イザヤ書13章

イザヤ書13章 第二部、周辺諸国への預言(バビロンの滅亡)
おはようございます。今日からイザヤ書の新しい区分で、イスラエルからイスラエル以外の周辺諸国への預言集となっていきます。大切なのは神がイスラエルの神のみならず、世界各国を支配される神であり、すべての国が神のみこころの内にあることを学ぶことでしょう。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.バビロンの滅亡
1-12章は、イスラエルに向けて語られた裁きと回復のメッセージであった。13章から23章までがまたもう一つの区切りとなり、バビロン、ペリシテ、モアブなどイスラエル以外の諸外国に対する裁きのメッセージとなっている。13章は、バビロンが取り上げられる。
当時バビロンは強国ではあったが、まだアッシリヤに勝る勢力ではなかった。しかし、そのバビロンは、やがてアッシリヤを凌ぐ、一大強国となるのであるが、そのバビロンもまた神に打ち砕かれることを告げている。
1節、「はげ山」に旗を掲げるなら、それはよく見える目印となることだろう。「彼ら」は、メディア人(13:17)、「貴族の門」はバビロンを指している。そしてメディア人は、「聖別された者」「怒りを晴らす勇士たち」「わが威光に歓喜する者たち」「憤りの器」と種々言い換えられている。バビロンがアッシリヤを滅ぼしたのはBC606年、メディア人との共同による。その後メディアは、ペルシヤを併合し、BC539年ペルシヤ・メディア王国となって、バビロンを滅ぼしている。聖書が語るとおり、バビロンは確かにメディア人たちに滅ぼされた、というわけだ。
2.いくつかの矛盾
 だがこの章を巡ってはいくつかの議論がある。一つは、BC8世紀頃の預言者イザヤがどうして、このバビロン滅亡を語りえたかである。だから、この箇所は、イザヤ自身の預言ではない、と考える学者もいる。イザヤの預言的能力を否定すればそうなる。しかし、預言の性質を考えるならば、イザヤが語ったと受け止めてもよいだろう。
 そしてもう一つは、まさに貴族の門を入場したキュロス王は、バビロンの市街も城壁も荒らすことなく無血開城した歴史的事実である。これを壊滅的な状況に陥らせたのは、BC318年これを攻撃したアレクサンドロス大王の後継者セレウコスによる。つまり、歴史的状況は、いささかミックスしているのだ。しかも、イザヤは「主の日」という鍵語を使い、その破壊的状況は宇宙規模に及ぶ壮大な内容を持つ(9-10節)。そこで、ここもバビロンの滅亡という歴史的な一事件を語るのではなく、終末的な二重預言が含まれている、と考えられる。
 ただ大切なことは、国が興って滅ぶのは、その国の実力でも偶然でもないことを読み取ることだろう。すべてを許しすべてを成り立たせている、目に見えない神の計画がある。だが人は、なかなかそのように受け止められない。だから、自分の一挙手一投足に、自意識過剰な執着を抱き、成功すれば自分の力を思い、失敗すれば自分の無能ぶりを思いながら生きている。しかし人間はそれほど完璧に人生を歩んでいるわけではない。ありうるはずのない成功に得意になり、陥るはずのなかった失敗に落ち込んで生きている。すべては神の業である。