ピレモンへの手紙

この時パウロは、ローマで囚人となっていた。友のピレモンはコロサイにおり、オネシモと呼ばれる逃亡奴隷によって彼らは結ばれることになった。詳細はわかっていないが、オネシモは主人から何かを盗み、ローマに逃亡し、都会の雑踏の中に紛れ込もうとしていたのだろう。しかし、神の摂理により、捕らえられ、投獄されているパウロのもとへと送り込まれ、パウロと出会い回心に導かれ、キリスト者となっていたようだ。

パウロは、挨拶を書き送るが、個人的な書簡であるにもかかわらず、そこにテモテの名を加えている。パウロはテモテを自分の牧会チームの一人として見なしていたのであろう。

さてパウロは、ピレモンをキリストへの信仰に導いていたようである(19)。しかし、ピレモンが所属していたコロサイの教会は、パウロが設立したものではなかった(コロサイ1:1-8、2:1)。それはエペソ伝道の働きの結果として始まり(使徒19,10,20,26)、エパフラスによって設立されている(23)。集会は、ピレモンとその妻アピヤの家で持たれ、アルキポは、彼らの息子あるいは長老と考えられている。

パウロは、ピレモンに挨拶を送る。その中で、パウロは、ピレモンが、イエス・キリストと神の民の双方に対して愛と信仰を抱いている人であると評価している。ピレモンの愛は実際的で、ことばと行いを持って聖徒を力づけるものであった。

そこで8節からパウロはその愛に、懇願し、パウロは要件へと筆を進めていくのである。つまり、本来なら役に立ち、自分の世話のために側に留めておきたいオネシモを、主人の下に送り返すことについての相談であった。当時、約6千万人の奴隷がローマ帝国にいたという。普通の奴隷は、500デナリ(1デナリは一日分の賃金)で売られたが、教養や手職のある奴隷は5万デナリと高価であった。だから奴隷が逃げ出すことがあれば、主人は奴隷の名前と人相書きを登録し、指名手配の対象としたのである。奴隷は、高価で有用な個人財産であり、失うことは高くついたし、逃亡奴隷を、勝手に利用することもできなかった。ただ、逃亡奴隷は機械的に戻されたわけでもない。それは買い戻されなければならず、またローマの法律は逃亡奴隷の処刑を認めていた。だからしばしばそれは残虐な結果になることもあったようだ。

ピレモンにオネシモを送り返そうとするパウロは、まず、ピレモンの人間としての評判から始めている。もはやピレモンは、かつての奴隷ではない、キリストの救いを受け入れ、新しい心を持った、パウロにもピレモンにも役立つ者となっている、と。オネシモは、ギリシャ語で「有益な」を意味する。つまり11節のピレモンと対になった言葉遊びがある。ピレモンという名は、「愛情のこもった」あるいは「親切な人」を意味する。だから、奴隷が自分の名(有益な)に込められた意味に応えることが期待されるとしたら、ピレモン(愛情のこもった)もそうだ、ということだ。パウロは、ピレモンがオネシモを、愛情をもって再び受け入れることを期待している。

だから、パウロは、オネシモが、奴隷としてローマへ逃れたものの、コロサイに兄弟として送り返されることを強調する。彼はかつて主人を裏切った不従順な奴隷であったかもしれない。そして今も奴隷であることに変わりはないが、同時に、彼は愛されるべき主にある兄弟となったのである、と。もちろん、ピレモンにとってオネシモを受け入れることはそう簡単ではなかったはずである。というのも、もし、逃亡奴隷のオネシモに安易な態度を取れば、他の奴隷たちは「クリスチャンになる」ことで全ては穏便に解決されると安易に考えたかもしれない。しかしもし彼が手厳しい態度を取れば、コロサイでのピレモンの証と働きに影響を及ぼすことになっただろう。パウロはそのジレンマを見事に解決した。それは、間に入ったパウロ自身がその代価を支払うことであった。18節、「彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。私が償います」と。イエス・キリストが私たちにしてくださったことを、これほどによく描いた事例はないだろう。神が罪人である私たちを罰し、かつ私たちに愛情を注ぎ、ご自身の子としてくださるために、イエス・キリストが間に入って代価を支払ってくださったのである。問題を解決するには犠牲を支払う愛が必要なのである。

しかしながら、パウロはなぜ、ここで奴隷制度を非難しなかったのだろうか。これは奴隷制そのものを批判する理想的な機会だったのではないだろうか。それは、キリスト教のメッセージが、主として個人に対するもので、社会に対しては二義的なものだったからなのだろう。またそれは、精神的な事柄や道徳感情に働きかけたのであり、その後で結果として行為や制度に働きかけようとするものだった。さらにキリスト教のメッセージは暴力を好まなかった。むしろ良心が啓発されて物事が解決されることを信頼したのである。だから、政治的なことや社会的な制度を直接いじくりまわすのではなく、心に働きかけることをよしとしたのである。クリスチャンは地の塩であり、世の光である。その変化は、まず人の心の内側から起きなくてはならなかった。制度が廃止されるために、人間の考え方が変わらなくてはならなかったのである。

パウロは、ピレモンのキリスト者の良心に期待して、終わりの挨拶へと入る。ヨハネ・マルコは、パウロとともにいた(コロサイ4:10)、この青年は第一次伝道旅行においてパウロと同行することに失敗した人である(使徒12:12,25;15:36-41)。今やパウロは、マルコを赦し、彼の忠実な働きを喜んでいる(Ⅱテモテ4:11)。デマスは、パウロ書簡には3度出てくる。「私の同労者のデマス」(ピレモン24)、「デマス」(コロサイ4:14)、「デマスは今の世を愛し、私を捨てて」(Ⅱテモテ4:10)、と。ヨハネ・マルコは失敗したが回復された。デマスは、パウロの同労者としてうまくやっていたようであったが、躓いてしまった。人間は変わっていくものである。しかし、キリストの恵みによって、オネシモのように、ヨハネ・マルコのように、良き歩みへと変えられていく者でありたいものだ。