1列王記1章

1 1章 さらなる謀反(アドニヤの場合)
<要約>
おはようございます。本日より列王記に入ります。ダビデの生涯が終わり、ソロモンの治世の物語に入ります。しかし、あくまでも主役は神。ゴードン・フィーという聖書学者は、物語は三層構造で読む、つまり最上層の神の物語として読むということを語っていますが、個々の木ではなく、森全体を見ていくようにしたいところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.アドニヤの反乱
ダビデ王の晩年、列王記は後継者問題から書き起こす。ダビデには、六人の子供がいた。アムノン(長男)とアブシャロム(三男)の死後、四男のアドニヤが王位を狙うようになった。次男のキルアブについては何も語られておらず、恐らく早くに死んだものと思われている。アドニヤは野心を抱き、戦車、騎兵を手にいれ、自分が王となるための既成事実を作ろうとした。彼は、アブシャロムと同様に非常に美男子で、どうも、卒のない人物であったようだが、彼に誰もが組するわけではなかった。アドニヤは、自分に都合の良い者たちを招いて宴会を開いた。
ダビデがソロモンを王にすることはすでに決まっていたことであったが、公式発表もされていなかったことから、アドニヤは、自らの野心を膨らませたのかもしれない。アドニヤに神の御心を求める思慮が少しでもあれば、滅びを招くこともなかったはずである。
2.ダビデの対応
アドニヤの反乱は、ソロモンを王として迎える日を待つ、預言者ナタンの知られるところとなった。預言者ナタンが動いた。実際、このままアドニヤが自称王として動き始めると、ソロモンとソロモンの母のいのちが危なかった。そこで、王に決定事項を周知させるよう迫ったのである。ダビデが明確に指示を与えた。ダビデは歳を重ねて老人となっていたが、進退の判断ができないほどに歳を取りすぎたわけではなかった。アドニヤは先手を打って動き出したが、神の御計画を覆すことはできなかった。私たちは自分の未来を思い描きあれこれ画策するが、それを成功させるのは神であることを忘れてはならない。
時代の主役は、人ではなく神である。しかし、自分が何者かのように思ってしまうところに、すべての衝突と混乱の原因がある。イエスは、「自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」(ルカ17:10)と語られたが、実に、私たちは、この人生において、神に仕えて生きるしもべに過ぎない。いつでも,神のみこころを覚えて、みこころならばあれをなし、これをなそうという、謙りとしもべの気持ちを持って歩むことが大切であろう。
3.アドニヤの反乱の失敗
しかしいつでも私たちは神を都合よく信じている者に過ぎないことがある。アドニヤは、自分のいのちを救うために、祭壇の角をつかんだとされる。祭壇の角には、赦しのためのいけにえの血が塗られる(レビ4:7,18)場所であった。それは、事件の裁判がなされるまで神の保護を求めることを意味した。こうしてアドニヤは、神を、自分のいのちを救うために、いわゆる御利益の目的のために利用した。
しかし、真の信仰は赦されることばかりではない。むしろ自分自身を神にささげていくところがある。人生には、小さな野心を成し遂げる以上のことがある。天地を創造し、今なお支配し、永遠に生きておられる、神のみこころにこそ、自分のいのちをささげていく。時代の主役である神に仕えていき、自らが置かれた場所で最善をなすところがある。今日も、主に仕える者として、最善の人生を歩ませていただこう。