エステル記8章

8章 モルデカイの勝利

<要約>

おはようございます。法令が取り消されずに、新たな事態を生み出す、これは神の知恵でしょう。王の対応は、知恵ある対応でありながら、これもまた主に与えられた知恵であったと言えます。主は人を備えられ、そして知恵を授けられ、全てを導かれるというべきなのでしょう。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.法令を無効にした法令

王はエステルにハマンの家を与え、彼女はモルデカイにハマンの家の管理を任せた。ハマンは死に、モルデカイは総理大臣となった。決定的な時は「その夜、王は眠れなかった」(6:1)から始まった。その時を挟んで、エステル記は、非常に対照的な言い回しをもって、大どんでん返しの結末へと書き進められている。つまり、1章において事の起こりと背景、2、3章において王による第一の布告、そして4,5章とハマンとモルデカイの衝突を取り上げユダヤ人の危機を描き、6:1の決定的な時を折り返し地点とし、6,7章ではハマンに対するモルデカイの勝利、8、9章では王による第二の布告、そして10章での結びとなっている。

非常によく構成された流れである。だが、その転機は、6章の王の決断というよりは、4章のエステルの断食と祈りにあると見るべきなのだろう。私たちの手には負えない、人間社会の動きを転換させるのは、まさに神である。ここに注意しなくてはいけない。ユダヤ人が奇跡的に守られたこの物語を通して、私たちが学ぶべきことは、祈りにおいて神が働くことであり、まさにコントロール不能の状況の中で、私たちに対する最善が神によって導かれることである。

こうしてエステルは、神に用いられて自らの命を助け、ユダヤ人の命をも助けることになった。ただ、王の命令が取り消されることはなかった。王が承認した正式文書をそんなに簡単に取り消すことはできなかったのである。エステルに懇願された王は、そのジレンマに対して、新しい法令をもって対処した。ユダヤ人を攻撃する者に対して、ユダヤ人にも同等の権利「根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、かすめ奪え」を与えたのである。となればもはやユダヤ人に対する攻撃の法令はあって無きも同然であった。なお、この命令は非人道的にも思えるが、既に述べたように、よく構成されたエステル記の表現法を踏まえて理解すべきものであり(3:13節に対する8:11節)、法令が取り消されずにして、ユダヤ人が回復された点が重要である。

そしてここは、神が罪人を救いに導かれた十字架の恵みを覚えさせられるところである。神は罪人を罰する律法を取り消すことはできなかった。神は義しいことを行う方であり、その決定は永遠である。しかし神は、イエスを十字架によって罰する、新たな対応をもってその律法の要求を無効にされた。法令は取り消されずにして、罪人は救われたのである。

2.急いで伝えられた法令

また、もう一つの点に注目させられる。救いに与った私たちは、王の急使に重ね合わせられる。私たちが主の救いに与ることは、「光と、喜びと、楽しみと、栄誉」(16節)に与ることに他ならない。それは、「悲しみと、断食と、泣き声と、嘆き」(4:3)の時に対比される。そして、神の命令によってせきたてられ、急いで出ていく、急使は、私たちそのものである。同じヘブル語は、戦車用の早馬(ミカ1:13)もしくは、ソロモンが特別に輸入した駿馬の「早馬」(1列王4:28)にも使われている。キリストの十字架の恵みによって、今、光と喜びと楽しみと栄誉にあるとしたら、その恵みは急いで語り伝えなくてはならない。主の救いは祝福なのだから。