2列王記20章

20章 ヒゼキヤの病と癒し
<要約>
おはようございます。本章のヒゼキヤの病と癒しの記事は、18、19章に先んじたものであったようです。時間的に記事が前後していることが聖書には多々あるので、よく理解を深めなければならないところでしょう。しかし、そのように時間を再構成してみると、さらに見えてくることもあります。主に信頼する深さが何によって形づくられていくのかを考えたいところです。今日も、あなたが主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1. ヒゼキヤの病と癒し
ヒゼキヤにまつわる奇跡のエピソードが二つ続く。病気になって死にかかっていたヒゼキヤの涙を見て、神がこれを思い直され、彼の命を15年伸ばしたこと、そして、ヒゼキヤがしるしとして求めた、日時計の陰を10度後に戻されたことである。神は、時を支配する。神にとって時を15年先に伸ばすことも、10度後に戻すことも容易いことである。そんな神に信仰を持つことの意味を改めて思わされる。
しかも、この出来事は、アッシリヤの脅威にさらされていた時に起こったもののようである(6節)。というのも、ヒゼキヤの治世は、29年であり、治世の第14年にアッシリヤの侵攻があり(2列王18:13)、この病の後15年生きることが許されたと考えられるからである。そしてさらに、後の記述からもわかるように、どうやら、アッシリヤに、賠償金を支払う前のことであった、と考えられている(2列王18:15-16)。つまり、時系列的に整理すると、ヒゼキヤの病(20:1-11)、バビロンの使者に対するヒゼキヤの失敗(20:12-19)、アッシリヤの侵略と宝物の明け渡し(18:13-16)、アッシリヤの潰滅(18:17-37)となる。となれば、昨日のアッシリヤ侵略に際してのヒゼキヤの信頼の強さは、どこから来るのか、と言えば、本章の個人的な病の癒しの経験がかなり大きな力を持っていた、と言える。大事なことは、神との間に揺るがない、信頼関係が形作られることである。そして信頼関係の形成は、私たちが神に心を開くことから始まるのである。
実際、ヒゼキヤは「顔を壁に向けて、主に祈った」という。ヒゼキヤは、イザヤの言葉を受けて、神に心を向けて訴えた。彼にとっては、イスラエルのどん底の状況を持ち上げようとする志も半ばで、何ゆえに、死ななくてはならないのか、と納得できなかったことだろう。彼は、イスラエルから偶像を一層し、神の民の国を再興しようとしていた。
神は、そのヒゼキヤの心をご覧になり、祈りに応答した。そして、「三日目には、あなたは主の宮に上る」と、ヒゼキヤが、礼拝的生活を回復することを約束される。確かに、ヒゼキヤの改革は、神を第一とする、神を礼拝する民の形成であって、神はその姿勢を承認し、その姿勢を後押しされたのである。そして、さらに神は、アッシリヤからの救いを予告される(6節)。ヒゼキヤが神を信頼し、なおも神の助けを求めたことは言うまでもない。
2.ヒゼキヤの失敗
 このように神に心から仕えたヒゼキヤであるが、ヒゼキヤは大失敗を犯している。彼はバビロンの使者を歓迎し、見舞いを喜び、全ての宝庫、宝物蔵にあるものを見せた、という。ただヒゼキヤは、バビロンを過度に歓待したわけではなかった。こうした高価な品々の宝物庫を披露することは、同盟関係を証する一般的なことであった、とされる。彼が単純に見舞いを喜び外交辞令としてすべきことをしたとなれば、何が問題だったのか、と思うところであるが、やはり、バビロンを歓迎し、反アッシリヤという協調を手放しで喜んだ、聖書が語らぬ彼の罪があったのだろう。つまり、彼は無意識のうちに神ご自身に頼ることから、自らの知恵と新しい協力者に頼る心に傾いていたのかもしれない。だからこそ、彼が、「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい(19節)」というのは、身勝手なことばというよりは、自分に対する戒めとして、18、19章に描かれたアッシリヤの侵略に際して、バビロンに援軍を求めず、ただ主の前に使者の手紙を受け取って読み祈る行動へと結びついたのだろう。彼は、主の警告をそのまま受け止め、従うところにアッシリヤの脅威からの救いがあり、平和と安定があることを信じたのである。
協力者は協力者として喜び迎え入れなくてはならない。しかし、協力者の協力の結果を出してくださるのは主である。全てよきものは上から来る。主が全てである。こうして「彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどのものはだれもいなかった。彼は主に堅くつき従って離れることなく」(2列王18:5,6)と評される彼の人生があった。
3.ヒゼキヤの業績
ヒゼキヤの大きな業績付加される。特筆されたことは「トンネル工事」である。それは、「ギホンの泉」から涌き出る水をセンナケリブに利用されないように隠し、城内までトンネルを掘って引き入れるものであった。1880年シロアムの池に水を注いでいるトンネルに少し分け入った壁に古代ヘブル文字で刻まれた「シロアムの碑文」が発見され、その工事の事実は裏付けられている。歴史に実在したヒゼキヤの信仰に学ぶところである。

2列王記19章

19章 ヒゼキヤの信仰
<要約>
おはようございます。実に、ヒゼキヤの信仰と祈りに教えられるところですね。極度の弱さの中に貶められながらも、主への信頼を失わない、それが信仰者です。いやいや、そうはならないという気持ちを持つかたもおられるかもしれませんが、それは、育てられ、養われる部分でもあるのです。必ずや主の者として捉えられ、揺るがない信仰へと導かれていくことを期待したいものです。今日も、あなたが主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.弱さの中の信頼
「きょうは、苦難と、懲らしめと、侮辱の日です。子どもが生まれようとするのに、それを産み出す力がないのです。おそらく、あなたの神、主は、ラブ・シャケのすべてのことばを聞かれたことでしょう」(3,4節)ヒゼキヤの信仰である。
昨日も、教えられたことであるが、この時、ユダ南王国は、全てをはぎ取られており、もはや何の望みもない状態であった。ただ裸身で神のみに頼る状況の中で、普通だったら、もうだめだ、神も仏もないと諦めてしまうところだろうが、ヒゼキヤは、この弱さの内に神が働かれる信仰を持ち続けるのである。彼は痛み悲しみつつも、自分の身の寄せ所を知っていた。ただ彼は、神が自分に応えてくださることを確信していたが、その実を得ることができない、もうすぐ喜びが訪れようとしているのに、その胎の実を産み出す力がないと感じていた。もし祝福があるとしたら、神の憐れみのみによるという、極限まで弱められた姿がそこにある。
望みえない時にこそ、神に望みを持つ、信仰を持つ者にはよく理解されることだろう。そして、本当に望みえない、全く自分が無に帰せられる時に、神の憐れみがあれば、となおも主の前に祈り続ける、それは、彼の信仰を証していた。彼にこのような不動の信仰を与えたのは、やはり、「高き所を取り除き、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、モーセが作った青銅の蛇を砕いた」徹底した神への従順があったから、あるいは、「彼はすべて父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った(2列王18:3)と神に評価されるような生き方があったからである。彼はその義しい歩みの故に、確信をもって主に祈り続けることができたのだ。となれば、キリストの義の故に、神に受け入れられている私たちはなおさら、深い確信を持って祈り続けるべきものである。だが、そのようになれず、神との関係にぐらつく時代も当然あると言うべきだろう。そのような時代を経て、なおも、イエスが「私に留まりなさい」と命じられたように、主のみことばに自分を浴し続ける時に、神が私たちの魂を捉えてくださり、私たちは、ヒゼキヤのように、望みなき所で、もう神も仏もないという風にはならず、極限までも弱められながらも、生まれる、しかし力がない、主よあわれみを、という祈りをすることができるのである。そしてヒゼキヤにイザヤのことばがあったように、そのような信仰を支え続ける、神のみことばも与えられるのである。全てよきものは上から与えられる、と言うべきだろう。
3.ヒゼキヤの祈り
そして教えられるのは、そのような中で、どう祈るかである。重ねてアッシリヤの脅しの手紙の圧力が加えられた時に、14節、ヒゼキヤは、ただそれを手に、主の宮に上って行って、それを主の前に広げて祈った、とある。単純なことである。なすべきことをなす、淡々と祈り続けることである。悩まず、嘆かず、ただ、事実を示し、神に訴えるのである。望み得無き状況で、自分に神の奇跡を産み出す力がないことを素直に認めて、ヤコブがそうであったように、あるがままに神に寄りすがるのである。主の祝福なくして、もう一歩も先に進めない、と神にしがみついて、祝福の神を去らせないのである。
4.義しい神、契約を守る神
アッシリヤの軍隊は一夜にして崩壊した。何が起こったのか、細菌性の赤痢が起こったのではないか、ペストが起こったのではないか、色々と推測は去れているが確かなことはわからない。ただ、それは、まさに主のあわれみを示す歴史的出来事として生じた。ただ、ルーブル美術館所蔵のセンナケリブの年代記の断片に、それは、記されていない。
主は、万物の創造者であり、保持者である。センナケリブが自らの実績として誇示したことばも、それは、神のご計画の中で起こっていたことである。主はセンナケリブの一挙手一投足を見て(27,28節)、そこに高慢さを認め、アッシリヤに引き戻されることを決意された、と語る。ヒゼキヤが願ったことは、センナケリブの圧力が解除されることであった。しかし、主の関心はユダを圧迫するセンナケリブの横暴よりも、センナケリブ自身の高慢にある。ユダはユダで、センナケリブはセンナケリブで、主は裁かれるべきことがあるとみておられる。
 また、全てをはぎ取られ、たとえこの危機を回避しても先のないユダに、主はさらに憐れみを加える約束をされている点に注目される。荒れた畑は修復され、しばらく途絶えていた収穫が再開する、と(29節)。「下に根を張り、上に実を結ぶ」(30節)。実に、私たちが試みられるときに、私たちに下に根を張る余裕もない。ただ取り立てに追われる毎日で、何の余裕もなく、緊張に心が無感覚になることもあるだろう。だが、神は憐れみを加え、その約束を、熱心さによって、また「わたしのしもべダビデのために」(34節)という契約の確かさのゆえに守られるとする。
 究極的な解決は神にあることを知らねばならない。人生には、身内も友人も助けにはならない、組織も助けにはならないことがある。孤立無援の中でなすすべ尽きてしまうことがある。しかし、神に望みはある。神の憐れみに寄りすがり続ける霊的な深さを持とう。

2列王記18章

18章 ヒゼキヤの信仰
<要約>
おはようございます。本日の箇所は、考古学的な発見が色々とあり関連づけられていて興味深いところです。アッシリヤの包囲時に使用されていた便器の排せつ物が分析され、当時のユダヤ人が生肉しか食べることができない状況にあったこともわかっています。聖書の世界がリアルに再現される時代のお話になってきました。聖書通読が楽しくなるためには、ある程度の知識の蓄積も必要です。一つ一つ積み重ねてまいりましょう。今日も、あなたが主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.サマリヤの陥落、ヒゼキヤの治世
ついにサマリヤは陥落し、イスラエル北王国は滅び去った。聖書は、「これは、彼らが彼らの神、主の御声に聞き従わず、その契約を破り、主のしもべモーセが命じたすべてのことに聞き従わず、これを行わなかったからである」(12節)とその原因を明記する。実に悲しい結末である。神に聞き従わないことは、結局は、世俗化の道であり、地の塩、世の光としての証しも失われ、役に立たない者として自ら滅び去っていくのみである。
他方、ユダ南王国では、ヒゼキヤが王となった。ヒゼキヤは、これまでのどの王とも異なり、全く主に心をささげきった王であった。彼は「ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った」とされる。高き所を取り除き、偶像を壊し、モーセの作った青銅の蛇すら打ち砕いている。聖書は彼が主に祝福され「どこへ出陣しても勝利を収めた」(7節)と評価する。彼は、アッシリヤの脅威に備えて、水道確保のトンネルを作っている。それは城外にあった「ギボンの泉」から涌き出る水を、アッシリヤに利用されないように隠し、トンネルで繋いで城内まで引き入れるものであった。その工事が、この時代のものであったことは、1880年に発見された「シロアムの碑文」に明らかである。こうしてヒゼキヤは防護体制を固めていくのであるが、アッシリヤの勢いは止まらなかった。
2.ユダ南王国の危機
サマリヤを攻め取ったアッシリヤの王は、続いてエルサレムへと侵攻した。その記録は、聖書外資料で大英博物館に所蔵された、センナケリブの記録「ティ-ラー・プリズム」に詳しい。センナケリブ王は、フェニキヤを経由し、ティムナ、エクロンなど26の城壁のある町々とそれを囲む無数の小さな村々を攻め取り、エルサレムの南西約50キロのラキシュに本陣を置き、そこから折り返して北上し、ベツレヘム、エルサレムへと侵攻した。当時イスラエル第二の都市であったラキッシュを攻撃した時の様子は、センナケリブの王宮の壁に彫られたレリーフに再現されている。ヘブライ大学のラキシュ第七次発掘調査に参加した時に、ガンフィンケル教授が、「このラキシュ攻落のために、小高い丘の上にある町に攻め込むランプ(坂道)を作った石材をどこから持ってきたか、それが未だになぞなのだよ。この問題を解いてくれないか」と、笑いながら話してくれたことがあった。発見された無数の矢じり、黒く焦げた壁跡、当時の戦いの激しさがあった。
ともあれアッシリヤとユダ南王国の力の差は歴然とし、ヒゼキヤは即刻自らセナケリブに逆らったことを詫び、停戦を申し出ている(14節)。だがヒゼキヤは、銀300タラント(11トン)と金30タラント(1トン)を戦争賠償金として支払うことになった。アッシリヤ側の記録であるティーラー・プリズムとその記載は多少違うものの、ユダ南王国は、その必要のために主の本堂の扉と柱から金がはぎ取られた。なんとも惨めな状況である。実際ユダ南王国には、光物の宝物はもはや残っていなかった。だからティーラ―・プリズムによれば、ヒゼキヤは、この戦争賠償金に加えて最良のアンチモニー、象牙装飾の寝台や肘掛椅子、象の皮革や牙、黒檀、つげ材、そして彼の娘や婦人たち、男女の歌い手などを献上したとされている。既にアハズの時代、神殿の祭壇は石造りのものと改修され、青銅ははぎ取られ、ついに本堂の扉と柱からも金がはぎ取られてしまい、装飾と思われるものは皆奪われてしまった。ソロモン時代の豪華絢爛な面影など全く失われた、色あせ丸裸にされたエルサレムの姿がそこにあった。
3.アッシリヤの包囲

だが、アッシリヤは帰らなかった。アッシリヤはエルサレムを包囲し、ヒゼキヤに完全降服を求めてきたのである。センナケリブに遣わされたラブ・シャケが語る。「主が私に『この国に攻め上って、これを滅ぼせ』と言われたのだ。」(25節)神を信じない者が、神の御心を語ろうとする。そして言う。「国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出しただろうか。主がエルサレムを私の手から救い出すとでも言うのか」(35節)。いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。」(19節)。ラブ・シャケは、高慢にも神の玉座に上がり込んで、自らの言葉を語った。まさに現実を見よ、目に見えない神をあてに生きる愚かさかをやめよ、ということだろう。実際、ユダの人々は、アッシリヤに逆らって滅んだイスラエルを目の当たりにしたばかりではなかったか。
しかし信仰の王ヒゼキヤは、あくまでも神の介入を期待し、沈黙を命じた。そしてエルサレムは沈黙した。確かに、自分たちの国を滅ぼそうとしている者たちの前で哀願するのは空しい。むしろ、神の介入を待ち望むのであれば、沈黙こそ正しい対応である。たとえそれが人の目に万策尽きた人、終わった人のように見えることがあっても、最も弱いところに主の御業が強く現されることを知る者の姿なのである。

2列王記17章

17章 北イスラエルの最期
<要約>
おはようございます。本日は北イスラエル滅亡の場面です。その理由は、主に対して罪を犯し続けたためである、とされます。一方、滅亡した北イスラエルの首都サマリヤに強制移住させられた人々の信仰についても触れられます。彼らはサマリヤ人の起源となっていくわけですが、彼らの特徴は宗教的混交主義でした。「主だけを恐れよ」「他の神々を恐れるな」と語られます。まことの神様ただ一人を認めていくこと、これがキリスト教信仰の出発点です。今日も、あなたが主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.イスラエル最後の王
 ソロモン王以降、北のイスラエルでは、19代目の王としてホセアが王位についた。聖書の著者は、彼について「主の目の前に悪を行ったが、彼は、以前のイスラエルの王たちのようではなかった」と評価する。つまり、ホセアはそれまでの王ように悪くはなかった、ということである。ということは、イスラエルが悪に悪を重ねて、末期症状でついにその王国の滅亡を迎えたというよりは、改善の兆しを迎えたところで神のさばきを受けたかのようにも考えられるが、事実はそうではない。既に北イスラエルはことごとく弱体化し、アッシリヤに剥ぎ取られ貧しくなり、もはや悪を行い続けるだけの力もなくなったのであって、だから前の王のようではなかった、というに過ぎないのである。エネルギーを失い、おとなしくならざるを得ない状況だった、というわけである。実際ホセアにもはや戦略もあり得なかった。彼はアッシリヤに隷属しながら、もう一つのエジプトにも頼ろうとする。ぎりぎりの窮地にあって、彼は、さしたる考えもなしに、何かはうまくいくかもしれない、とあれこれ試みているだけである。
アッシリヤの王は、サマリヤを占領し、イスラエル人を捕虜として捕らえ移し、それと引き換えに、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そしてセファルワイムからの人々を連れて来て住まわせる政策をとった。いわゆるアッシリヤ捕囚(BC722)である。サマリヤの惨憺な最後は、預言者ホセアによって予告されていた(ホセア13:16)。それは、現実のものとなった。そして、聖書の著者は、続ける。「こうなったのは~主に対して罪を犯し~歩んだからである」(7節)と。偶像礼拝の罪が、結果的にイスラエル北王国の滅亡を導いたのだと、と。というのも、イスラエルが召し出された目的は、異邦人にとって神の民として自らを証し続けるためであった。諸国の祝福の基となる神の民が形作られるためであった。その役を果たし得なければ、まさに「土地にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられてしまう」(ルカ14:35)のである。
2.サマリヤ人の起源
 既に述べたように、バビロンの北東のクテ、オロンテス河畔のハマテ、ダマスコ近くのシブライムといった様々な地域から新しい住人が移住させられてきた。アッシリヤは民族融合政策を取ったのである。これが後のサマリヤ人、つまりイエスの時代、ユダヤ人が軽蔑し、見下すようになった、ユダヤ人との混血の人々の起源となっていく。
彼らは、イスラエルの主を恐れなかったので、主が獅子を送り、何人かが犠牲になってしまう事件が起こった(25節)。これに対して、アッシリヤの王は、イスラエルの神を敬わない結果であると考え、サマリヤから捕らえ移された祭司を送り、「どのようにして主を礼拝するか」を教えるようにした、という。郷に入っては郷に従えと言わんばかりに、その土地の神との付き合い方を学ぶようにした、という。
しかし、実際に祭司が来て色々と教えても、彼らは、めいめい自分たちの神々を造り(28,29節)、主を礼拝しながら、同時に、自分たちの神々にも仕えていた」(33節)、という。聖書から教えても、聖書の教えは教えとして受け止めるものの、一端脇に置いて、自分流に信仰の歩みを続けるようなものだろう。
 古いものを引きずったままで新しいものを建てあげることはできない。主を信じることは、古い自分に死ぬことであるし、新しく変えられることである。これまで頼ってきたあらゆるものを捨て、ただ主にのみ頼り直すことである。まさに私たちの態度、姿勢を変えなくては、新しい歩みは導かれようがない。「主だけを恐れ」「ほかの神々をおそれてはならない」という言葉が繰り返される。信ずべきお方はただお一人、天地創造の主だけである。
聖書が語るところよりも自分が思うところを優先させる信仰のあり方から足を洗っていきたいものである。そのためには、ただ主を恐れることだ。恐れるべきものを恐れ、恐れるべきでないものを恐れないことである。だが、私たちはそんな単純なことができていない。祝福の契約を結び、契約に忠実である神にこそ恐れを持って信頼すべきである。それ以外の何物も、目の前の脅威をもたらす人間すらも恐れてはならない。ただ主を恐れ、主に従う歩みをさせていただこう。

2列王記16章

16章 アハズの時代
<要約>
おはようございます。それまで、条件付けで承認されていたユダの王様たちでしたが、アハズに至って、彼の信仰的態度は、全く神のみこころにかなうものではありませんでした。彼は目に見えない神を見ようとせず、もはや、ただ、人間的な社会の力関係の中で生き延びようとするのです。しかしその結果は、ますます惨めなものであったことがわかります。主に頼ることの、可能性と恵みがあることを忘れてはなりません。今日も、あなたが主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.アハズの信仰の特徴:人頼み
 ユダの王アハズの記録である。アハズに対する評価は、これまでの王に対する評価よりも厳しい。著者は、アハズの背教の状況を記録し、「異邦の民の、忌み嫌うべき慣わしをまねて、自分の子どもに火の中を通らせることまでした」(3節)という。これは、ユダ南王国がダビデ王以来の伝統を捨てて、イスラエル北王国の背教に倣った、最初の例であった。 
その頃、北方のアッシリヤはエジプトに近いガザに進軍し、軍事遠征を進めていた。既にアッシリヤの貢納国となっていたイスラエル北王国とアラム王国は、この時反アッシリヤ同盟を結んで反乱を起こしたが、ユダ南王国がこれに参加しなかったために、彼らはユダ南王国を攻撃するのである。その様子は、2歴代誌28章に詳しいが、ユダ南王国は二つの王国によって大きな損害を受けた。彼らの多くの人々はダマスコに捕らえ移され、略奪された。そこでアハズはアッシリヤの王ティグラテ・ピレセルに使者を遣わし、アラムに報復を求めるのである。アッシリヤの王は、アラムの王レツィンを殺し、ダマスコを占領した。しかしそれは、さらに大きな損失を生み出す結果となった。アハズは、結局主の宮と王宮にある金銀と引き換えに、助け出され、また、これまで以上の恭順をアッシリヤに示さなければならなかったのである。
預言者イザヤは、「気をつけて静かにしていなさい。恐れてはなりません」(イザヤ7:4)、と豊かに恵みを施し、すべてを最善に導かれる神に信頼するように警告していたが、アハズに聞く耳はなかった。アハズには、目の前の脅威を、目に見えぬ神の助けによって乗り切る信仰はなかった。アハズの行状を見れば当然のことである。だが、万物の創造者であり、主権者であり、保持者であるまことの神を確かに覚えることができれば、この危機の乗り越え方も違ったことだろう。そして、神に御業を仰ぐことで、自らの人生への結末も違うものを期待することができたはずである。
2.落ちぶれたユダ南王国
 10節、アハズは、アッシリヤの王ティグラト・ピレセルに会うために、ダマスコに行ったとある。この当時の様子は、聖書外資料として碑文に詳しいようだが、貢納国のユダを初め、アンモン、モアブ、エドム、ガザなどの君主とともに、アッシリヤの君主に貢納するため、ダマスコに会合したようである。
さてアハズ王は、そこで見た祭壇の図面と模型を祭司ウリヤに送り神殿の改修を命じている。イスラエルの神に詳細な作り方を示されて造られた、元々あった青銅の祭壇は、脇に備えられ「私が伺いを立てるためのものとする」と王専用の祭壇とされた。しかし実際のところは、それは言い訳程度のものであった。というのも、その他の調度類は、解体され、移動させられて、誰の目にもそれは神殿大改修の印象を与えるものであったが、目的は他の所にあったのである。一説にアハズ王は、イスラエルの神の無力さを嘆き、ダマスコの神を敬う気持ちになったのだ、という者もあるが、実際には、それは、アッシリヤへの貢物を用意するための苦肉の策であったとも考えられている。18節、「アッシリヤの王のために」とある。つまりアッシリヤの王に忠誠を示し、貢物として青銅の装飾品を提供するためである。アハズは、アラムとイスラエルを追い払うために、アッシリヤ王の助けを得たが、その時既に主の宮と王宮の宝物倉にある金銀を贈り物にしていた。だからもはや貢物として提供できるものは、神殿に残っていた青銅の、ただ神のためだけにささげられた装飾品以外になかった、というわけだ。実際、ダマスコの祭壇を参考に造られた祭壇は、石の祭壇であった、と考えられている。
 栄華を極めたソロモンの時代は、実に、イスラエルのいのちである神殿そのものの解体を余儀なくするところまで落ちぶれてしまったのである。そしてユダ南王国と神との離婚は明らかな事実となってしまった。
しかしそれが誤った同盟、誤った援助者を求めた結果であり、代償なのである。人を恐れ、人を頼る悪循環から、私たちは解放される必要がある。主を信頼するように勧める、聖書のことばに心を留めていくこととしよう。