エレミヤ書32章

32章 神の堅い意思表明

おはようございます。既に述べたように、エレミヤ書は、必ずしも時間の流れに沿って記事が記録されていません。記事の配列に編集が加えられたその意図は、エレミヤが伝えようとした神のメッセージをより効果的に伝えるためにあったというべきでしょう。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.バルクの記事配列の意図

バビロンによるエルサレムの包囲は、ゼデキヤの第九年から始まりました(39:1)。32章に記録された出来事は、ゼデキヤの第十年のもので、ここでエレミヤは「監視の庭」に拘束されています。そもそもエレミヤは、エジプト軍接近の噂によってバビロンの包囲網が緩んだ時に(37:4)、町を出ようとしたところを、バビロンへの投降と疑われて逮捕されました(37:11-16)。そして長い間「丸天井の地下牢」に入れられた後、この監視の庭に移されたのですから、どうもこの32章は37:11-16以降の出来事と考えられるのです。

時間順に記さなかったバルクの意図は何か、と考えると、本章の内容、つまりアナトテの地の購入(6-15節)、それに伴うエレミヤの祈り(16-25節)、主の応答(26-44節)という一連の内容が、30、31章の回復のメッセージの流れに沿うことが考えられます。

2.購入、祈り、主の応答

まずエレミヤは、敵側に占領され、将来自分のものにはならないと思われるアナトテの地を購入しています(6節)。全く無駄な取引です。しかし、このエピソードは、エルサレムを回復させようとする神の堅い意志を伝えているのです(15節)。しばしば神のことばは人の現実には全く用を足さないように思われることがあるものですが、そうではないということです。

次にエレミヤの祈りが記録されます。「ああ、神、主よ。ご覧ください。あなたは大いなる力と、伸ばされた御腕をもって天と地を造られました。あなたにとって不可能なことは一つもありません。あなたは恵みを千代にまで施し、父たちの咎をその後の子らの懐に報いる方、大いなる力強い神、その名は万軍の主(17、18節)。」エレミヤはバビロニヤによるエルサレム包囲も、またその陥落もすべて神の主権のもとで起こっていることを確信していました。そして自分が全く意味のないことをしていることを訴えているのです(25節)。

神はそのエレミヤに応答し「わたしにとって不可能なことが一つでもあろうか」と語ります(27節)。神はこのエルサレムをバビロンの手に渡し、ことごとく滅ぼすが、再びこれを回復させることを約束するのです(41節)。つまり売買は無駄にならない、というわけです。

3.神の堅い意思を示す

先の30、31章において神は、エルサレムの回復を語られました。そしてそれは口約束ではない契約なのだ、と新しい契約の預言が語られました(31:31-34)。その流れで、バルクはこれが確実な内容であることを読者に伝えるため、象徴的動作を用いる行動預言のエピソードをここに加えたのでしょう。神は、約束を守る方であり、愛する者に責任を取られるお方であることを、神の堅い意思を感じさせられるところでしょう。