ヨハネの黙示録18章

御使いが登場するたびに、一種の場面転換がある。ここからまた新しい場面に入ると考えてよい(1節)。バビロンに対する裁きがくだされた(2節)。「倒れた。大バビロンは倒れた」と。聖書ではしばしば偶像礼拝が姦淫の罪にたとえられる。神の選びの民である教会は、キリストの花嫁。それ以外のものを拝むことは姦淫の罪であると。神の定められた正しい結婚関係は相互の責任を伴う。しかし、不品行、姦淫は、相互の責任を負わず、単なる快楽の追求を求めていく。そのようなことに巻き込まれないように、距離を置きなさいとヨハネは言う(4節)。 
アメリカニズム的キリスト教、あるいは繁栄の神学という用語がある。つまり、アメリカには、独特のサクセスストーリーの文化があり、目に見える豊かさに価値を見いだし、そこを中心にして生きる考え方がある。それは、アメリカのキリスト教信仰の中に浸透しているものである。あるいは、繁栄が、キリスト教信仰に不可欠であるとする考え方があり、それらが、日本のキリスト者にも影響を与えている。けれども、それは、よく考えてみれば、世俗的な新興宗教が語るものと何も変わらない。そのようなことのために、何もキリスト教を信じるまでもない。
 聖書はもっと違った価値観を教えている。そのような物質主義的な生活の結末は、逆に滅びであると明確に語っている。先の17章で、ヨハネは、大淫婦が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血によっているのを見て非常に驚いた、と語っている(17:6)。そんなヨハネに、御使いは、「いのちの書に名が書き記されていない者たちは、驚くだろう」(17:8)と語りかけている。永遠の視野からすれば、そんなことは驚くことではない。世の中の終末的な出来事として当然起こってくることだ、しかし、キリスト者は、そのような地上の出来事に心を奪われていてはいけない。目を覚まして、私たちがどこに向かっているかにより注意を注ぐべきなのである。だからパウロは、「金銭を愛することが、あらゆる悪の根である(1テモテ6:10)」と、また「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です(6:6)」と語っている。あるもので事足りるとする生き方、なければないなりに感謝しつつ生き、必要以上のものが与えられたならば、神のみこころに従って用いるように生きていくべきである。より大切なことは、神の御前に立つ備えをいよいよしっかり行うことである。
この世の中では、成功を求め、富を求め、繁栄を求めるところがあっても、キリスト者は、そのような生き方にとらわれていてはいけない。物欲にとらわれない生き方、もっと人間として成熟した生き方を志せることだ。
これは今もイエス・キリストを救い主とする者にとって大切な教えである。あるものからは悪影響を受けないために分離する、離れることが必要。実際、私たちは値をもって買い取られた者であり、身をもって主人である神の栄光を現すように生きる者である。だからもう古い姦淫の人生からは決別すべきなのだ。
12節の商品のリストについて多くの注解者は、生活必需品ではない贅沢品であるという。つまりこれらのどれがなくても十分幸せに生きていけるものだ。「奴隷、また人のいのち」とあるが、ローマ帝国の繁栄は奴隷制度によって支えられている。当時ローマ帝国全体に6000万人の奴隷がいたとされる。しかしそれだけの奴隷を動かしたということは奴隷売買によって巨大な富を得たということ。奴隷商人はそれほど古い話ではない。現代でも形は違うがある話ではないか。普通に生活しているとあまりそういう感覚はないが、不法滞在の背景にそういう人身売買があるとも聞く。奴隷や人のいのちが商品化されているそのような現実がある。
ともあれ、こうしたあらゆる矛盾と腐敗を含む、大バビロンが、徹底的に裁かれるのである(16節)。「聞かれることはない」ということばが繰り返される。それは、生活音が消失してしまうほどに無に帰す徹底した滅びである(22節)。ローマは結局、繁栄の頂点にあったときに、贅沢のために滅んでいった。今も先進国と言われる国々が同じような生き方に倣っている。徳川幕府が倒れた原因の一つに、それまで権力と富を握っていた武士階級から富が、商人に移っていったことにある、と言われる。武士が没落し、お金を握った商人が地上の権力者になっていき、幕府が倒れていく。それとよく似ている。現代は、世界人口の20%の人々が世界の資源の80%を消費していると言われる。どれだけ少数の金持ちが自分のためにだけお金を使っているか、ということであるが、神はそうした自己目的を追求する富を見過ごされることはない、富に堕落し、奢る者は裁かれるのである。確かなことは、地上の富はやがて消え去る。消え去る世の富と享楽に心を奪われ命を落としつつあるキリスト者に対する警告がある。18章は、17章の結論として読むべきところだろう。それは淫婦に貢ぐ生活だ、大事なものを見極めよ、と言う。