1歴代誌7章

7章 ベニヤミン族以外

<要約>

おはようございます。北王国の部族について、エピソードを交えながら取り上げられて行きます。その中で印象的なのは、神の愛というよりも、人間愛により人が回復されていく場面でしょう。神の愛は、私たちの愛が全うされるところにこそ完全に表されるというべきです。教会は何よりも、主の愛に生きる共同体でありたいものです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.北王国残りの部族の系譜

この章は、ベニヤミン族以外、全てかつての北王国に属する部族の子孫について記録している。レビ族の扱いに比べればかなり短いものだ。イッサカル(1-5節)、ゼブルン(6-11節)、ダン(12節)、ナフタリ(13節)、マナセ(14-19節)、エフライム(20-27節)と取り上げられる。そもそも、捕囚からの帰還民の中心はユダ部族と、レビ部族であるとすれば、この系図の記録はさしあたり重要ではないが、著者には、イスラエルの部族は一つであるという意識があったので、書き留めたものなのだろう。また、どこで皆が一つなのかを示す、先のユダやレビの系図にはない、特徴的なことばや挿話が入れられている。たとえば、「勇士」ということばが、諸処に用いられている(2、5、7、9、11、40節)。レビの系図には出てこないものである。それは、いわゆるイスラエル再建を目指すために、捕囚の地から引き揚げてきた者たちに対して、あなたがたの先祖たちには勇士がいた、あなたがたも勇士であれ、と鼓舞し、祖国再建のためにイスラエル全体が一つとなる、という意識を持たせる試みのようである。

2.マナセの子孫のエピソード

次に、14-19節にはマナセの子孫のエピソードが取り上げられるが、これは、既にヨシュア17:3,4で取り上げられているものだ。それによれば、ツェロフハデには息子がなかった。彼の死後、土地を追われる身になった娘たちが土地相続の権利を訴え、守られていくエピソードである。この繰り返しは、歴史が移り変わってもなお覚えられる神の恵み深さを語っている。その身と力の小ささを嘆く者に、神はあわれみ深いことを確認させられるところである。

3.エフライム部族のエピソード

20節からのエフライム部族のエピソードは、歴代誌のみに出てくる記事である。エフライムは、ヨシュアという偉大な指導者を産み出した部族であるが、ヨシュアについては、27節に簡単に記されるのみであり、ここでは、エフライム部族に起こった悲劇的な事件とその悲しみが詳しく語られている。災いがありながらも、その逆境を乗り越えたエピソードとして、語り継がれてきたものなのだろう。ただ聖書の他の箇所にこの記事はない。

エピソードは、息子たちを殺される所から始まっている。彼は兄弟の慰めを得て、新たに子を設けている。また彼の娘たちが町を建てあげている。ここには、傷む者を思いやる優しい家族・親族の姿がある。私たちの人生には、将来に何の希望も抱けないと思う、悲劇的な出来事が起こることがあるだろう。そんな時に、その心を思い計る人々の気持ちはありがたいものである。

4.アシェル部族の系図

最後のアシェル部族(7:30-40)の系図では、選り抜きの勇士という言い方に注目される。大切なのは、歴代誌の著者がイスラエル北王国を認めている視点だろう。捕囚帰還民の多くはユダ南王国の者でありながら、彼らはイスラエル北王国の片割れを認め、彼らと一緒にイスラエルが再興されることを望んでいるのである。失われた者、失われていく者への思いと配慮、さらにはその回復を願う思いが真の再建を導くのだろう。だが、本当に他者を思いやることは難しい。おせっかいにならず、真に喜ばれる愛情を示すことのできる人は、それほど多くはないものである。今日、自然な形で、自らのみならず、また自らの教会のみならず、共に生き、共に再生することをこそ、祈る者でありたい。