1歴代誌4章

4章 逆転の人生

<要約>

おはようございます。本日の箇所には、人生逆転勝利のエピソードがいくつか挿入されています。系図が単なる人名の羅列ではなく、目的を持っているものであることがこうした小さな挿入によって、さらにその意図を強化されています。ヤベツの祈り、そしてシメオン部族の復活、そこに私たちの希望もあります。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

  1. 歴代誌の流れ

歴代誌の著者は1~3章までにわたり、アダム→アブラハム→イサク→ヤコブ→ユダ→ダビデと神を礼拝する民を歴史的に概観してきた。続く4~8章では、イスラエル各部族の系図とカナンの占領を回顧している。本章では、2章から始まったユダ部族の系図の補足がなされていると考えてよいだろう。それは、大きく六つのグループに分けられて記録されている。

①ペレツの子孫(1節、2:4-5)であるフル(1-4節、2:19-20、50b-55)とアシュフル(5-8節、2:24)

②ヤベツ(9-10節)

③ケルブ(11-12節)

④ケニ人オテニエルとカレブ(13-16節)

⑤他のあまり知られていないグループ(17-20節)

⑥ユダの息子シェラ(21-23節、2:3)である。

しかし、系図にあげられた名前は、細かく変形しており、わかりにくいものとなっている。たとえば1節の「カルミ」は、「カレブ」なのかもしれない。3節のエタムは人名になっているが、地名のようである(32節)。これは5節のテコアも同様で、39節のゲドルという地名は、ゲラルと思われるものだ。

2.ヤベツの祈り

ともあれ、注目されるのは、それらに挿入された短い注釈である。たとえばヤベツであるが、その名の意味は「彼は苦痛を与える」である。ヤベツの悲しみが何であったのかは、少しも語られていない。つまりここで注目させられるのは、彼が悲しみから解放されたことである。ヤベツは祈りによって、自分の人生を逆転していく。彼の自らの運命を克服しようとする具体的な祈りに、神は耳を傾けられた(10節)。当時の人々は、この記事を大いなる励ましとして受け止めたことだろう。

実際、考えてみるなら、この歴代誌の読者は、バビロン捕囚からの帰還民で、自分たちの神殿と町の再建に、ちり芥は山をなしている、と千里の道も一歩からの思いにあった人たちであった。そのような読者を励まし、イスラエルの再建を促進する目的をもって書かれたわけなのだから、ヤベツの人生逆転の祈りは重要なものであったはずである。

3.ヤベツの祈りの共同体的性格

しかしさらに重要なのは、ヤベツの祈りを礼拝の祈りとすることである。後に、ダビデと並んで神殿建設者のソロモンが登場するが、ソロモンは、神殿の完成にあたり「この宮に来て祈る時、あなたご自身があなたの御住まいの所である天からこれを聞き・・・あなたに向かって願うことをすべてかなえてください」(2歴代6:32,33)と祈っている。それは、「宮では、御名が呼び求められなくてはならないことを知るようになる」(2歴代6:33)ためであるように、礼拝は、神の御名を呼び求めることがその本質だからだ。つまり礼拝では、ヤベツのように具体的に神の祝福を期待し祈ることが許されている。礼拝は、ヤベツのように御名を呼び、人生逆転の証を得る、祝福の場なのである。そしてそれは個人の祈りではなく、共同体の祈り、皆の心合わせた祈りとしてささげられるのである。

今日、どれほどこの連帯性、共同体性が教会の中で意識されているだろうか。礼拝が大事なのは、その共同体的性質の故である。今日は、礼拝に行くのがおっくうだから、家で礼拝をしよう、これは礼拝ではなく、個人ディボーションと呼ぶべきものである。個人ディボーションも大事、しかし、それ以上に大事なのは、自らの所属教会を定め、その教会の人々と共に、心から、神の御名を呼び求めることである。互いに手を取り合いながら、神を求め、神の御業を仰ぐ、それこそ教会が求められていることなのである。

3.シメオン族の逆転復活

続く、ユダ族に混じり存在したシメオン族の系譜、それがヤベツの祈りの後に記録されたことの意味は大きい。というのもシメオン族は、創世記34章に描かれた忌むべき行為のために、父ヤコブからのろいを宣言された部族であった(創世記49:5-7)。その際にシメオンと一緒にのろわれたレビ部族は、出エジプトのモーセによって名誉挽回のチャンスを与えられたが、シメオンにはそれがなく、彼らは、全く歴史の狭間に消え去ったかのような存在であった。しかし、神からも人々からも捨て去られ忘れられたような部族が、ここでその存在を確認され、祝福を勝ち取っている。41節、「彼らを聖絶した」とある。彼らは神の御名によって奮い立ち、神の戦いを勝ち取ったということだ。これもヤベツの人生逆転の祈りに通じる。彼らも神の御名によって奮い立ち、名誉挽回、逆転の人生を勝ち取った人たちであった。神の恵みに大いに期待して歩ませていただきたいものであるし、1人では心萎えてしまう時にこそ、教会で共に祈り、共に礼拝を持って力づけられたいものである。