イザヤ書11章

イザヤ書11章 大路を踏み出す
 おはようございます。9:2-7において語られた理想の王国についての預言が、ここにも繰り返されます。イスラエルの王たちはこの預言を読みながら、自分こそこの預言にかなう者でありたいと思ったかもしれません。しかしそれはただキリストにおいて実現したのです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.新しい世界秩序
この預言は、早くてもBC717年、もしくはそれ以降とされ、イスラエルを滅ぼしたアッシリヤの勢いに、ユダが風前の灯火であった時に語られた。イザヤは、主がユダを守られる(10:33-34)のみならず、そこに、「エッサイの根株から新芽が生え」(11:1)と、新しい世界秩序が打ち立てられる、ことを語る。ただ、このメッセージは注意深く理解すべきだろう。というのも、既に9:2-7において、理想の王国の預言が語られたが、ここにおいてもまた、9:8から始まった一連の預言の区切りとして、理想の王国の預言を繰り返しており、その内容は、語られた時代を超えたものを持っている。
バビロンの王ネブカデネザルは、アッシリヤを下した後、ユダを滅ぼし、エルサレムを焼き払い、ユダから多くの捕虜をバビロンに引き連れて行った。彼らの一部は預言されたように(10:22)、ペルシヤの王クロスの時代にエルサレムに帰り、新しい秩序をエルサレムに再建する。しかしイザヤがここで言う、新しい秩序はその時代のものではない。
というのも、その秩序を打ち立てる王は、主をまことに恐れる逸材である(1-2節)、彼の政治は、曲がることなく、弱き者、貧しき者に希望をもたらす正しきものである(3-5節)、さらにその王国の影響は自然界に及び、獣と獣、獣と人が平和を享受する(6-9節)。そして、鍵語である「残された者」たちが、全世界からその旗印のもとに集まってくる(10-12節)。さらに、分裂していた北王国と南王国が一つとなり(13節)、全世界を従えるという(14節)。その国の繁栄は、かつて、エジプトから出て来たイスラエルの民が難儀苦難した砂漠の道なき道に、大路を整え、エジプトにいる残りの者が楽々戻って来れるような力強い、豊かなものであるという(15-16節)。
2.新約的解釈
このような叙述は、明らかに、イザヤの時代を超え、また私たちの時代をも超えた、未来について語っている。それはイスラエルという、一つの民族の回復を語るのではなく、霊的なイスラエル、メシヤを受け入れた「残りの者」の回復を語っている。だからこそ、その日は、ただ単に物が豊かにされるよりも、主にある真実の平和と平安に満ちた世界の実現として描かれている。そんな日が来るのが待ち遠しい。
この書を読むと、イスラエルの王の内、真面目な王が、このような王になりたいと善政を心掛けたのではないかと想像される。しかし善意だけでは、物事は処しづらく、それが逆に悪い結果をもたらし、人を苦しめる事例は無数にある。つまり万民が満足する善政は、誰もが求めるものであっても現実は複雑多岐を極めている。だから、この王国の実現は神の奇跡によるもので、キリストの復活の力にありて起こりうるもの、と言うべきなのだろう。