マルコの福音書8章

1節、「イエスは町や村を巡って、神の国を説き」とある。おそらく、イエスに対する敵対意識が高まり、イエスはもはや会堂では教えることができず、どうやら、戸外でそこかしこに集まる人々に宣教をするようになったのだろう。イエスは聴衆に不自由することはなかった。しかし、イエスの関心は聴衆を集めることではなく、奥義を伝授する、神の民を養い育てることであった。だから、教えと業を通して、側に仕える弟子たちに神の民のマインドを教えようとしている。

8章の前半は教え、後半は奇跡の物語である。教えは、よく知られた種まきのたとえ。イエスに従う者を四種類の土地に蒔かれた種の成長にたとえている。確かに、神のみことばに対する聞き方も様々である。聞いても注意を払わない人(道ばたの者たち)、みことばを喜んで受け入れても、それを深めようとしない人(岩の上の者たち)、世的な関心が強すぎて結局霊的な実を結べないでいる人((いばらの中に落ちた者たち)、そして、神のみことばに正しい反応を重ねて実を結ぶ人(良い地に落ちた者たち)がいる。聖書を読むだけ、あるいは、礼拝説教を聞くだけの生活ではだめで、聞いた神のことばと共に生きる、つまり、神のことばに信頼し、忍耐をもって実を結ぶ努力をし続けていくことが大切なのである。聖書を同じように読んでいながら、信仰生活に差が生じるのは、そういう問題であろう。聖書を律法主義的に読むように努力することと、喜びを持って、神との関係を深めようと努力することは、ある意味で紙一重である。それは全く異なるものであるが、その違いが分からない人は多い。また教会は、そのように、神のみことばに真摯に取り組む霊的な絆を持った者の集まりである。神のことばによって一瞬一瞬支えられている者たちが、共に生きている、それが神の家族と呼ぶにふさわしい。まさに「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う人たちです」(21節)というように。ルカが、他の福音書記者と異なり、このイエスの家族のエピソードを、種まきのたとえの後に置いたのは、そんな意図を持ってだったのかもしれない。

さて、神の力を味わい知る、四つの奇跡が続けて語られている。嵐を沈め、悪霊を追い出し、長血を患っていた女を癒やし、ヤイロの娘を生き返らせている。死人をよみがえらせ、病気を癒す奇跡。すでにルカは4、5章、7章にも奇跡を書き記してきている。しかしその書き方には多少の変化がある。4、5章、7章、そして8章へと進むにつれ、イエスは大勢の前から、少数の弟子たちの前へと奇跡を起こす場所を絞っている。イエスは、身近な者を訓練することに集中した。先にも書いたが、イエスの関心は聴衆を集めることではなく、弟子を育てることにあったのである。

最初の奇跡は、イエスが自然を支配する神の子であることを示している(25節)。そしてイエスの奇跡は、嵐を静めたが、実際には弟子の心を静めている。私たちもイエスが、私たちの波立つ心を静められる方であることを知らなくてはならない。神と共に歩む時に、私たちは、私たちに関わる神を味わい知るようになる。試練は、信仰を成長させる時である。宗教改革者のマルチン・ルターは、祈りと試練が神学者を作ると語った。

次に、悪霊つきの男の癒やし。この男は、悪霊に取り付かれ、自分と悪霊の区別もつかぬほどに自分を失い、狂わされた人生を生きていた。彼は「墓場に住んでいた」と言うが、興味深いのは、この奇跡を見た町の人々の対応である。彼らは、この狂った男が正気に返ったことを喜ぶのではなく、恐れを抱いている。彼らは、正しいことがなされても、喜ぶことがなかった。現状維持がよかったと言わんばかりである。しかしそのような心こそ、神の奇跡を遠ざけている。神は偉大なことをなさるお方である。変化を恐れてはいけない。

12年の長血をわずらった女は、そんな変化を自ら求めた人の話である。イエスはこの女の信仰を見逃されなかった。大切な点である。どんなに小さな者であれ、信仰によって近づく者を神は見逃すことはない。大切なのは、神に近づく者に、神は報いられるお方であることを信じることだ。しかもその信仰は可能性に基づくものではない。望み得ない時にこそ望みを抱くものである。ヤイロの娘の物語がそれを伝えている。もう、必要がない、もう来ていただいても無駄であるという状況の中でイエスは奇跡をおこなわれた。神に遅すぎることはない。人には、墓場に縛り付けられるような、生きる望みを失う状況に置かれることはあるだろう。しかしどんな時も嵐と悪霊と死と病に力を及ぼされ、回復される神を覚えたいものである。いつでも神に望みを抱いて歩ませていただきたいものである。

マルコの福音書16章

「安息日が終わって」イエスはよみがえった。しかしイエスの弟子たちは誰一人、イエスのよみがえりの約束を思い起こすことができずにいた。マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメが、イエスに油を塗りに行くために、香料を買ったとある。それは葬りのための香料で、女性たちは、機会を改めしっかり葬り直そうと考えていたのである。さらにイエスが復活したと聞いた時の最初のレスポンスは、信仰による喜びではなく、恐れであったという。あれほど、イエスと親しく時を過ごし、イエスの教えを3年間みっちり受けながら、彼女たちも、弟子たちも、イエスが語られたことをよく理解していなかったのである。イエスはその「不信仰と頑なな心をお責めになった」というが、それは、私たちもて同じであったことだろう。イエスの復活の力を信じられないからこそ、いつまでも、無力感、絶望感に浸りきった人生を生きている。どうせ私の人生はこれで終わるのだと諦めに満ちた人生を生きている。クリスチャンであるという名札は下げているが、中身はそうではない。動かし難い山のような現実を前に、からし種ほどの信仰もなく、ただ教会に惰性で通い続けている人は少なくないだろう。しかし、そういう不信仰からは卒業しなくてはいけない。弟子たちのように、その不信仰とかたくなな心を責められ、イエスにはっきりと語っていただく、人ではなくイエスにしっかり目を覚まされることが、起こってこないと、こういう不信仰は乗り越えがたいものなのだ。
さて、マルコの福音書の終わり方は、実に不自然である。新改訳2017では、アスタリスクで始まり括弧つきで終わる文章がある。また、9節とあり、同じようにアスタリスクが付けられて20節で終わる括弧つきの文章がある。つまり、マルコの福音書は、ギリシャ語の写本では、合計四つの終わり方があるということだ。一つは、唐突に8節で終わる写本がある。二つ目に、8節からアスタリスク付きの短い追加文で終わるものがある。三つ目に、8節以降9節から20節の長めの追加文に続いて終わるものがある。最後に今日の私たちの目に触れることのなかった未知の終わり方をするものがある、というわけだ。
どの終わり方が、マルコの自筆のものなのか、色々と議論されてきてはいるが、結局今日の研究では、これらはマルコの手によるものではなく、誰か別の人が8節で破損して伝えられたかもしれない写本に付け加えたものだとされている。だから、マルコの自筆は8節までで、短い追加文は、不自然に終わる末尾を完結しようと整えたもので、9節から20節にある長めの追加文は、マグダラのマリヤの物語(9-11、ヨハネ20:1-8)、エマオの途上の物語(12-13、ルカ24:13-35)、大宣教命令(14-15、マタイ28:18-20)と他の福音書の最後の主題を網羅している点があり、もしそうであれば、この末尾は、これらの福音書の後に、マルコ以外の手で書かれたことは確実である。だから、エウセビオスやヒエロニムスのような初期の人々には偽作と見なされているのだから、それ以前に、本来の末尾が適切ではないというので、あるいは失われていたので、仕上げようとした試みなのかもしれない。もちろん、内容は聖書として正確であったとしても、本来のマルコの本文であるということは言えないのではないか。
となれば、この箇所の注解を試みることにおいては慎重にあらねばならないし、また議論の多い点については、別の福音書においてより明確に語られている方をメッセージとして受け止めるべきことにもなる。だから、18節「たとい毒を飲んでも」は、論議のあるところであり、解釈においては留保を余儀なくされざるを得ない。それ以外の言及については、悪霊を追い出したり(使徒16:18)、ペンテコステ以降新しいことばが語られたり(使徒2:4)、パウロが蛇を日の中に振り落としたり(使徒28:5)、病人の上に手を置いて癒したり(使徒28:8)と他の箇所でも確認できることである。そういう部分もあるが、内容においては大方間違ったことは言っておらず、マルコの意図を共有した締めくくりである、と言える。20節は、他の福音書にはない、マルコの福音書が書かれた時代を彷彿とさせる初代教会史に踏み込む内容である。いわばルカが自分の福音書に加えた使徒の働きを、一節に凝縮要約したような内容である。教会は主に導かれて前進するのだ。初代の熱意に触れるところでもある。

マルコの福音書15章

当時のユダヤは、ローマの支配下にあり、死刑を科す権限は認められていなかった。そこで、ユダヤの最高裁とも言うべきサンヘドリンの議会は、イエスの身柄をパレスチナの行政長官であった「総督ピラト」のもとへと送った。しかし、すでになされていたイエスに対する裁判は、すべて正式な手続きを欠いた不正なものであった。たとえば重大な犯罪の場合逮捕は夜ではなく、日中にされなくてはいけなかった。死刑が予測される評決は、裁判と同じ日にしてはいけなかった。議員は、証言を聞いた後で一度家に戻り、3日後に再び議会に集まり、被告人の証言に耳を傾け判決を下すことになっていた。さらに判決は若い議員から年長の議員へと、一人一人順に有罪・無罪を投票するのであるが、イエスに対する判決は一斉採決となっている。

ともあれ祭司長たちはイエスの有罪をピラトに訴えた。マルコは、ピラトが、へロデ王の裁決に委ねようとしたことを記しておらず、ピラトの最終尋問のみを記載している。ピラトにとっても、無実とわかる男を取調べ、有罪の宣告をすることは避けたい事態であったのだろう。「あの人がどんな悪いことをしたというのか」ピラトは人々の良心を覚まそうとする。しかし、人間は複雑なものである。公正な裁判をすべきピラトも群集の機嫌をとろうと熱心党員であり殺人犯であるバラバを釈放し、無実と明らかなイエスを鞭打って後、十字架につけるようにと引き渡してしまうのである。なすべき正しいことがわかりながら、多勢の圧力に屈し、保身に走ってしまうのが人間である。

嘲弄する兵士たち、ののしり道を行く人々、あざける祭司長たち、そして遠巻きに傍観者となって見ている人たち、その場の勢いに飲み込まれ、判断停止をしてしまった人間社会の最も矛盾した状況が描かれているが、人間はこんな程度のものなのだろう。そんな中、ただひたすら無言で、神のみこころに服していくイエスの姿が印象的でもある。

十字架は、奴隷あるいは外国人のための処刑の手段であった。ユダヤ人の死刑は、普通石打ちであり、死体は夕方まで「木」につるしてさらしものにする。それは、神の怒りと呪いの下に置かれていることを象徴するものであった。だから祭司長たちは、イエスを同胞ではなく異邦人同様に扱ったのであり、さらに神の目からも呪われた者であることを公衆に示そうとしたのである。イエスは最も激しい憎しみと怒りを向けられたのである。

イエスは十字架にかけられる前、没薬を混ぜたぶどう酒を与えられているが、それを「お飲みにならなかった」という。兵士たちは、イエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだり、散々イエスを嘲弄した。イエスは前の晩から一睡もせずに、痛めつけられ、鞭打たれ、十字架を背負わされ、刑場に引っ張られていく。イエスの体と心はぼろぼろであっただろうが、イエスは、その苦しみを和らげる没薬を飲もうとはしなかった。それは、私たちの罪の赦しのために、全ての苦しみをしっかり受け止められた姿である。イエスは息を引き取られる前に「我が神、我が神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれた。まさに、人ばかりか、永遠の神にすら見捨てられる、その試練を受け止められたのである。

それは、私たちの全ての罪の身代わりとなり、神の呪いを一身に受けられた姿であった。私たちの救いに必要なことはすべて、イエスが成し遂げてくださったのであり、何一つ加えるものはない。このイエスの苦しみの故に、今や私たちの全ての罪は赦され、神に見捨てられることもない。イエスの十字架の故に、私たちは神の怒りから救われたのであり、神ののろいから解き放されたのである。その出来事が自分に対する者であると受け入れて行くことが、私たちの救いである。信仰は、イエスの苦しみを自分のものとして受け入れ、実際に神ののろいから解き放たれていくことである。もはや私に対する神ののろいは取り去られた、私に対する神の怒りは取り去られた、とイエスの十字架を感謝し、イエスの身代わりの死をしっかり受け入れて、祝福の神との新しい歩みを踏み出していくことに他ならない。

イエスは、大声をあげて、息を引き取られた、という。何を叫んだのか。ペテロの通訳者であったマルコはそれを不明であるとしている。ペテロには聞き取れなかったのかもしれない。しかしヨハネは、それが「完了した」であった、という。裏切りの最中にあったペテロには耳を塞いでしまうような瞬間であったのかもしれない。イエスの十字架を受け入れるには、直ぐな、正直な心が必要である。素直に、イエスの十字架の意味を考えてみよう。そして、今日、イエスにある罪の赦しを受け入れて歩ませていただこう。

マルコの福音書14章

14章は、十字架前夜、最後の晩餐とゲッセマネの園での出来事、そして逮捕と裁判、いわゆる受難物語と呼ばれる部分となる。

その前夜、石膏のつぼを抱えた一人の女性がイエスに近づいてきた。そのつぼには、ナルド、つまりインド、ヒマラヤ産の植物の根茎から採れた高価な香油が入っていた。当時、この香油は、家庭の芳香剤として、また女性が使う香水として、さらには、宗教的な礼拝儀式や死体を葬る時の芳香剤として、様々な形で使われていた。また、客人が家に到着したり、食事の席に着いたりした際に、この香油を数滴振りかける習慣もあった。

ところが、この女性は、イエスに近づくや否や、数滴どころか、壺を割って、その中身を全部イエスに注いでしまったのである。女性を非難する声が上がるのも、無理はなかった。壷の値打ちは300デナリ以上、当時の労働者の日当は1デナリであったから、約一年分の収入である。集まった人々は、これを大変な浪費と考えたが、イエスは、これを美しい行為であると評価する。というのも、イエスは、この女性の行為にご自分に対する真実な愛と献身を見たからである。確かに愛は偉大な浪費である。

次にユダの裏切りのエピソードは、この女性の愛とは対照的で、自己愛に満ちた物語である。彼は自分の師を売ろうとしていた。彼は自分の師を裏切るには今しかない、そのように考えた。今この時を別々の意味で掴んだ二人の姿が対照されている。今が愛を現す時であると考えた女性と、今こそ裏切りのチャンスであると考えたユダ。私たちは今どちら側にあるのかを考えたいところではないか。自分は間違ってもユダではないとしても、この女性でもない、ということがあるのではないか。

続いてイエスは、聖餐の時を持つ。それは、五千人の給食を思い浮かばせる、恵み深い祝福の時であると同時に、新しい契約の始まりを告げる時であった。主の晩餐は、終末の日に結び付けられ、その日に私たちの心を向けさせるものだ。

しかし、ペテロや他の弟子たちの心は今に向かっていた。裏切りを宣告されたペテロは「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません」(31節)と断言する。ペテロだけではない、皆がそうした。これも対照的である。親密な終末を指向する交わりに、今この時の、危うい絆が浮き彫りにされている。もちろん彼らに裏切りは考えられなかっただろう。しかし、見るべきものを見ていない絆は、あっという間に崩壊する。長い信仰生活の中には、クリスチャンの交わりの素晴らしさを感じながらも、それが実はこの世の世界のそれと変わらぬ表面的なものであった、と失望するような経験をすることがある。終末のキリストを中心としない交わりは、表面的な世のそれと変わらいものなのだ。

最後にゲッセマネの園での苦しみと、イエスの逮捕。おそらく彼らも、他の巡礼者たちと同様に、オリーブ山の木々の間で野宿をしようとしていたのであろう。しかし、事はすでに起ころうとしていた。イエスは、弟子たちに祈るように命じられる。祈りは信仰の表明である。彼らは3年もの間、信仰を用いるように教えられてきた、今ここでその信仰を働かせて、主のために彼らもまた心を合わせて祈るべきであった。しかし彼らにそれはできなかった。その動詞は、変貌山の麓で弟子たちが少年をいやすことが「できなかった」と言うものと同じである(9:18)。信仰と祈りは一体である。祈りの不足は信仰の不足であり、信仰の不足は祈りの不足である。

そして時は来た。だから、彼らが窮地にあって持ち出したのは、信仰ではなく、この世の戦いの道具「剣」であった。彼らの肉の心そのものであった。しかし、そのような窮地にあって、神に差し出されたこの杯を取り除いてください、と祈る完全に神のみこころを探り、従おうとする師の姿が対照的である。「剣」と「杯」。私たちは、いざという時にどちらを取るのか。この世の戦いの道具の象徴である「剣」を取るのか、それとも、神とのつながりにあって、神にゆだねることの象徴である「杯」を取るのか。大切なのは、「わたしの願うところではなく、あなたのみこころのままを、なさってください」といつでも祈れるようになることだろう。神に信頼し、神にゆだねながら歩む時に、神が道を備えてくださることを私たちは経験する。どちらの側に立つのか。具体的な生活に当てはめていけば自分がどちらの側に立つ者であるかがわかるはずだ。そして、立てないという場合にどうしたらよいのか。私たちは信仰を持って祈り、主に変えていただく必要がある。

マルコの福音書13章

13章は、小黙示録と呼ばれ、大きく四つに分けられる。第一に、世の終わりを告げる導入(1-4節)。続いて、世の終わりにどのような前触れが来るか前兆の説明(5-23節)。第三に世の終わりそのものが何であるかの説明(24-27節)。最後に警告(28-37節)である。

ヘロデの神殿は、BC20-19年頃に建て始められ、完成までに50年ほどかかったと言われ、イエスの時代には、まだモリヤの山頂に建設中であった。当時、山の頂上を平らにする土木技術はなかった。そこで、山の頂上を巨大な石造りの壁(長さ13m、高さ4m、幅6mの白い石を組み合わせたもの)で囲み土台を作り、その上に神殿を建てる建築方法が取られていた。その敷地面積は450×300m。神殿の下には深さ75mのチロペオンの谷があり、長さ51m、幅17mの橋がかけられていて、ハシモン宮殿に続いていた。実に大規模な建築工事である。弟子たちを驚かせたのも無理はない(1節)。それは人間の力を誇示し、永久に光の中に立ち続けるかのように思われた。けれどもイエスは、そこで、はっきりと語る。これはやがて、ことごとく崩れ去るもので、その日が来ようとしていると。

事実AD70年、ローマ軍によるエルサレム包囲と攻撃によりそれは徹底的に破壊された。今日エルサレムで見る神殿跡には、ヘロデの神殿時代の礎石とその後に修復された壁石の違いがはっきりわかり、破壊がいかに激しいものであったかを知ることができる。歴史家のヨセフスの『ユダヤ戦史』によると、この時9万7千人が捕虜となり、110万人が飢餓と剣によって滅ぼされたという。また、12節、ローマ帝国に密告する裏切りがあり、家族を初めとして人間の絆が崩壊する悲惨な出来事であった。イエスの預言は成就し、安全を求めて都に群がって入り込んだ人々は死に、イエスの忠告に従って、丘に逃れた者のみが助かったという。

ところで、イエスの預言には未来的な要素がある。26節の記述は、どうも、まだ実現されていないイエスの再臨が預言されている。つまり、聖書の預言には二重性があって、当時の人々に対する、近い将来についての預言と私たちにも関わりのある遠い将来についての預言、つまり終末についての預言が重ねられている。だから、4節からの前触れは、私たちにも関わりのある終末の日の前触れについて書いているものと読むのがよいだろう。

そこにはだれにでもわかる一般的な前触れと、クリスチャンのみに関わる特別な前触れとがある。一般的な前触れは、イエスの名を名乗る者、いわゆる偽キリスト、偽預言者が現れること。戦争と戦争のうわさがあること。地震が起こるということ。飢饉が起こることだ。ルカは、これに疫病を加えている(12:7-11)。また証拠としての特別な奇跡があることを加えている。

第二の前触れ、クリスチャンのみに関わるものは、クリスチャンにとっての困難があることである。彼らは捕らえられてその信仰を証言させられる。大切なのは、迫害の本質は、信仰の真価を問われることにある。世の終わりは、破壊的なことが色々と起こるのだが、クリスチャンにとっては、信仰そのものを問われる時となる。「いまここ」で、私たちがどのような神との関係を築いているのかが、そのまま来る終末においても問われることになる。となれば、終末の日がいつであるかは、非常に曖昧に描かれているのだが、曖昧のままでよいということにもなる。絶えず目を覚まして、神との関係が築かれていれば、終末の日は、いつであっても喜びを持って迎えられることになるだろう。