エズラ記2章

2章 勇気ある帰還者たち

<要約>

おはようございます。どんな事柄であっても、大変な部分はあるものでしょう。しかし、物事をゼロから立ち上げる、創設の苦労はこれに取り組んでみた者でなければ分からないものがあります。それは、誰も関心を持たず、誰も共有しない孤軍奮闘の部分があるからです。けれども、その苦労を担う人がいなければ、新しい物事も起こらないのです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.エズラ記の特色

エズラ記は、後の二つの書ネヘミヤ記、エステル記と合わせて、旧約聖書の歴史書を完結させる。これらは捕囚後、神がユダヤ人をどのように取り扱ったのかを明らかにしている。エズラ記、ネヘミヤ記は、捕囚の地からエルサレムとユダヤに帰還した「残りの者」を扱っているが、エステル記は捕囚の地に留まっている者の出来事を描いている。しかもヘブル的資料のみならず、ペルシヤの公式文書等を用いて、イスラエルの民が生き抜いた厳しい時代を描いているのだ。

というのも、エルサレムへの帰還と神殿再建は、主の導きによって始まったはずなのに、速やかに物事は進まず、まるで主の導きはなかったかのように、敵の不当な抗議や妨害によって工事の中断を余儀なくされていく状況があった。神のみこころならば、何でも物事がトントン拍子に進む、と考えやすいところだが、そうではないこともあることのよい例証だろう。神の御心にかなうことだって、うまくいかず、妨げられ、中断させられ、臍を噛むようなこともある。けれども、神のみこころならば、必ずそれは成り立っていく。預言者を通して語られたとおりに、神は、捕囚からの解放と神殿再建を実現されるお方であることを、私たちは、この書を読みながら認めざるを得ない。同時代のハガイ、ゼカリヤ、マラキ等、預言者によって書かれたものも併せ読むならば、実に、神は御心を成し遂げられるお方である、とこれらの書から神に対する信仰を深められることだろう。

2.帰還者名簿の謎

2章は、帰還した者たちの名簿である。公式記録の写しなのだろうが、聖書学者の受け止め方は様々である。全くの虚構であるとする者、ゼルバベルからエズラの時代にかけて実際に帰った者の記録とする者、と様々である。しかしここでは実際の記録として見、少し内容を整理してみよう。

1)ゼルバベルとその仲間(2:1,2)11名。ネヘミヤの記録と比べるとナハマニの名が抜けている(ネヘミヤ7:7)。

2)氏族別の帰還者人数(2:3-20)15,604名。ネヘミヤの記録と比べると、人名の違いはほんのわずかであるが(ネヘミヤ7:7以下)人数は半数以上一致しない)

3)所属別の帰還者人数(2:21-35)8,540名

4)祭司数(2:36-39)4,289名。ダビデ王は祭司を24の組に分けているが(1歴代24:7-18)、帰還した者おリストに出て来るのは、そのうち4組のみである。

5)レビ人の数(2:40-42)341名

6)宮に仕えるしもべたちとソロモンのしもべたちの子孫(2:43-58)392名

8)血統不明の人々(2:59-63)652名

ということで、全集団の合計は、42,360名とされる。しかし、実際に、表記された数値を合計してみると29,829名。興味深いことに、全集団の合計値は、ネヘミヤ7:66、そして外典とされる1エスドラス5:41にも同じ値として出て来るのであるが、それぞれ、ネヘミヤでも31,089人、第一エスドラス書で30,143名と異なっている。名簿にあげられた数は、成人男子だけであるとか、ユダとベニヤミンの部族の者たちだけであるとか、最初に帰還した者の数だけであるなどと説明されるが、どういう数え方をしているのか、実際にはよくわからない。ともあれ、所属別を見ると、だいたいがユダとベニヤミンに属する地名であることがわかる。とすれば、この記録は、1:5にあるユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たち、という順に沿って書かれたものと言えるだろう。しかし、それ以上のことはわからない、わからないものはわからないままに、とりあえず受け止めておく他はない。

3.一歩先を行く者たちの名簿

むしろここで注目すべき、大切な点は、彼らはみな、エルサレムにある主の宮を建てるために上って行こうと立ち上がった者たちである点だ。普通に考えれば、今の安泰な生活を捨てて、新しい人生に飛び込んでいくなど、なかなか考えられないことだろう。だから、当然、ある者たちは残ったのであり、エルサレムへ上っていこうとする者たちを励ますわけである。しかしその飛び込んでいく人々、一歩先を行く人々がいなければ、物事は始まらない。2章の名簿は、その大胆な一歩を踏み出した者たちの記録なのである。

出来上がったものを、新たに運用するのも、それなりに大変な部分はある。しかし、ゼロから一つ一つ積み重ねて建てあげていく働きは、並大抵の努力ではできない。普通に考えれば、理性が邪魔をして、そのように試みる人を励ましはしても、自分から飛び込んでいく気にはならないものだ。だが、エルサレムの再建はそこから始まった。そのような意味では、誰かが道を開かねばならない、一歩先を行かねばならないことがある。「一族のかしらのある者たちは、…進んでささげ物をした」(68節)とあるように、資金にしても手弁当で工面し、自分たちにできることをまず始めることがある。ただ神はその一歩を後押しされるのである(ヘブル11:1)。信仰の第一歩を踏み出し新しい時代を切り開く者でありたい。玉川教会について言えば、30人ほどの人数が集まり、これからが本当の創立時代というべき所に到達した。牧師のビジョンにフォロアーがついてきたゼロ開拓時代も確かにあった。しかし教会は、核ができるまでが大変で、核が出来たところから本格的な出発になる。そのような意味では、玉川教会の歴史は、株分け方式の開拓伝道の出発点に立ったようなものに過ぎない。様々な苦労を前向きに受け止め、神を信頼し、仲間を信頼し、しっかり物事を建て上げるための当たり前の衝突もしのび、乗り越えながら、共に玉川の地に光をもたらす教会を建て上げてまいりたいところだろう。