1歴代誌19章

19章 全力を尽くそう

<要約>

おはようございます。アジサイが綺麗な季節になりました。アジサイの花も色々、色だけではなく、花弁も様々であることに、神の創造の御業の素晴らしさを覚え、感心いたすところです。主が備えてくださった世界にある私たちに、主の助けがある、これは、確信してよいことでしょう。昨日の聖書通読道場(ブログオフ会)も楽しいひと時でした。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.アンモン人の侮辱

アンモン人の王ナハシュが死に、その子が代わって王となった。ダビデは、ナハシュの子ハヌンに真実を尽くそう、と悔やみの使者を送った。しかしながら、その子ハヌンはダビデの真意を疑い、ダビデに侮辱を加え、ダビデに敵対する者となってしまった。

なぜ、このような展開になってしまったのか。理由がなかったわけではない。つまり、アンモン人は戦争のためにメデバの北に陣を敷いたが、それはダビデが、ヨルダン川東側の南方、つまりエドムとモアブを制圧していたことを意味する。イスラエルは勢いづいていたのだ。また、2サムエル記の平行記事を読むと、歴代誌では省略されている記事のあることがわかる。つまり、ダビデはアンモン人の宿敵サウル家(1サムエル11章)に親切を施している(2サムエル9章)。そうした諸々のことが、ダビデの真意を疑わせたのだろう。

ナハシュの子ハヌンは、銀一千タラントで、兵を雇い、さらに32,000台の戦車を用意し、戦いに備えた。これは大変な数を揃えたものである。思わぬ侮辱を受けたばかりか、これまた思わぬ脅威にさらされている。ヨアブは敵に挟まれたことに気づいて、軍隊を二分し、アラムに立ち向かう陣備えをしている。

2.アンモンとアラム

なお、面倒なことであるが、聖書通読が面白くなるためには、ある程度の知識量が必要であって、整理しておかなければならない部分がある。アンモンとアラム、よくわからない関係について簡単に整理しておこう。アラムはシリヤと訳される場合もあるように、地理的には、ユーフラテス東部、アンモンの北側に住む民族を指している。アラム人はまとまった国家をつくらず、小都市の連合国家であった。だから本章でも、アラムは、アラム・ナハライム、アラム・マアカ、ツォバと小都市の連合体として扱われている。またエドム人、モアブ人、アモン人等は、ヨルダン東側に定着した後、母国のアラム語を捨てカナン語および先住民の言語を受け継いだが、シリヤ系の人々はアラム語を保持したので、その人々が狭い意味でアラム人と呼ばれている。ヨアブが12節で、アラム人とアンモン人と二つの民族を並べているのは、そのような違いを意識してである。

そして、この時の布陣は、7-9節に描かれているのだが、この戦争は約1年に及び、ダビデの将軍ヨアブはアンモンの首都ラバを包囲している。この包囲戦の最中にウリヤが戦死する事件が起きている(2サムエル11章)。ヨアブは、最終的にはダビデの出陣を要請し、ラバを攻略するのであるが(2サムエル12:26-31)、その最初の布陣は、ラバに向かうものだったのだろう。しかし、アンモンは、アラムに援軍を要請、アラムは先回りをして、ラバの南側メデバの野に布陣し、既にイスラエルに従属していたエドムとモアブを押さえ、前方の首都ラバと後方のメデバの野から、イスラエルを挟み撃ちする形になったと考えられる。それでヨアブは軍隊を二手に分けて対処したというわけである。

2.互いに協力して

さて、これまでの礼拝の民の再建の流れで読んでいくならば、この記録はどういう意味を持つものなのか。振り返ってみると、9章までの系図、いわゆる礼拝の民の広がりを見た後に、私たちは礼拝の在り方を教えられてきた(10-16章)、17章から新しい区切りになり、契約に基づいて「勝利を与えられる」主に注目させられている(18:6,13)。19 章のキーワードは、13節、「強くあれ。全力を尽くそう」だ。著者は、イスラエルの歴史を振り返り、2サムエル記の資料を取捨選択しながら、礼拝を再興する民に、励ましを送っていると読むことができる。

第二のキーワードは、「もし、アラムが私より強ければ、おまえが私を救ってくれ。もし、アンモン人がおまえより強かったら、私がおまえを救おう」(12節)にある。互いに協力し合い、支え合うことで勝利しようというのだ。確かに捕囚帰還後の、礼拝を再興しようとする民に向けてこの歴代誌が書かれたとするならば、この歴史物語は実に効果的に組み込まれたことになる。指導者のもとに、互いに全力を尽くし、互いに協力してお互いの力を補いつつ、この難事業を完成させようというわけだ。実際、捕囚から帰って来た読者たちにとって、神殿の再建も町の再建も、さらには彼らのアイデンティティである礼拝の再建も、実に困難なことであった。世の流れに逆行するような日常性を回復するには、大いなる励ましと、ビジョンと一致を必要としたのである。

パウロも、コリントの人々に語ったように、「からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合う」(12:25)ことを教え、互いに協力してキリストのからだを建てあげるべき事を教えている(エペソ4:12)。また、教会の完成のために、「主の大能の力によって強められる」べきことを勧めている(エペソ6:10)。

この箇所は、ヨアブの軍事的勝利の記録としてさらっと読み過ごしてしまいそうな部分であるが、礼拝の民を再建しようとする者たちにとっては、重要な励ましがある。