2サムエル記15章

15章 アブサロムの謀反
<要約>
おはようございます。舞台は、旧ダビデの町とオリーブ山。今のエルサレムとオリーブ山の起伏は緩やかなものとなっていまが、当時は、かなり起伏の激しい山谷であったことを思わせてくれるところです。そこで、ダビデの逃避行が再び始まります。しかし、ヨナタンに代わるフシャイ、ダビデ王朝存続の伏線が敷かれて行きます。これらは皆、神の誠実さと神の計画の故に、起こることであって、ダビデのためにというものではありません。人ではない神の計画に思いを馳せながら歩む人生があるのです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.ダビデと運命を共にする人々
「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は、神のうちにある」(詩篇62:5-7)
 ダビデは、アブサロムに追われてこの詩を読んだとされる。アブサロムの欺きの舌に、民はなびいて、謀反は根強いものとなり、ダビデは、あてどもなく、再び追われる日々に入ろうとしていた。ダビデに付き従ったのは、「すべてのクレタ人と、すべてのペレテ人、そしてガテから王について来た六百人のガテ人」とすべて外国人であり、イスラエル人が忌み嫌う、ペリシテの集団であった。恐らく彼らは、ダビデがサウルから逃れて放浪していた時期を知っていた者たちであったのだろう。「王様がおられるところに、生きるためでも死ぬためでも、このしもべも必ずそこにいます。」(21節)と彼らは、ダビデと運命を共にしようとした。決してダビデを見捨てようとしない者たちは、皮肉なことにイスラエルの同胞ではなく、異邦人だったのである。しかも彼らは奴隷として従ったわけではない。全く自由な自らの意思で、明らかに形勢の不利な、ダビデの側についた。
 しばしば危機は、信頼すべき誠実な友が誰であるかを明らかにする。日和見的な仲間と、本当に苦難を分かち合う仲間を明らかにする。そういう意味では、教会が揺れることは、教会に集う一人一人の真の価値を明らかにする。苦難の中にさらされても、なおもその教会に残り続ける人、それが神の側に立つ人であろう。「私は神のものです、主よ、あなたにお従いします」と賛美し、祈ることは簡単である。しかし、苦難において、神のみこころに立ち続け、神に従い続け、苦難を共有することは、神に対する真の誠実さなくしてはできないことである。ダビデと苦難を分かち合った外国人たちは、「主の前に誓います」と、ダビデと信仰を同じくする者たちであった。主の前になされることは、今置かれた現実の場でなされることである。今置かれた現実を避けて、主も信仰もあったものではない。信仰は頭のことではない。今まさに置かれた場にあって実践すべきことなのである。私たちが今置かれている場にあって、苦難を共にし、苦難を共に乗り越える心を持たずに、何の信仰があろうか。
2.退避するダビデ
ダビデは神の箱を町に戻させた。神の箱を手元に置いておけば安心だとは考えていなかった。むしろ神が良しとされればダビデは回復されエルサレムに戻ることもあるが、そうでなければ神のさばきを受けることもある、と考えた。苦難にあって救うのは、目に見えない真の神以外にない。モノに鎮座させられた神ではない。
ただその苦難は、アブサロムの策略の結果である。その策略は、アブサロムの王家にある地位と名声、そしてアブサロム自身の演出的能力や大衆受けの性質、さらに粘り強い4年の歳月をかけたロビー活動、それらが皆相乗効果を発揮し、成功したものである。明らかにそれは、神が味方し、神がこれを後押ししたとしか思えない時の動きでもあった。しかし神がたとえ、アブサロムの策略が成功するように導かれたとしても、神は、ダビデを忘れることはなかった。神はダビデを見捨てたわけではない。神がこのような事態を許された理由はわからないが、神は、ダビデの策略をも成功に導かれた。神は泣きながらオリーブ山を登り、神の助けを求めるダビデに、具体的な助けを与えられた。つまりアルキ人フシャイの心を動かし、ダビデの友とされたのである。彼は後にアブサロムのアヒトフェルの助言を討ち壊す力となった。神は、正しいことをなさるお方と考えるべきだろう。神は決して人の悲しみを見過ごされない。神は、苦難にあって、さらなる導きと回復を用意されていると考えてよいだろう。たとえいかに人間のはかりごとが巧みであれ、また組織力がいかに個を貶めることがあっても、神の正義があることへの期待を失ってはならない。神こそ我が岩、我がやぐらである。そして個人の慰めを超えた神のご計画が、あることを忘れてはならない。神の大いなるご計画の実現の中に、個の祝福と助けもあるのだ。善をなしてくださる主を信頼して歩ませていただこう。