エズラ記3章

3章 新しい出発

<要約>

おはようございます。人間は記憶の中に生きているものでしょう。大切なのは、どんな記憶の中に生きるかです。神の誠実さを覚える記憶の中に生きるか、自分のみじめな過去の記憶の中に生きるかでしょう。いつでも、神の誠実さに期待してまいりたいものです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.開始された再建

イスラエルの民はエルサレムの再建に取り組み始めた。祭壇を築き(3:1-6)、神殿の礎を据えた(3:7-13)。

イスラエルで言う第七の月は、太陽暦では9-10月に相当し、贖罪の日、仮庵の祭りが行われる。その日が持つ意味からすれば、それは再出発にふさわしい時であった。彼らは「周りの国々の民を恐れていたので、祭壇を所定の場所に設けた」とある(3節)。恐れていたにもかかわらずか、あるいは恐れていたからこそなのか、わからないが、周囲の国々の脅威を感じていたのは確かである。実際、彼らはペルシヤから帰還を許された民で、軍隊も官僚機構も持たない、国の体をなさないわずか4万人の群れであった。

しかし彼らは反対されること、妨害されることもなく、モーセの書に書かれているとおりにまずは、仮庵の祭りを祝い、日々の全焼のいけにえを献げることができるようになった。回復の道筋は開かれたのである。神の約束への忠実さを深く味わい知る礼拝となったことだろう。

2.過去に縛られずに生きる

続いて民は、第2神殿(ゾロバベルの神殿)の建設に着手する。ソロモンによる第1神殿建設の際と同様、彼らはまず木材を手に入れ、工事に着手した。彼らはまず神殿の礎を据えていく。「以前の宮を見たことのある多くの老人たちは、目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた」(12節)とされる。第1神殿と第2神殿とでは、その基礎の大きさには違いがあったのである。老人たちは過去を回想し、自分たちの顛末を悲しんだ。礎は、建物のサイズ、形、構造を決める。老人たちは、その礎を見ながら、建て上がる神殿の貧弱さを思い(ハガイ2:3)、自分たちが回復しがたい失敗を犯したことを思わずにはいられなかったのだろう。

私たちに過去を変えることはできない。そして「過去」に縛られることが多い。しかし実際には、「過去の記憶」に縛られているのである。大切なのは、その記憶をどう心の内で処理するかである。過去は、私たちの歩みを導く舵となることもあれば、私たちの歩みを妨げる足かせにもなりうるからだ。

過去がもたらした現状に立ちつつも、信仰を持って未来を展望する歩みがある。信仰がなければ、過去は望みを奪う鎖となって私たちを縛り付けるだけだろう。しかし、たとえどんな過去を生きようと信仰を持って未来を展望するならば、そこに私たちは神の業を期待することができる。たとえ貧弱な未来を予測することがあっても、神の祝福は、私たちの思いを超えたものであり、その可能性は計り知れない。

老人の嘆きは、やがて、ほかの多くの人々の喜びの声にかき消されて行った。嘆きの叫びと喜びの声は交り合い、区別できなくなり、やがて喜びの叫びが勝利し、それは遠い所まで響き渡って行った(13節)。たとえ過去がどうであれ、主の約束に対する忠実さを思う人生には新しい未来がある。過去をいたずらに悲しみ、感情の赴くままに無為な時間を費やすのは止めることだ。新しい未来を築きあげる時を今日も積み重ねることにしよう。まずは、新しい出発を決意し、踏み出すことである。