雅歌7章

雅歌7章 回復、成長する愛
おはようございます。歌あり、踊りあり、雅歌が歌、台詞、ダンスを統合したミュージカルとして再現されたら、どんなに素晴らしいかと思うところです。信仰は、特異な世界ではなく、日常性の中にあるもの、常識的な日々の生活に結合すべきもの、と思うところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.回復
関係を回復した夫が妻に語り掛ける。1-5節は、愛する妻に対する賛辞というべきもので、これまでの賛辞4:1-7、6:4-9とは、視線が逆で、下から上へ向かっている。それは、6:13の最後の2行に出てくる「二つの陣の舞」と関係しているものだ。それは、昔、戦において捕虜となった女たちによって演じられた踊りをイメージしているようだが、ここでは、ソロモンとエルサレムの女たちが、このシェラムの女の舞に注目しているのだ。歌劇であるとすれば、ここは、女が舞台の中央で、優美な舞を見せている場面である。だから、サンダルをはいた足や、もも、へそにまず魅せられるのである。当時サンダルは、間違いなく裕福さのしるしであった。バテ・ラビムの門、ヘシュボンの池、レバノンのやぐら、カルメル山、今の私たちには、それらがどんなイメージ、印象であったのかはわかりにくい。当時の人々には、ピンときた最高の賛辞だったのだろう。5節「紫の羊毛」この染料は、安価ではなく、ほとんど王侯たちだけが使用し、祭式に用いられたものである。ともあれ、妻とソロモンは、自分たちの日常に戻りその愛を回復した、と言えるだろう。
2.女が主導する
「ああ、人を喜ばせる愛よ」(6節)。愛に使われているヘブル語は、アハバー。旧約学者スネイスは、この単語によって表現される愛を「選びの愛」と呼び、ヘセドの愛(契約の愛)と区別した。アハバーは、非合理的、感情的な愛、ヘセドは理性的、意思的な愛で、結婚の契約に対する「誠実」さや「忠誠」さを特徴とする愛である。確かに感情的に大好きというだけでは、その関係は長くは続かない。ことに結婚においては、その契約を、誠実を守り続けるヘセドの愛が維持されない限り、その絆は破綻しやすい。結婚は約束事なのだ。だから離婚は愚か、家庭内別居すら乗り越えなくてはならないところである。だが、ヘセドに義務付けられた愛だけもありえない。6節の「愛」は、アハバーである。それは、喜びの愛、甘美な時の共有を意味する。関係の回復された夫婦には、甘い時がある(8、9節)。なつめ椰子は生命力、若々しさの象徴、ぶどう酒も、朦朧とした愛の象徴である。二人の強い絆を詠うものだろう。
注目すべきは11節。2:10-13においても、夜を野原で過ごそうという誘いがあった。しかし今度の誘いは、女からである。妻が自ら積極的に夫の愛を受け入れ、夫に愛をささげよう、と語っている。ただ愛されていた者が愛する者に変わっていく。先に愛されることに慎重であった女が、その抑制を外すのみならず、主動者となっていく。確かに、愛は互いに確認し、互いをささげあう。一方通行ではない。人は感情的に結びついて終わりではない。そこからさらに愛は、成長し、成熟するのである。