テサロニケ人への手紙第一5章

パウロは4章の後半に続いて再臨の問題を取り上げる。当時、再臨がいつかということは非常に大きな問題であったし、再臨についての様々な惑わしの教えもあった。だから、人々はいついつ再臨が来るというような話があるとすぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたり、結局、だまされたりということがあったようだ。

しかし、イエスご自身、その時期については誰も知らない、自分自身も知らない、ただ父なる神のみが知っておられると明言されている(マルコ13:32、マタイ24:36、使徒1:7)。パウロも、いつかを問題にする新しい惑わしに騙されないように勧める。そして、いつでも主に迎えられる覚悟があれば、いつか、という時は問題ではないはずだと語るのである。卑近な例ではあるが常日頃きちんと勉強していれば、いつ試験があっても、問題はないのと同じである。クリスチャンも常日頃、神の御前に生きているなら、いつ主の日が来ても慌てることもない。

大切なのは、私たちはもう救われている、神の子、光の子とされていることなのだ。現実とその与えられた身分とのギャップは激しいものがあるかもしれない。しかし、光の子とされている者らしく光の中を歩み、光の子として完成されていくことが求められていることである。そこで、6節からパウロの数珠玉の勧めが続く

  • 光の子としていつも目を覚ましていよう。つまり主の日がいつでもよいように、備えができている状態であろう、ということだ(6節)。
  • そして慎み深くしていよう(6節)。心を引き締めて、軽はずみにではなく節度をもって行動しよう、ということだ。
  • 信仰、希望、愛の三拍子に歩もう(8節)。キリスト者は、楽観主義者である。ただ平安もないのに平安だ、と希望的観測を述べる偽善者ではない、また物事を深く考えずに、神に委ねていれば大丈夫という単細胞的楽観主義者でもない。むしろ、絶望や落胆の淵から立ち上がり、苦難を潜り抜けてなおも、主は真実であると主に信頼できるしたたかな楽観主義者なのである。だから、信仰、希望、愛の三拍子にしっかり立つ訓練が必要だ。
  • 互いに励まし合い、高め合おう(11節)。信仰者は一人で生きているのではない。天を目指す巡礼の旅を共に進んでいるのである。落伍者を一人も出さない、皆で一緒に天に帰ろう、そういう心掛けが大切だ。

5)教会のために最も心を配り、祈り、労している牧師の働きを認めてそのリーダーシップに従っていこう。尊敬には、後でテモテの手紙で見るように、経済的な意味もあるのかもしれない。働きに敬意を払うのみならず、その労に相応しく、生活が支えられるように配慮していこう、というわけだ。牧師の生活を考えるのは、その教会の信徒以外にはいないのである(12節)。

6)互いに教会が平和な場になるように努めよう。教会は、祈りの家であり、神の家である。困ったことがあったらまず祈り、訴えたいことがあれば、まず神に訴える。どんなによいことを語っても行っても、教会がごたごたしていたら、人は寄りつかない。赦しと助け合い、そして支え合いのある場が教会なのだ(13節)

5)物事を途中で投げ出し、隊列を乱すような気ままな人間は戒め、逆に小心な者、つまり勇気に欠けてくよくよ考えるような者は励ましていこう。さらに霊的に弱い者、そういう人を切り捨てるのではなく、世話をしていこう、という。やはり巡礼の旅は、最後まで皆で一緒に完結、皆一緒にいるよ、という気持ちを共有することだ(14節)。

6)教会に来る色々な人のことを考えるならば、全ての人に本当に寛容な気持ちをもたなくてはならない。短気であってはいけない、ということだ。誰でも馬鹿げたことを黙って見ているなどできない相談だからだ。しかし辛抱強くあろう。そうでなければ、向上、成長はありえない。

7)善を行なおう。目には目を、歯には歯を、これが当たり前の人間だ。しかしキリスト者は当たり前の人間ではない、神の子、光の子である。ならば、呪いに対して祝福を返し、敵意に直面したとしても、それを神の愛によって打ち破ることである。まさに十字架愛のしもべであれ、ということだ(15節)。

8)いつも喜んでいよう。苦難と深い喜びは両立する。パウロは患難さえも喜んだ。喜べない時でも喜べる霊的な成熟の道がある(16節)。

9)絶えず祈るろう。すべてが神の肩にかかっているかのように祈り続け、期待することだ。神が働いてくださる(17節)。

10)感謝しよう。神は物事を最前に導いてくださる、と信頼できれば感謝できないことも感謝できるものだ(18節)。

11)キリスト者の生活に暖かさと光をもたらす御霊の働きを妨げてはいけない(19節)。

12)預言をないがしろにしてはいけない(20節)。再臨の問題に絡んで、未来について語る預言は軽んぜられる傾向があったと思われる。しかしそれでも、預言は、軽んじられてはいけない。なぜなら、預言は未来の予告だけではなく、神のみこころの告知でもあるからだ。

13)だから神から与えられたという事柄をよく見分けて、識別して、本当に価値あるものを堅く守ることが大切になる。(21節)。

14)悪は多様である。あらゆる種類の悪から遠ざかろう(22節)

以上は、再臨に備えた心得をパウロは具体的に語った。しかし、大切なのは、頑張ってそのように生きるわけではないことだ。そのような目標をぶら下げて懸命に努力せよ、と言っているわけではない。注目しよう。24節、善い行いも主が備えてくださるものである。主が与えてくださる。パウロは祈りで締めくくり、自分に対する祈りを求めている(25節)。キリスト者の人生は恵によって導かれる楽しさに満ちている。それは、努力と思われるところもあるだろうが、神の賜物を味わい、喜ぶ人生である。今日も、主の恵みの中に歩ませていただくこととしよう。

テサロニケ人への手紙第一4章

テサロニケ人への手紙第一には、流れがある。五つの章に分かれていて、それぞれが主の再臨に関連することばで終っている。つまり来るべきクライマックスでまとめられる形になっている。それは、パウロが、すべて未来との関連で物事を考えているからだ。

さて初めの三章は、回想である。1章は、パウロの福音がテサロニケにもたらされ、そこで確かに命ある群れが形作られ、良き評判が得られていることを感謝している。彼らは真に福音の「力」を味わい、人手によらず、神の守りの中で、模範となる教会へと建てあげられていた。そこで2章は、パウロとテサロニケの人々の関わりがどのようなものであり、そこに目に見えない力がどのように働いていたかを思い起こしながら喜び、再び、再臨の希望を告白している。3章は、テサロニケの人々との交わりを求めるパウロの強い思いと、その不足を補うテモテの働き、そしてパウロの期待に勝る成長ぶりへの感謝が述べられ、これも再臨の希望のことばで締めくくられている。4章からは、クリスチャン生活の実際的な勧めへと話題が転換していく。これはパウロの書き方の特徴でもある。最初の3章では、パウロは、彼らの救いの確かさを確認し、それに続く後半の2章は、いかにそのキリストの救いを生きるべきかを教えている。

「お願いし、また勧告します」、パウロの真剣さを示す二重表現である。神を喜ばす(4:1)、神を愛するところから行動を発するように、というが、その具体的なメッセージは三つある。

第一に、「ハギアスモス」聖さの中に歩むことである。性的不道徳から自分を守ることである。テサロニケの人々は、一夫多妻制、めかけ制度、同性愛、乱交が当然のこととして受け入れられている世界に住んでいた。そのような世俗的影響を四六時中受けているテサロニケの回心者の中には、聖書が語る純潔を新しい徳目として語る必要があった者もいた。また、歴史的に結婚の約束がこれほど尊重されず、離婚が容易であった時代はなかった。4節は、「各自、自分の妻を清く尊く保ち」とも訳しうる。姦淫しないということは、伴侶を真に愛することに他ならない。8節、「神を拒む」は、横に置くが直訳である。無視するとも訳される。神を横に置き、無視する。拒む人は、はるか遠くにおられる神に対して罪を犯すのではなくて、新生と聖化の御業をなされる神を横にどけて、無視しているのである。

第二にパウロは愛の内に歩むようにと勧める。聖さの内に歩むなら、必然的に関係も大事にされるだろう。しかし、聖さを求めるあまりに人を裁いて、人との交わりを絶っていく逆のことが起こることもある。だから聖さは、愛をもって熟成されなくてはならない。

第三に、パウロは、外の人に対して、忠実に証できる歩みをするように勧める(10、11節)。どんなに要領がよくても、堅実な積み重ねを嫌う人間に、本当に力のあることはできない。クリスチャンが何事を成し遂げることがあるとしたら、時間をかけて、一歩一歩堅実に身を入れて物事に取り組むからである。

最後に、パウロは、テサロニケ人たちに生じていた再臨についての誤解を修正しようとした。テサロニケの人々は、再臨が自分たちの生きている間に必ず来るものだと思っていた。そして再臨の前に死んでしまった人たちが、その恵みにあずかれないのではないか、と気にしていたのである。しかし、すでに死んでしまった人々は、イエスが一緒に連れてこられるであろうという(14節)。号令は復活をもたらし、声は集合を命じ、ラッパは審判の始まりを宣言するのである。いわゆる終末の思想は、教会にとっては重要な希望であり、輝かしい未来を宣言する。

テサロニケ人への手紙第一3章

先にも述べたように、パウロは、ユダヤ人の妨害によって、設立後まだ自立もおぼつかないテサロニケの教会を、後ろ髪を引かれる思いで後にせざるを得なかった。そしてピリピの教会の今後を心配する思いに耐えきれなくなった、という。パウロは、単なる宣教者ではなく、牧会者であったのだ。

そこでパウロは、自分の愛弟子であり教える力のあるテモテを代わりに派遣した(1節)。テモテは、コリントの教会(1コリント16:10-11)、ピリピの教会(ピリピ2:19-23)の問題解決にも派遣されている。では、彼は何をテサロニケの教会の人たちに教えようとしたのか。

それは、テサロニケの人たちがキリストにある苦難を当たり前に受け止められるようになることであった(3節)。クリスチャンにとって、迫害や苦難は、意外なことでも驚くようなことでもなく、それは起こりうることであり、定められたことである(ピリピ1:29、1ペテロ4:12)。それはクリスチャンとして生きていることを証しするようなものだ。だから、困難にあっても、挫けず、道を踏み外さないように力づけることがテモテの役割であった。しかし、テモテの報告によれば、それは、パウロの杞憂に過ぎなかった。テサロニケの教会は、苦難に動揺するどころか、信仰に堅く立ち、むしろ、神に守られて、その信仰に成長していたのである。また彼らはパウロを忘れずにいて、パウロと交わりを持ちたいと願っていた(6節)。

実にそこに、「成長させてくださるのは神である」という教会成長の大原則を見るのであるし、パウロが最も感謝する根拠がある。神がパウロの心配を超えて、働いてくださり、テサロニケの教会の定着を助けてくださっていたのである。そこでパウロは、感謝をもって、テサロニケの人々への信仰的な励ましとして、手紙(本書)を書き送った。牧会は、実に丁寧な働きである。

手紙の中でパウロは、迫害を受けながらも信仰に堅く立つテサロニケの人たちの姿に、一方ならずとも慰められている自分の気持ちを率直に語っている。確かに彼らは、キリスト教信仰を持つが故に、家から勘当されたり、仕事を辞めさせられたり、生活していくことが難しい状況の中に置かれていた。けれどもそういう中で、信仰に堅く立っている。神に支えられている彼らの姿を思うなら、やはり感謝をせずにはいられない。神の臨在のリアリティを感じて、喜ばずにはいらわれないのである。そこにどんな神の配慮があったのか、どんな守りがあったのか、分かち合いたい、パウロが彼らに会いたいと思うのも無理はない。しかし同時に、パウロは信仰の不足を補いたいという。テサロニケの信仰者たちの霊的成長に大いに感動していたにもかかわらず、やはり信仰にこれでよし、ということはないのであろう、パウロは、成長させてくださるのは神である、と神への信頼をいよいよ深めて、夜昼と祈るのである。

その祈りは三つである(11-13節)。まずは、パウロが、直接会えるであろうことを祈っている(11節)。続いて彼らが愛に満ち溢れるように祈っている(12節)。信仰が強くなることは、愛においても強くされることである。人は、心を尽くして神を愛し、さらに自分の隣人を自分自身のように愛することをキリストに学ばなくてはならない。パウロは、テサロニケの教会が真に「神の愛に生きる教会」となるように祈っているのである。そして最後に、パウロは、彼らが聖く傷のない者となることを祈った(13節)。かつてパウロは律法学者として、自らの聖さを誇った時代がある。しかし、そのような人間の努力ではなく、神が与え、完成させてくださる聖さである。信仰を人間の営みとせず、神によってすべて整えられ、すべて満たされる歩みとしたいものである。

テサロニケ人への手紙第一2章

パウロは、テサロニケに向かう前、ピリピで宣教をした。二回目の伝道旅行で、散々どの方向へ神様が導いているのか迷った末、主が与えてくださったマケドニアの幻に導かれて、即直行した先がピリピだった。そこでルデヤとルデヤの家族が救われていく。しかし占いの霊につかれた若い女奴隷の霊を追い出したために、パウロは、捕らえられてむち打たれ、牢に入れられてしまう。だがそこでも神の御業が起こった。看守が信仰を持つ思いがけない展開に至ったのだ。ただ、ピリピでの伝道はそれまでだった。パウロはそこからテサロニケへ向かうが、テサロニケでは、ユダヤ人の妨害があり、わずか滞在して会堂で福音を語るのみで、すぐに、ベレヤへ移動せざるを得なかった(使徒16:11-17:11)。パウロは、その時のことを振り返っている(2節)。

パウロは、ピリピで、むち打ちの辱めを受けた。それは単に身体的に苦痛を被ったという以上に、ローマ市民であるのに、そうではない者のように扱われた屈辱感を語っている。パウロはユダヤ人にも非ユダヤ人であるかのように扱われたのであるが、ピリピでは、非ユダヤ人であるローマ人から人間以下の扱いを受けたのである。そしてむち打ちのあざがまだ癒えぬ状況のまま、一見何事が起ったかという様相で、パウロはテサロニケの会堂で福音を語った。ユダヤ人の妨害運動が強く起こったのも、当然と言えば当然である。しかし、そういう中で、パウロが純粋な心で語る福音に耳を傾ける者たちもいた。それがテサロニケの教会の初穂だった。おそらく、パウロの宣教に対して、それは誤りであるとか、不順な心で語っているのだとか、騙しごとであるなど、様々な批判が即座に起こったのだろう。けれども、パウロの外見にも、パウロの当時の状況にもかかわらず、パウロが語りかける純粋な福音に耳を傾ける者たちがいた。それはまさに神に与えられた機会であり、神と一つ心になって宣教をする機会であったと言える。神に委ねられたものを、神が喜ぶように語る、神に対する責任として語る時であった。

そうであればこそパウロは、権威ある者のように語るのではなく、遜り、敢えて言えば母親のように関わる時であったと回想する(7,8節)。「母親のように、幼子の言葉で話し、養い育てた」ということである。まさに福音を語り伝えることにおいて心通う、優しい時があった、ということだろう。

そしてパウロは、その当時は、父親のようにかかわる時でもあったと思い起こす(9-12節)。パウロは、宣教のための「労苦」と「苦闘」があったことを伝えている。労苦は、労働に伴う疲れを意味する。確かにパウロは、伝道と生活費を稼ぐ二つの働きのために、疲労感を覚えていたのだろう。父親の働きは、まず家庭を守ること。パウロは、テサロニケの教会の経済的必要に負担をかけさせまいとして、昼も夜も働いた(9節)。おそらく、テサロニケの教会は、ユダヤ人の会堂での働きから生まれたのであろうから、パウロに恩義を感じても、経済的にパウロを支える余裕はなかったと思われる。だからパウロは余計な気遣いをさせまいと働いた。そして、子どもによい模範を示す父親のように、パウロは敬虔に、正しく、責められるところがないようにふるまった。そして、語るべきことを語り、教育した(12節)。

そういう関りの中で、パウロは、テサロニケの教会の人々が、パウロの語ることを、神の言葉として受け止めた主にある兄弟姉妹である、という印象を深く持っている。ただ、その結果は、パウロと同じ扱いを同胞から受けることであった。ユダヤの会堂の中から生まれた教会であれば、当然通るべき試練であったのだろう。パウロは、ユダヤ人の神の前に対する罪を告発している(15節)。彼らは異邦人の間で神の救いのみわざが宣教されることに反対した。その結果、神の怒りを、窮みにまで高めている、という。いわゆる終末における裁きを招く事態に陥っている、という。17節には、「しかし」という反意語が省略されている。先のユダヤ人の姿に対比して、しかし、私たちは、ということだろう。ユダヤ人の反対の激しさに対比して、私たちはテサロニケの教会の人々を切望している、ということだ。それは、福音で結びつき、キリストの苦しみを共にしているという思いがあればこそである。迫害も試練もない平和な状況下にあってこの書を読むのと、同じ禁教下で暴力にさらされながらこの書を読むのとでは、感動の差があるのではないか。福音を分かち合える仲間がいる、キリストの恵みを語り、そこで心通じ合え、一つになれる同胞がいるこれは大きな祝福である。

江戸時代の切支丹殉教の話を聞くと、当時の切支丹の信仰は、十字架による救いが十分解かれておらず、彼岸的祝福に終始し、教理的理解は不十分であったのではないか、と言われることが多い。しかし「どちりなきりしたん」をはじめ、当時イエズス会が用いた多くの教書には、十字架による救済信仰がプロテスタント福音派のごときに語られ、厳しい倫理と現益の超脱を求め、究極的にはキリストの救済に倣い、いのちを奉献することを解いている。実に、キリストの恵み、福音の祝福を分かち合う群れである喜びを、教会においてこそ深く味わいたいものである。次週の礼拝に向けて整えられて行きたいところである。

 

テサロニケ人への手紙第一1章

パウロがこの手紙を書いたのは、使徒の働き(18:1-5)によると、第二回伝道旅行の途中、コリントからで、1年半の滞在中(使徒18:11)の初期であった、と考えられている。年代的にはAD51年頃、パウロが書いた手紙の中で、最も初期のものとなることだろう。

そもそも、テサロニケ教会は、パウロが第二回伝道旅行の際に、数人のユダヤ人と、多くの、「神を敬うギリシヤ人」を回心に導いたことに始まる(使徒17:1-3)。パウロは多くの実りを得ながらも、激しい反対に出会って、わずか三週の宣教活動でその地を後にしなくてはならなかった。十分に教育、訓練されることもなく、テサロニケの教会は取り残され、初めから厳しい迫害の中に置かれてしまうことになった(使徒17:5-9、Ⅰテサロニケ2:14-15)。パウロは、何とかしてテサロニケを再び訪問し、彼らを励まし、また教えたいと思ったようだが、その機会は与えられなかった(2:18)。そこで、パウロは弟子のテモテをアテネから遣わすのであるが(3:2-3)、テモテの報告によれば、なんとテサロニケ教会の人々は素晴らしい信仰と生き方を保っていたのである。ただ一連の教義上の質問を持っていたので、パウロは主としてその中の再臨の問題について答え、称賛と励ましを与えようとこの手紙を書き著したのである(3:6)。

まず、パウロは、テサロニケの教会について自らの印象を述べている。第一にテサロニケの教会は、神に愛された教会である。イエスが十字架によって贖いだしてくださった、教会である。そして、第二に、テサロニケの教会は、確かに神に選ばれた教会であった。普通人は、多くの宗教がある中でキリスト教を選んで信じたと考えやすい。しかし事実は、私たちが聖書の神を選ぶように、神が私たちを導いてくださったのである。

そして第三に、テサロニケの教会は、人間の働きではなく、神の働きによって建てあげられたものである。パウロは言う(5節)。テサロニケに福音を伝えたのは、パウロ、シラス、テモテであるが、福音に心を開かせ、偶像礼拝から立ち返らせたのは、神ご自身である。

もちろん、種がまかれたテサロニケの土壌もまた良かったことは否めない。彼らは、苦難の中にあるにもかかわらず、聖霊の働きに敏感であり、み言葉に心を開き、パウロの語ることを素直に受け入れ、またパウロが語る主に倣うことを大事にした(6節)。つまり、イエスが言う、よい地に蒔かれた種(マタイ13:23)そのものであった。

テサロニケの教会は、パウロの心配に及ばず神に守られて、神に導かれて成長した。しかしそれは、テサロニケの教会の一人ひとりに神を求め、神に従う心があったからである。神は真実であり、神は、一人一人の魂の必要に応えられる。そればかりではない。神が働くところに、良き評判も生じる。

テサロニケの教会の人々の信仰は、あらゆる場所に伝わり、また近隣の教会の模範となった。彼らが偶像礼拝を捨てて、唯一まことの神を信じるに至ったこと、そして、その神に仕える人生を歩み始めたこと、さらに、救い主イエスの再臨を待ち望む信仰に立っていること、それら一つ一つが評判となり広く伝えられるようになったのである。懸命に宣教努力を重ねたというのではなくて、人々が噂で、テサロニケの人々の信仰を口コミで伝播してしまった、というのである。変えられた行動を伴う信仰、日々神に仕える愛、復活と再臨への希望と忍耐、それが、人々の目に留まり、証となっている、すべて神が働いてくださった。自分が思うところを越えて、神が働いてくださった、と思えばこそ、パウロは、神に感謝の気持ちを抱かざるを得ない。まさにパウロが植えたものを、神が育ててくださった、神は生きておられることを実感する教会の歩みなのである。

神の働きに大いに期待し、神の働きに与る、そのような教会形成を進めさせていただこう。