イザヤ書34章

イザヤ書34章 主の言葉に目を留める
 おはようございます。これまでのメッセージをまとめる内容に入ってまいります。34,35章は、重要な終末的預言であるのみならず、神のことばへの感受性を持つことの大切さを語っています。神のことばは真実であるという確信を持ちたいところです。今日も主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.黙示的メッセージ
 イザヤは、イスラエルとユダ(1-12章)、周辺諸国(13-23章)へ向けた具体的な預言に加え全世界に対する終末的な預言(24-35章)を語り、神のことばに耳を傾けるように語って来た。今日の34章と明日の35章は、これまでのメッセージを一区切りする。「国々よ」「諸国の民よ」と全世界に向かって34章は審判を、35章は復興の希望を語りかけている。
34章の初め(1-5節)に描かれる内容は、世の終わりをイメージする黙示的なものだ。虐殺、放置された死体、血にまみれた山々。パレスチナの山地は乾燥しているので一度雨が降ると、山肌が溶けた印象を得る。つまり大量の血が流されることを意味する。驚愕的な出来事が起こるわけだ。しかしそのスケールは天にも及び「天の万象は朽ち果て、天は巻物のように巻かれる」(4節)と言う。黙示録における宇宙のファイナルシーンを思わせるものである。
 聖書の神は裁き主とは言うが、地上の多くの事柄は、正しく裁かれもせずに闇に葬られていくように思われることがあるだろう。だが事実はそうではない。イザヤは、「主の書物を調べて読め(16節)」と語る。これまでイザヤが書き留めて来たものを意味するのだろう。30:8には預言を「書物に記し、後の日のために永遠の証とせよ」と語られている。神のことばはことごとく歴史的な真実となったというわけである。
2.エドムに対する宣告
 5節から、イザヤはエドムに対する具体的な裁きを取り上げている。エドムは神の民イスラエルに敵対する存在の象徴でもある。ボツラは、エドムの重要な要塞都市である。それが厳しく裁かれる。エドムはまさに神が預言したとおりに滅亡し、廃墟となり、いばらやいらくさが生え、ジャッカルやだちょうの住む場所となった(11-15節)。「それぞれ自分の連れ合いを欠くものはいない」(16節)は、人間ではない獣の巣窟となる、という意味である。
 偉大な終末の預言の後に、具体的なエドムの裁きが語られる。当時はだれも、エドムが、滅亡するなど考えることはできなかったであろう。だがその小さな事実を敷衍して、大きな未来を展望するように教えられる。主の書物、つまり聖書のことばは、ことごとく起こりうるものとして語られている。それは神の霊によって書かれた永遠の真理である。残念なことではあるが、そのような特別な書に対する感覚を失ってしまうことがある。私たちの罪の心が、神の霊によって目覚めさせられるように、神が私たちの心を揺り動かし、神の言葉に目をとめさせてくださるように、と祈るところだろう。今日、私の目が開かれ、神の義に打ち震え、なすべき正しいことをなさせてください、と祈る者であろう。