イザヤ書32章

32章 平和と義で支配される
 おはようございます。メシヤ預言と考えられる箇所です。もう、人の悪意やねじ伏せる権力はたくさんである、世の中のニュースを見てそう思う方々も多いでしょう。神の正義がなされることを心から願い、聖書の預言どおりの神の義の国が完成されることを祈るところです。今日も主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.義の国の完成と警告
 「一人の王」が現れ、素晴らしい政治を行う、と言う。実際には、当時のヒゼキヤ王を指す、とされるが、二重預言的に、キリストの来臨を語るメシヤ預言と考えられる箇所である。メシヤは、まさに「義によって」治め、その下にある指導者たちも「公正によって」支配する。つまり、政治家たちは、本当に国民のための避け所となるような政治をする(2節)。そして仰ぐべき神、聞き従うべき神のことばに人々は注意深くなるだろう(3節)。もはや、神を敬わない者、人を騙すような者は、その国にはいない(5節)。というのも、あらゆる悪は、今の世で十分なのであり、それらはいつまでも続かない。正しい者たちが神に祝福される世が実現するのである(8節)。 
やがて現れる栄光に満ちたこの素晴らしい国のイメージのもとイザヤは、エルサレムの女たちに、強く警告する。「安逸を貪る女たちよ。立ちあがって、わたしの声を聞け」(9節)なぜ女たちなのか。安逸を貪り、虚飾に走っているエルサレムの女たちの姿が、エルサレム全体の雰囲気をよく物語っていたのだろう。そして、差し迫った恐ろしい危険をよく考えるように、という。さもなくば、日常の収穫は失われ(10節)、町は壊滅状態に追い込まれる(14節)。実に、エルサレムの破壊的な状況が語られる。
2.祝福の日
15節からは、再び後に来る祝福に満ちた世界が語られる。イザヤは、エルサレムの女たちに警告した崩壊の向こうに、神の御手による革新と祝福があることを語る。「しかし、ついには、いと高き所から私たちに霊が注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる」(15節)悪で荒れ果てた国々に、新しい義が育ち、それが森のように覆うようになる。それは、神の霊によって完成される世界である(15節)。
 このメッセージは、どう読んでも、時代を超えた、メシヤの王国について語っている。20節「幸いなことよ、すべて水のほとりに種を蒔く」人々は。神は、この社会に霊の御業をなし、神のみことばに心開く人々を起こされる。そうでなければ、やがて来る素晴らしい国家も、今の世とは変わらない。今の世の延長である。一人一人が、神の言葉に基づいて、悔い改め、人生の方向転換をし、神を仰ぐ、そのベースのもとに新しい国家は造られる。人に求められていることは、いかに富むか、いかに強くなるかではなくて、罪に傾く性質、悪に傾く性がいかに新しくされるかにある。どうしても人は付属物である「モノ」を好むのであるが、本当に人に静けさと安息を与えるものは、内的な豊かさであり、正義である。私たちの心が、新しくされ、豊かな性質を結ぶことをこそ、求めていく一日としよう。神が私たちの魂を平和と義で支配されるように、祈り求めよう。