴えるように、本当にローマに対して死罪に当たる犯罪をしていたかどうかであった。パウロは、カイサルに上訴した。フェストゥスは、パウロのローマ市民としてのこの権利を認めた。
数日後、アグリッパ王とベルニケが、カイザリヤに来て、パウロの一件を語らったことが記録されている。しかしながら、このフェストゥスとアグリッパとの間の私的な会話の情報をルカはどのようにして入手したのであろうか。おそらくこれもまた先の23章の千人隊長の手紙と同じで、ルカが想像力をはたらかせ、限りなく現実に近い、いわゆるありそうな作文をしたのだ、と考えられている。ただ、ここで注意すべきことは、フェストゥスの口を通して、ルカは、争われていることが、犯罪ではなく宗教的信条の問題だったことを明確にしていることである。信条の中心は、死んでしまったイエスが生きていること、イエスが復活したことであった。そして「彼は死に当たることは何一つしていない」ことを強調している。つまりルカは少なくとも直接的な読者であるテオフィロに対して、パウロが戦っていることは、宗教的な信条の問題であることを理解させ、死に当たることは何一つしていないことを訴えたかったのだろう。実際、使徒の働きは、パウロがローマに到着後2年経った時点で終っているが、その頃パウロの第1回の裁判はカイサルのもとで審理中であったとされる。となれば、ルカはローマの高官であったテオフィロに対し、キリスト教の由来と性格を説明し、キリスト教に対する誤解を取り除き、パウロの裁判が有利に展開するよう、カイサルに働きかけてもらうよう、この使徒の働きを書いたというのは、理解できることである。
さてフェストゥスは、フェリクスと同じように、ユダヤ人の関心を買おうとして、パウロを利用した。人は、真理を知りつつも、真理に基づいて行動するのではなく、自己利益のために行動することがある。たとえ真理を守るべき立場にある者であっても、だ。一方、パウロは、「もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません」と潔い。神の前に良心を責められることなく、真実に生きる者に恐れはない。そして神が、その歩みを、さらに導いてくださる。その計画は、さらに先を読み進まねばわからないのであるが、少なくとも、パウロは、死を免れえた。そして、念願のローマへの旅へと導かれるのである。正義が踏みにじられていく時に、私たちは落胆するものであろうし、ここに神の計画があると物わかり良く、何事もないかのように、生きていくほど強靭ではない。しかし、その強靭さを身に着けていくのが信仰の歩みである。まだ見えぬ先を、信仰によって見、神がおられぬと思われるようなところで、確かに、神がおられると確信を持って歩む、そうであればこそ、世界を動かす人にもなれるであろう。神は確かにおられるし、神の正義が地に堕ちることもない。今日も主を信頼し、主の守りに信頼して歩ませていただこう。

使徒の働き24章

パウロがカイザリヤに到着してから五日後、大祭司アナニア、数人の長老、そしてテルティロという弁護士の集団がパウロを訴えるためにやってきた。テルティロは、パウロについて三つの点を指摘している。第一にパウロは「ペストのような存在」つまり有害な人物である。そしてパウロは、ユダヤ人の間で「騒ぎを起こしている者」、さらに、彼は、「ナザレ人という一派の首領」であった。その結果、彼は、宮さえも汚そうとしたが、私たちはそれを未然に防いだ、というわけである。新改訳の注が、正しい本文であるなら、テルティロは、宮を汚すのを未然に防ごうとしたが、千人隊長のルシヤが来て私たちの間に入ったので、ペリクスの裁可を得なければならない結果になった、と自分たちの状況を説明している。
総督のフェリクスは、パウロに弁明を促した。パウロは、三つのことを整理して訴えている。まず、パウロは自分がエルサレムに来てまだわずか12日であり、群衆を騒がせ、社会秩序を乱した事実はない。実際、その証拠はない、としている(11-13節)。また、パウロは、自分たちは分派と呼ばれるが、実際には、旧約聖書の信仰を彼らと共有していることを主張する(14-16節)、そして宮を汚したと言われるが、単純にこれを否定している(17-18節)。実際パウロがエルサレムにやって来た目的は別にあった。ルカはこの点に特に触れていないが「施し」にあった。彼は異邦人の間で開拓した教会から集めた多くの献金を、エルサレム教会に送り届けていた。それは、福音の霊的な祝福に対する物質的な応答であった(1コリント16:1-4)。また彼が宮に上ったのは、まさに自身についての誤った噂(ユダヤ人の伝統に対する敵対者)に対処するためであった。彼はエルサレム教会の指導者たちのアドバイスに従って、パウロに対するに非難が誤りであることをはっきりさせるために、律法を遵守している者としてユダヤ人の習慣に沿って身を清め、さらにナジル人として誓願を立てている四人の男性のために頭を剃る費用を提供した(21:23-26)。このような時に、彼は敵対者に発見されただけでありティルテロが宮を汚したという訴えは何の根拠もないし、最高法院での騒ぎについては、復活についてのユダヤ人の教派的な対立の問題について一方の側(復活はある)に立った議論をしたに過ぎない、と答弁したのである。
パウロの弁明を聞いていたペリクスは、判決を延期した。というのも、まず事件についての事実関係を千人隊長ルシヤから聞くのが筋であると思ったからであろう。この時点で彼の裁判は公正であった。実際彼は「この道について相当詳しい知識」を持っていたので、裁判官としてふさわしい判断が働いたのだろう。そして彼は後に、妻のドルシラを連れて再びパウロを呼び出し、イエスを信じる信仰についての話を聞いたという。それは、彼の信仰に対する興味のためであったのかもしれないが、それは本格的な求道心と言えるものではなかった。彼の興味は、「正義と節制とやがて来る審判」のメッセージによって脅かされたのである。つまり彼の興味は、耳新しいことを聞きたかった程度のもので、悔い改める気はなかったのである。実際には、26節、パウロが、エルサレム教会に異邦人教会からの多くの献金を持ち運んだことを耳に挟んで、賄賂を出すことを期待していたのであろう。幾度もパウロを呼び出して話し合い、しかもそれが二年にも及んだというのであるから、ペリクスの金を貰いたい忍耐は、たいしたものである。だがパウロに金銀はなく、あるものは福音のみであった。結果彼は牢に残されることになる。パウロはフェリクスの貪欲さに二年も付き合わされた。
24章を読みながら、神のなさることがわからないと思うことがある。ユダヤ人の誤解を取り除き、物事を平和に進めようとした行為がますます物事を紛糾させ、パウロは捕らえられてしまっている。さらに、裁判官のもとへ引き出され、正義による解決が図られるのかと思いきや、不正な裁判官の思うままに、解決のない不毛な2年が過ぎていく。人生にはそういう時もあるのだ、というには、あまりにも当事者には割り切れない思いである。実際、パウロのその間の心情は述べられていないが、人によっては自分の人生がそれによってダメになっていくと深い焦りと苛立ちに捨て置かれる思いになることもあるだろう。神は何をしているのか、いつまで裁きを行わず、理不尽なままにされているのか、思わされることがある。しかし、24章からその答えを見出すことはできないが、聖書全体を読む中で、そのような問題をどのように受け止めるべきかを知ることができる。
たとえば王室の役人の息子の癒しの話にあるように(ヨハネ4:46-54)、神にとって、手遅れということはない。また、神は日時計におりた影を十度後に戻すことのできるお方である(2列王記20:11)。神の助けが遅れていることは、私たちの悔い改めが足りないからでも、私たちの過去の過ちが大きすぎるからでもない。まして私たちが性質が悪すぎるというわけでもない。むしろ、神は「おりにかなった助けを」与えようとしているのである。パウロはこの二年間、神の時に自分を委ねたのである。その結果、新しい州総督フェストゥスがカイザリヤに着任した。そしてパウロは、このフェストゥスの計らいで、念願のローマ行きを、自腹を切らずに果たすことになる。私たちは、私たちの思いを超えたことをなさる神の御手に、自分の時を委ねることを(詩篇31:15)学ばなくてはならない。常に、神はご自身を信頼する者によきものを拒まれず、またご自身のご計画を進められる。主の真実さに今日も期待しつつ歩ませていただこう。