使徒の働き26章

パウロが、アグリッパ王の前で弁明を開始した。パウロが語ったことは、一つは、なぜ自分がイエスに従うようになったのか、そのいきさつである(2-15節)。パウロが経験したのは、全く神を知らないところから神を知るようになったという、無神論者の回心ではない。すでにパウロは、天地創造の唯一の神を信じていた熱烈なユダヤ教徒であった。彼が転向を迫られたのは、その神が、イエスを約束の救い主としてお遣わしになったことを受け入れることである。それまでパウロは、十字架につけられたイエスは呪われた者であって、約束のメシヤではないと徹底して反対していた。だから、そのイエスに追随する者があれば、これを迫害し、罰を科し、殺害にも協力した。しかし、そのイエスが、ダマスコに向かう途上で奇跡的にパウロに現れたのである。パウロは、イエスの復活を認め、イエスを神であると受け入れざるをえなかった。彼は、イエスの十字架が呪いではなく、旧約聖書に預言された「苦難のしもべ」(イザヤ53:5)の成就であることを理解した。イエスは、私たちの身代わりとなって、神の怒りと呪いを受け、私たちを救い出してくださったお方である、というわけである。
そして二つ目に、パウロは、自分が新たな使命を得たことを語る(16-18節)。パウロは、イエスに直接、証人として任命された。その働きは、少なくとも三つの目的を達成することにある。一つは、人々の目を開かせることにある。暗闇にあること、サタンの支配の中にあることから、主に立ち返らせることである。人は皆自分が正しいと思うとおりに生きている。しかし闇の中にあり、サタンの支配の中にあることを悟ろうとしない。その現実に目を開かせることが第一目的である。そして、第二に罪の赦しを得させること。パウロもそうであったように、イエスが十字架で命をささげたことの意味を悟らせることである。そして最後に、御国を受け継がせること。そのようにして救われた人々が皆、異邦人ユダヤ人の区別なく一緒に神の御国に入るように、励まし、戒め、導き続けることにある。復活の主イエスに出会ったことが、こうして自分のすべての行動を変え、イエスに従うようにさせたのだ、と語る。
フェストゥスは、これを受けて、パウロは気が狂っている、と考えた。しかし、ユダヤ的背景を持ち「ユダヤ人の慣習や問題に精通している」アグリッパは、違った。アグリッパには、パウロが語る要点が理解できたのである。彼は、旧約聖書のモーセと預言者たちによって預言された事柄について知識があった。だからイエスが約束のメシヤであるかどうかについて、それらの預言に照らして考えることができた。だからこそ、パウロのことばは、「わずかなことば」ではあったが、アグリッパにとって、それは、決心を迫られる十分なことばであった。アグリッパは応答すべき事柄を了解していたのである。
今日の日本人に、旧約聖書の知識はない。だから往々にして闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせようとするキリスト者のメッセージは、フェストゥスのように我慢の限界を超えた狂った内容として聞こえるか、もしくは、フェリクスのように恐れを感じさせられる脅迫として受け止められるかではないか。そこで、日本人にとって必要なのは、聖書が何を語っているのかをまず理解することである。聖書の光に照らされて、自分が暗闇の中にあること、イエスの十字架の意味が理解できなかった者であること、人間にとってこの世がすべてではなく、御国を目指す生き方があることを悟らされていくことである。それは、キリスト者になっても追及すべきことで、日本人キリスト者の信仰の持ち方が、今一つ心理的慰めの域を出ず、神の召しに到達しないのは、聖書全体のメッセージについての理解が乏しいためである。
パウロは、「鎖は別として、私のようになってくださることです」と断言した。一人の人間が、自分のようになることを、誇りを持って語った。言うまでもない、闇の支配に目を開かされ、イエスの十字架愛を悟り、御国を目指すことが、この世のどんな生き方にも優り、喜びと恵みに満ちていることを伝えたいというわけである。
たとえ聖書を読んでも、斜めに読んで、自分にとって都合のよいところをつまみ食い的に読んでいてはこうはならない。あるいは、聖書を順序良く、構造的に読んで、その背景を理解することがあっても、単に頭の中の知識を整理していくような読み方でもだめである。まさに、聖書を読みながら、パウロがそうであったように、聖書のまことの著者である神に直接語られるような読み方をしていかなくては、人生を180度変える力に与ることはない。
王と総督とベルニケ、同席の人々が退場した。彼らは互いに話し合って、パウロが、死や投獄に値するものは何一つしていないことを確認した。それは、彼らの職務的な務めとして当然のことである。しかし、彼らには、実際のところ個人的に神に応答するチャンスが訪れていたのであるが、そこに応答することはなかった。神の時はいつでも来ている。神とよき時を過ごす聖書の読み方をしていきたいものである。
なお、パウロのローマ行きが確定した。結局、アグリッパを交えても、フェストゥスは、上訴理由らしきものを明確にすることはできなかった。一人の狂った男と思われる者の上訴を、そのまま伝える以外になかった。だが、それも神が用いた機会であったのだろう。パウロもそのような形でローマに行くことを願ったのかどうかはわからないが、皇帝に直接福音を語る機会として期待したかもしれない。大切なことは、私たちの生活の一つ一つの局面に、神の意図があろうことだ。私たちにはそれがどのように功を奏するのか知る由もない。そしてそれを一々気に留めて生きていくのも煩わしい。だからそのように理解しつつも、ありのままに、主を喜んで生きることがよいのだ。

使徒の働き25章

フェリクスに代わって、フェストゥスが後任となった。新しい総督の着任に合わせて、ユダヤの宗教家たちは、パウロを訴えて、もう一度エルサレムで裁判をする機会を設けるように頼んだ。彼らは、途中でパウロを殺そう企てていたのである。フェストゥスは、彼らの訴えを取り上げたが、ユダヤ人の言いなりにはならず、場所については、パウロが拘留されているカイサリアを指定した。ここに計らずとも、主のパウロに対する守りがあったのだろう。ユダヤの宗教家たちは、パウロを殺す機会を狙っており、おそらく、総督が参加しない形でパウロの裁判を行う可能性を想定していたようであるが、結局、その悪意はかなわず、カイサリアへとフェストゥスと共に下らなくてはならなかった。主は、常に、最善をなさるお方なのである。
さて、裁判において、ユダヤ人たちは、多くの重い罪状を申し立てたが、それを証拠立てることはできなかった、という。確かに、事件が起きてから2年も経過しており、もともと事実無根の不当な教えであればこそ、証拠立ては難しかったはずである。だからパウロは自分を守るために、否認するだけで十分だったのである。本来ならば、これで裁判は結審し、パウロは赦免されるはずであった。しかしフェストゥスは、パウロをユダヤ人との政治的な駆け引きをする材料として、利用することを思いついた。そこで彼はパウロに、エルサレムで裁判を受ける意志があるかどうかを尋ねている。
これをパウロは、拒否した。それは、考えうる限り、懸命な判断であった。というのも、もしエルサレムで裁判をされたとしても、そこで正当な裁判がなされるはずもなかったからである。パウロは、思慮深く対処したのであり、問うべき問題は、ユダヤ人たちが訴えるように、本当にローマに対して死罪に当たる犯罪をしていたかどうかであった。パウロは、カイサルに上訴した。フェストゥスは、パウロのローマ市民としてのこの権利を認めた。
数日後、アグリッパ王とベルニケが、カイザリヤに来て、パウロの一件を語らったことが記録されている。しかしながら、このフェストゥスとアグリッパとの間の私的な会話の情報をルカはどのようにして入手したのであろうか。おそらくこれもまた先の23章の千人隊長の手紙と同じで、ルカが想像力をはたらかせ、限りなく現実に近い、いわゆるありそうな作文をしたのだ、と考えられている。ただ、ここで注意すべきことは、フェストゥスの口を通して、ルカは、争われていることが、犯罪ではなく宗教的信条の問題だったことを明確にしていることである。信条の中心は、死んでしまったイエスが生きていること、イエスが復活したことであった。そして「彼は死に当たることは何一つしていない」ことを強調している。つまりルカは少なくとも直接的な読者であるテオフィロに対して、パウロが戦っていることは、宗教的な信条の問題であることを理解させ、死に当たることは何一つしていないことを訴えたかったのだろう。実際、使徒の働きは、パウロがローマに到着後2年経った時点で終っているが、その頃パウロの第1回の裁判はカイサルのもとで審理中であったとされる。となれば、ルカはローマの高官であったテオフィロに対し、キリスト教の由来と性格を説明し、キリスト教に対する誤解を取り除き、パウロの裁判が有利に展開するよう、カイサルに働きかけてもらうよう、この使徒の働きを書いたというのは、理解できることである。
さてフェストゥスは、フェリクスと同じように、ユダヤ人の関心を買おうとして、パウロを利用した。人は、真理を知りつつも、真理に基づいて行動するのではなく、自己利益のために行動することがある。たとえ真理を守るべき立場にある者であっても、だ。一方、パウロは、「もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません」と潔い。神の前に良心を責められることなく、真実に生きる者に恐れはない。そして神が、その歩みを、さらに導いてくださる。その計画は、さらに先を読み進まねばわからないのであるが、少なくとも、パウロは、死を免れえた。そして、念願のローマへの旅へと導かれるのである。正義が踏みにじられていく時に、私たちは落胆するものであろうし、ここに神の計画があると物わかり良く、何事もないかのように、生きていくほど強靭ではない。しかし、その強靭さを身に着けていくのが信仰の歩みである。まだ見えぬ先を、信仰によって見、神がおられぬと思われるようなところで、確かに、神がおられると確信を持って歩む、そうであればこそ、世界を動かす人にもなれるであろう。神は確かにおられるし、神の正義が地に堕ちることもない。今日も主を信頼し、主の守りに信頼して歩ませていただこう。

使徒の働き24章

パウロがカイザリヤに到着してから五日後、大祭司アナニア、数人の長老、そしてテルティロという弁護士の集団がパウロを訴えるためにやってきた。テルティロは、パウロについて三つの点を指摘している。第一にパウロは「ペストのような存在」つまり有害な人物である。そしてパウロは、ユダヤ人の間で「騒ぎを起こしている者」、さらに、彼は、「ナザレ人という一派の首領」であった。その結果、彼は、宮さえも汚そうとしたが、私たちはそれを未然に防いだ、というわけである。新改訳の注が、正しい本文であるなら、テルティロは、宮を汚すのを未然に防ごうとしたが、千人隊長のルシヤが来て私たちの間に入ったので、ペリクスの裁可を得なければならない結果になった、と自分たちの状況を説明している。
総督のフェリクスは、パウロに弁明を促した。パウロは、三つのことを整理して訴えている。まず、パウロは自分がエルサレムに来てまだわずか12日であり、群衆を騒がせ、社会秩序を乱した事実はない。実際、その証拠はない、としている(11-13節)。また、パウロは、自分たちは分派と呼ばれるが、実際には、旧約聖書の信仰を彼らと共有していることを主張する(14-16節)、そして宮を汚したと言われるが、単純にこれを否定している(17-18節)。実際パウロがエルサレムにやって来た目的は別にあった。ルカはこの点に特に触れていないが「施し」にあった。彼は異邦人の間で開拓した教会から集めた多くの献金を、エルサレム教会に送り届けていた。それは、福音の霊的な祝福に対する物質的な応答であった(1コリント16:1-4)。また彼が宮に上ったのは、まさに自身についての誤った噂(ユダヤ人の伝統に対する敵対者)に対処するためであった。彼はエルサレム教会の指導者たちのアドバイスに従って、パウロに対するに非難が誤りであることをはっきりさせるために、律法を遵守している者としてユダヤ人の習慣に沿って身を清め、さらにナジル人として誓願を立てている四人の男性のために頭を剃る費用を提供した(21:23-26)。このような時に、彼は敵対者に発見されただけでありティルテロが宮を汚したという訴えは何の根拠もないし、最高法院での騒ぎについては、復活についてのユダヤ人の教派的な対立の問題について一方の側(復活はある)に立った議論をしたに過ぎない、と答弁したのである。
パウロの弁明を聞いていたペリクスは、判決を延期した。というのも、まず事件についての事実関係を千人隊長ルシヤから聞くのが筋であると思ったからであろう。この時点で彼の裁判は公正であった。実際彼は「この道について相当詳しい知識」を持っていたので、裁判官としてふさわしい判断が働いたのだろう。そして彼は後に、妻のドルシラを連れて再びパウロを呼び出し、イエスを信じる信仰についての話を聞いたという。それは、彼の信仰に対する興味のためであったのかもしれないが、それは本格的な求道心と言えるものではなかった。彼の興味は、「正義と節制とやがて来る審判」のメッセージによって脅かされたのである。つまり彼の興味は、耳新しいことを聞きたかった程度のもので、悔い改める気はなかったのである。実際には、26節、パウロが、エルサレム教会に異邦人教会からの多くの献金を持ち運んだことを耳に挟んで、賄賂を出すことを期待していたのであろう。幾度もパウロを呼び出して話し合い、しかもそれが二年にも及んだというのであるから、ペリクスの金を貰いたい忍耐は、たいしたものである。だがパウロに金銀はなく、あるものは福音のみであった。結果彼は牢に残されることになる。パウロはフェリクスの貪欲さに二年も付き合わされた。
24章を読みながら、神のなさることがわからないと思うことがある。ユダヤ人の誤解を取り除き、物事を平和に進めようとした行為がますます物事を紛糾させ、パウロは捕らえられてしまっている。さらに、裁判官のもとへ引き出され、正義による解決が図られるのかと思いきや、不正な裁判官の思うままに、解決のない不毛な2年が過ぎていく。人生にはそういう時もあるのだ、というには、あまりにも当事者には割り切れない思いである。実際、パウロのその間の心情は述べられていないが、人によっては自分の人生がそれによってダメになっていくと深い焦りと苛立ちに捨て置かれる思いになることもあるだろう。神は何をしているのか、いつまで裁きを行わず、理不尽なままにされているのか、思わされることがある。しかし、24章からその答えを見出すことはできないが、聖書全体を読む中で、そのような問題をどのように受け止めるべきかを知ることができる。
たとえば王室の役人の息子の癒しの話にあるように(ヨハネ4:46-54)、神にとって、手遅れということはない。また、神は日時計におりた影を十度後に戻すことのできるお方である(2列王記20:11)。神の助けが遅れていることは、私たちの悔い改めが足りないからでも、私たちの過去の過ちが大きすぎるからでもない。まして私たちが性質が悪すぎるというわけでもない。むしろ、神は「おりにかなった助けを」与えようとしているのである。パウロはこの二年間、神の時に自分を委ねたのである。その結果、新しい州総督フェストゥスがカイザリヤに着任した。そしてパウロは、このフェストゥスの計らいで、念願のローマ行きを、自腹を切らずに果たすことになる。私たちは、私たちの思いを超えたことをなさる神の御手に、自分の時を委ねることを(詩篇31:15)学ばなくてはならない。常に、神はご自身を信頼する者によきものを拒まれず、またご自身のご計画を進められる。主の真実さに今日も期待しつつ歩ませていただこう。

使徒の働き23章

パリサイ人ということばは、ヘブル語のパラース(分離)から派生したことばである。サドカイ派、エッセネ派とともに、ユダヤの3大宗派の一つで、中流階級に属する者が多く、律法を厳格に守ることを特色とした。パリサイ派は、純粋に宗教的な党派で、復活や御使い、霊の教理も受けいれる保守派であったが、サドカイ派は、祭司的な貴族階級に属する、親ローマの政治的な党派で、考え方もリベラル進歩的で、理性的に受け入れられない教理は否定していた。イエスに出会う前は、パリサイ派の教師として活躍していたパウロには、両者の主張点の違いや関係の難しさは十分理解されていたことであろう。パウロは、この二つの党派の主張点の違いにつけこんだ。
問題はパウロが自分をパリサイ人と呼んだ点である。確かに復活の教理において、パリサイ派とキリスト者は一致し得たが、救いの教理、つまり律法理解においては全く異なるところがあった。だからパウロは、パリサイ派からナザレ派(イエス)に転向したのである。イエスは、サドカイ派のみならずパリサイ派も敵に回して処刑されたが、パウロは、パリサイ派の傘の下に隠れてかろうじて生き延びたとしかいいようがない。それはパウロの弱さのため、あるいはよく解釈して、積極的に宣教の機会としようとしたため、さらには、ルカがユダヤ教とキリスト教の連続性を示そうとこのエピソードを残したため、と様々に議論されているが、私はパウロには、日和見的な議論を利用することのできる、いわば弱さがあった、と考えてよいのではないかと思う。
ともあれ事態は、激しい論争となり、パリサイ人の中には、「私たちはこの人に何の悪い点も見出さない。もしかしたら、霊か御使いかが彼に語りかけたのかもしれない」とパウロに味方する者まで現れたという。彼が積極的にこれを宣教の機会としたとしても、結果的に彼の運命は変わらず、拘束されたまま、さらにカイザリヤへと護送される結末になった。
独房に入れられながら、パウロは後悔したのかもしれない。パウロの心情は語られてはいないが、そんなパウロに神が寄り添って「勇気を出しなさい」と励ましたことが記録される。パウロにとって、この経験をルカに語るとしたら、やはりこの神の一言が一番心に残った記憶だということなのだろう。確かに、最悪の事態において、それが弱さの結果であれ、番狂わせの事態であれ、神はそこに新しい人生を継ぎ足してくださる。私たちは、結果を気にしすぎるところがある。ああこんな結果になるんだったら、あんなことしなければよかった、と。しかし、あんなこともこんなことも神のご計画の内である。すべての結果は神のみ許しの中で起こっている。実に、人生を生きるのなら、神のご計画に生きることが得策なのだ、と考えさせられるところである。
さてパウロは、先に弁明を許されていたが、23章の後半では、ただ、引き立てられていくだけである。彼は一言も弁明が許されずに、ただ運命に身を任せるほかなかった。事態はさらに悪化した。そんな場合にはどうしたらよいのか。
第一に、抗うことをやめることである。神に身を任せることである。抗えば抗うほどに、私たちはみじめな姿をさらけ出し、混乱し、冷静に物事を考えることができなくなるだろう。神の真実さにゆだね、私たちの重荷を神の御手にゆだねるとよい。
第二に、神の平安を求める時である。弓矢を貼りっぱなしにすれば弓矢がだめになる。人間も緊張しっぱなしであれば壊れてしまう。緊張から解き放たれる最初のステップは、神のみ言葉の中に静まることである。それは、ティーパックを熱いお湯につけることに似ている。カップにお湯を注いで、ティーパックをお湯につけると、次第に紅茶の色が広がり、香りが広がる。同じように、私たちのこころに、神のみことばのティーパックを付けていくなら、神のみことばの味と香りが私たちの心の中にじわじわと広がる。そのように完全に広がるまでに静かに、神の御言葉を味わうのである
パウロは、陰謀にさらされた。しかし、神はパウロを守られ、導かれる。パウロは、エルサレムから60キロメートルほど離れたアンテパトリスへと護送された。歩兵200人、騎兵70人、槍兵200人、全部で470人からなる大部隊である。一人の囚人の護送に随分な人数と思われるが、パウロに対する危険の大きさは相当なものだった、ということなのだろう。ただ、歩兵や槍兵は、最初のエルサレムから外に出るまでの危険なところだけ同行した、ということもありうる。また、26節からの千人隊長の手紙は、実際にルカがその手紙を入手したわけではなく、最もありそうな手紙を作文した、と言われている。確かにその可能性は否めないし、「次のような」(25節)は、次のような趣旨の、という意味であろう。ともあれ、主に身を委ねたパウロは、主に守られた、そこが大事なのだ。そもそも考えてみれば、エペソから、エルサレムに戻らず、そのままローマへ行けばこんなことにもならなかっただろう。この期間たるや、数か月、数年のロスである。それでも神は、パウロがエルサレムに帰るのをお許しになった。そしてまたローマへと向かわせるという。人生には無駄に思えることが多い。しかし、おそらく、聖書には記録されなかった、つまり私たちには知らされなかった出会いと救いもあったのかもしれない。神のご計画は計り知れないものがある。また神は私たちが判断を誤ったと思うようなことをも用いてくださる。いつでも、主が私たちを最善に用いてくださるよう祈る心をもって歩みたいものである。

使徒の働き22章

パウロの経歴が語られている。タルソの出身であるが生粋のユダヤ人で、エルサレムで育てられ、教師ガマリエルのもとで学んだという。つまり当時の最高学府で学び、その後は律法の教師として活躍していた。おそらくサンヘドリン議会の議員の一人であったともされている。律法に対する熱心さは、キリスト教徒を迫害し、処罰する先鋒に立ったほどであった。ところが、その迫害の最中でキリストに捕らえられてしまう。「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか。」と彼が迫害していたイエスに出会い、彼は変えられていく。パウロの動きを阻止する者が誰もいない中で、彼は超自然的な力に捕らえられて行く。当時のキリスト者は誰もが、この破壊的で頑迷な人物と彼を生み出した組織体制に、恐怖を抱き、手も足もでない絶望的な思いであったはずだ。しかし、そこに神の力が働き、神の業がなされていく。この出来事を読む時に、やはりいかなる困難さにあっても、怖気づいてはならない、と思わされる。どんな望み無き状況に置かれようと、キリスト者には可能性がある、と考えたい。事実、パウロは言う。「私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせた」(4節)。それが、突然、天からまばゆい光が私の周りを照らし、私は救われることになった。神の介入があった、と。神が生きておられることを私たちは信じなければならない。そして、望みを捨ててはならないのだ。私たちが努力して何とかならないのが、人の心である。それは、まさに、神のあわれみの業であり、定めとして受け止め(13:48)、信仰をもって良き結果を期待し、祈り続けなければならないのである。
パウロがエルサレムに上ろうとしたのも、そうした自らの経験を振り返るところがあったからなのだろう。それは、誰の目から見ても止めて欲しいと思うほどの無謀な行動であった(21:4、12)。しかし、彼は、自分の劇的な回心を思えばこそ、敵対者に対する神のあわれみの業による救いと回心を期待せざるを得なかったことだろう。霊的成熟は考え方の成熟であると同時に信仰の成熟である。望みえないものを望み見る力が養われることである。明らかにパウロは、夢を語っている。ユダヤ人と異邦人が一つになる、パウロの奥義観は、形をなしており、もうすぐそれは、ローマの獄中でしたためようとするエペソ人への手紙として結実することになる。ともあれ、かつては敵対的な人物であった者が、今や敵対的に迫られる者となっている。そうであればこそパウロもまた、敵対的に迫る者の中に、第二の自分、第三の自分が起こされるであろうことを、覚えたことだろう。
最後に、パウロに教えられる事は、自分で人生を選択して生きるのではない、神様に人生を導いていただく姿勢を持つことである。神に導かれて生きることである。いつも、神様は自分に何を期待しているのか、自分はどうするように求められているのか、そういう所から考えられるようになるには、実は、何十年もかかったりするものである。だいたいは、神様を呼び求めながら、自分の思い通りに、自分の願う通りに生きるのであり、神はそのしもべであったりする。しかし、その主客転倒に変化が生じる時が来る。パウロは「主よ、私はどうしたらよいのでしょうか?」という言い方をしたが、神の圧倒的な権威のもとに遜って、神の導きを求めながら生きるそういう段階へ進むことがある。
パウロは自分を評価して語る。自分は神に対して熱心な者であった。間違った熱心さに気付かずにいた、と。彼はキリスト者が死んでも何とも思わず。むしろ、それで神に対して熱心であると思っていた。自分のやることに間違いはないと思っていた。でも間違っていた。その間違いに気づいた時に初めてパウロは、「主よ。私はどうしたらいいですか?」と言いえたのである。そして彼が神の前に降伏し、「主よ私はどうしたらいいのですか?」と謙虚に耳を傾けた時に、パウロは、自分が行動すべき使命をはっきりと聞きとった。信仰者は自分の霊的成長に責任を持っている。悟ったこと、教えられたことに取り組んでいかない限り、決して成熟の実を得ることはできない。
25節、当時のヴァレリア法、護民官法は、ローマ市民を打ちたたくことも、かせにはめることさえも禁じていた。パウロはその法に訴えた。ルカがこのことを記録したのは、ローマ市民であるキリスト者がこのような権利を主張できることを諭すためであったのだろう。ただのエピソードではない。キリスト者がいかに、賢く荒波を超えていくべきかを語っている。キリスト者は、ただ単に、キリストを盲信しているわけではない。信仰を持つことは非常識になることではないし、この世の社会感覚に疎いままでいることをよしとはしない。日本人であれば、日本の法律の中で、行動しているものであろうし、教会も、宗教法人法の定めの中で活動を行っている。それは、しばりでもあるが、逆に、守りとして働くこともある。そういう意味では、キリスト者は日本の法律をよく知るべきであり、社会の常識感覚をしっかり持っていく必要がある。そしていわゆる要領のよい人間として生きるのではなく、語るべきことを語りながらよりよい生を生きることが大事なのだ。社会を熟知しながら、時代の常識を超えて生きるのがキリスト者である。