使徒の働き28章

パウロの一行は、嵐に流されマルタ島に漂着した。マルタは、フェニキヤ語では、避難所を意味する。彼らはまさに避難所にやってきたのだ。島の人々は、ギリシア語でバーバロス、本来はギリシア語を解さないの意味であり、野蛮人の語源となったことばである。しかし、彼らは、この何もかも失った船員たちに、非常に親切にしてくれた。気温は、摂氏10度程度であったと思われるから、彼らが焚いてくれた火は、実に、2週間も嵐にもまれ、疲れ果ていた者たちには暖かいもてなしであった。だがそこに一つの事件が生じる。

3節.まむしが這い出し、手にとりついた。おそらく当時、殺人犯が溺れ死ぬことを免れても、復讐の女神はなおも取り付く、という迷信的な背景があったのであろう、島の人々は、その出来事を人殺しの証拠と見なした。しかし、パウロはなんなく、その蛇を振り落としている。島の人々が、パウロの人柄を知ろうとなおも観察し続けたのは興味深い。結局島の人々は、考え方を変えてパウロを神であると見なした。こうしてマルタ島の首長ポプリオの好意を得て、そこに、パウロの一行は3ヶ月滞在することになった。8節、ププリウスの父は、腹部の疾患から来る「熱病と下痢」、おそらく、マルタ熱の名前で知られた風土病で、病に臥せっていたが、パウロは、彼を「癒した」。この原語は、ギリシア語でイアオマイ、他方9節の「癒しを受けた」は、セラピューオーである。セラピーの語源となることばで医療的な処置を施すことを意味する。10節の「私たち」ということばからしても、これはパウロの働きにルカが加わったためなのだろう。神は、福音とご自身の力を証するために、超自然的な癒しに加え医療的な処置も用いられた。なお、この3か月の期間に、回心者が起こされた記録はない。やはりキリスト教は、理知的な信仰を持つものであることを否めない。単純に奇跡に魅せられて信仰を持つ、という類のものではない。それは、神が聖書を通して語っていることを理解し、何よりも、キリストにある罪の赦しを理解し、個人的に応答するプロセスを要求するのである。神の存在を信じるだけではなく、神が遣わされた御子キリストの業の意味を理解し、キリストの業を受け入れることを要求する。

さて、パウロの一行は、マルタ島を後にした。船のシンボルはディオスクロイ、それはゼウスの双子の兄弟カストルとポルクスである。航海の守護神で、当時はこの星座(双子座)を嵐の中で見ることができれば幸運のしるしとされていた。特に意味はないのだろうが、ルカは読者にいささかジョークを投げかけたのかもしれない。一日の航程で北北東150Km、シチリア島のシラクサに到着、3日間停泊して順風を待った。そこから130Km北航し、イタリア本土の南西端、メッシナ海峡に臨む海港レギオンに到着。一日待つと南風が吹いてきたので出帆し、2日目に北320Kmのポテオリについた。ポテオリはナポリ湾の北岸、ナポリの西11Kmにあった中部の要港で、ローマに向かう船客は、普通ここで上陸したと言われる。もっとも穀物船はさらに北190Kmにあるティベル河口のオスティア港で荷揚げする慣わしがあった。パウロはこの地の信者に迎えられて一週間滞在した。

そこからは、陸路である。ポテオリからローマまでは180Km。約1週間の行程である。彼らは約1日、北に進んでカプアにつき、そこからアッピア街道を北西に進んだ。フォルミアエに宿泊、テラチナについた。ここからアッピア街道は、海岸を離れ、ポンチネ湿地帯を貫いて、北西に延びている。この街道沿いにアピイ・フォルムまで一直線の運河が設けられていた。運河は平底船が通っていて、パウロの一行もこの水路を利用したと考えられている。パウロは、このアピオ・フォルムでわざわざローマから彼を歓迎に出てきた信者に会い、大いなる励ましを得た。翌日パウロは北西16Kmにあるトレス・タベルネに昼頃つき、そこで第二陣の歓迎者の群れに迎えられ、神に感謝した。彼ら歓迎者は、初めアッピア街道の起点となるカペナ門から出発しそろって南下したが、ローマ南東約20Kmのアルバノ山(標高940メートル)の山越えで、脚力の差によって二グループに分かれてしまったと考えられている。

ともあれパウロはついに念願のローマへ到達した。17節、パウロは三日の後、ユダヤ人の主だった人たちを呼び集め、彼らに福音を語った。朝から晩まで語り続け、神の国をあかしし、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて説得しようとした、とある。やはりキリスト教は、その信仰の中身(福音)を明確に語らずにして回心者を起こすことはできない。いわゆる「鰯の頭も信心から」という類のものではない。そういう中で、「語られたこと」(24節)に注意深く耳を傾ける者と、そうではない者がいる。反応は様々であり、聞き方も様々である。実際ここで聞いた人々もパウロ個人に対する偏見は持っていなかったが、やはり、皆が皆パウロの語る福音を信じるわけではなかった。パウロは、信じようとしないユダヤ人の現実に、福音が耳を傾ける者に向けられたことを宣言する。福音は水のごとし、低きへと流れるのである。

30節。パウロは「呼び集めて」福音を語るのみならず「尋ねてくる人たちに」福音を語った。パウロに町の広場や会堂に出て行って、福音を語る自由はない。しかし、神がパウロのもとに福音を語るべき人々を送ってくださった。そこに、オネシモが含まれていたことはよく知られている。また、この期間に、エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモンなどの獄中書簡も書き送られている。パウロは常に神が与えられる機会を活かした。大切なのは、教会に人が来ない、来るではない、神が導いておられる働きを見極めることである。いつも収穫であるわけではない、いつも種まきであるわけではない。神が導いておられる微妙な機会をしっかり受け止めて、時が良くても悪くても福音を語り伝えることである。

ルカは、最後にパウロが少しも妨げられることなく、大胆に福音を語ったことをテオフィロの心に訴えている。ルカは、多くの告発があっても、神は、パウロを支持したと言いたかったのだろう。テオフィロよ、わかっていただきたい、とルカは言うのである。