エズラ記1章

エズラ記 1章 奮い立たせる主

<要約>

おはようございます。

本日からエズラ記に入ります。ちょうど歴代誌が書かれた読者のいた時代のエピソードがつづられていきます。この時代、彼らは、私たちが読む旧約聖書のメッセージをどのように受け止めながら、行動したかに注意しつつ読むことが大切なのでしょう。そのカギとなることばは、神の契約に対する誠実さであろうと私は思います。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.歴史的背景

BC538年キュロス王はバビロニヤを征服した。彼の最初の事業は、バビロニヤに捕虜となっていたイスラエルの民を自分たちの国に帰国させることであった。エズラ記を読むと、まるでクロス王が、イスラエルの神を信じているかのような印象を得る。しかし、歴史的碑文は、クロスがバビロニヤのマルドウゥク神を信じていたことを裏付けている。つまり彼は多宗教的な信仰を持ち、あらゆる種類の宗教を受け入れる者であったのだろう。

ともあれクロス王は、帰国を願うイスラエル人を励まし、また彼らに必要な金銀を援助するように命じた。そしてユダの君主シェシュバツァルにそれらを渡したという。シェシュバツァルの正体については定説がない。一つは、帰還と定住を監督する任務を担い、帰還後まもなくして死んだと思われるゼルバベルと考える(5:14)。また、エホヤキムの子の一人、シェヌアツァル(1歴代3:13)とする説もある。さらには特別に任命されたペルシヤの役人であるという説もある。「ユダの君主」は「統治者」と訳したほうがよく、このヘブル語は必ずしも王家の出であることを意味しないので、第三のペルシヤの役人説が有力だとされる。

2.契約に忠実な神

さて、1章を読んでまず思わされることは、ダビデ契約に忠実な神の存在であろう。歴史を動かすのは、神である。神がペルシヤの王クロスの心を動かしている(1節)。これまで神が、異邦人を動かす時は、イスラエルを裁く道具とされることが多かった。イスラエルが神に対して罪を犯し、偶像崇拝に走る時には、必ず、周辺諸国の民を用いて、イスラエルを悔改めに導く道具とする。しかし、ここで神は、異邦人の王クロスを、イスラエルを再興し、建て上げる道具として用いられている。神は、滅ぼしもし、建て上げもする。ご自身のあらゆる資源を用いて、イスラエルに約束されたことを忘れず実行しようとされる(エレミヤ25:12、29:10)。今の時代においても同様である。神は誠実な方である。神が私たちに約束されることは、決して放棄されることはない(ローマ11:26)。

また、神は、クロス王に働かれただけではない。ユダヤ人たちの心をも動かされた(5節)。実に興味深い点である。捕囚の中にあって、誰がその滅びの穴から抜け出すことを考えたであろうか。ユダヤ人が置かれた現実から、国を再興することへの希望は起こりえなかったことであろう。だが神が働かれるからこそ、運命が決定されたかのようにすら思われる環境の中で、新しい出エジプトへの思いが与えられるのである。また、事実彼らに必要なものは、全て備えられた。ペルシヤの王クロスは、宝庫を開けて、ユダヤ人に必要な資材を提供するまさに神の奇跡、神の大いなるあわれみがそこにある。

3.誠実な神に応答する

大切なのは、後で読むように、約束に忠実で、解放の恵みをもたらされる神を信じ祈り続けるダニエルのような者がいるかどうかであろう。ダニエルは祈った。自分たちの努力ではなく、「大いなる神のあわれみ」により、自分たちが回復される可能性のあることを信じ祈り続けた(ダニエル書9:18)。神は全世界を支配し、ご自身の目的を遂げられるために、地上のあらゆる資源を用いられるお方である。神はご自身の約束の実現のために、世をも味方につけて、世の富を注ぎ込んでくださる。そして、ご自身の約束に立つものの心を奮い立たせてくださる。すべての根源であられる主に期待したいところであろう。