イザヤ書17章

17章 ダマスコへの裁き
おはようございます。17章は、ダマスコ、つまりダマスコを首都とするアラム王国への裁きの宣告です。アロエルは、15、16章で語られたモアブ王国の代表的な町、その町同様にアッシリヤに滅ぼされることの警告です。私たちの力がどこにあるかを覚えたいところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.ダマスコへの宣告
13章以降、バビロン、アッシリヤ、ペリシテ、モアブとイスラエルの周辺諸国に対する裁きが告げられて来た。17章は、イスラエルの北方に位置したアラム王国への裁きが語られる。ダマスコは、その首都である。一般にアラムは、イスラエルの北方から、三日月形肥沃地帯およびティグリス、ユーフラテス川上流に至る地域に及ぶが、この地域とイスラエルの関わりは、アブラハムに遡る。アブラハムは、このアラム地方を通ってパレスチナの地に入ってきた。そして彼に仕えたしもべの長は、この地域の出身者であった(創世記15:2)。ダビデの時代、アラムは一時的にイスラエルの属国となったが(2サムエル記8:5、6、1歴代誌18:5-6)、ソロモンの時代以降独立し(1列王11:23-25)、イスラエルが北と南に分かれた分裂王国時代にはユダ南王国と同盟を結んでいた(1列王15:8-10)。その後アッシリヤが台頭すると、アラムはイスラエル北王国側に付き、ユダ南王国に対立した。こうしてアラムは、微妙な勢力均衡関係を保ちながら生き延びて来た国であったが、イザヤはもうそれも終わりであると言う。やがてアッシリヤが攻めて来て、イスラエル北王国と同様にアラムも滅ぼされると言う。イザヤは、その様を体の衰弱に例えて語る(4節)。5節の「レファイムの谷」は、エルサレムの南西にある平野で、アラムと関係のある地域ではない。しかし、この地での収穫の様子は、ユダヤ人には馴染みのあるたとえであった。イザヤのことばに彼らは、麦の刈り取りで取り残されるものはわずかであるイメージを容易に浮かべたのである。また、オリーブの実は棒で叩き落して収穫したが、その時に枝に残される実も、ほんのわずかであった(6節)。そしてこの預言は、確かにアッシリヤの王ティグラテ・ピレセルとシャルマヌエセルの時代に実現した(2列王15:29、17章)。
2.救いの神を忘れるな
 イスラエル北王国とアラムは、互いに同盟を組むことで安全を確保できると考えていた。しかし、実際に事を決するのは神である。15、16章ではモアブの滅亡が預言された。2節「アロエル」はその代表的な町である。アラムの首都ダマスコも、その町と同じようになる。たとえ「アロエル」に優って堅固な町と言えども跡形もなく、滅ぼされる(9節)、それはまことの「救いの神、私たちの力の岩を覚えていなかったから」(10節)とされる。
アッシリヤは、多国籍の軍隊からなる巨大な軍事力であった。その帝国の脅威の前に、多くの国々は、ざわめき、どよめいた(12節)。打つ手なしである。だが13節、そのように強力な脅威も圧力も、神を認めるのでなければ、神の怒りに触れて一瞬にして吹き飛ばされると言う(13節)。人がその力を誇り、栄誉を握りしめ続けることはない。世を正しく支配される主が人に栄誉を許されていることを認めた、弁えのある歩みが、求められている。