イザヤ書36章

36章 神の結果を見定める
 おはようございます。イザヤ書の預言的部分が一旦終了し、イザヤは自身の生涯の中でも神が介入してくださった、と思われる最も大きな事件を36-39章にわたって取り上げます。それによって後半40章以降の預言の重要さに意識を向けるためです。今日も主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.前半(1-35章)と後半(40-66章)のつなぎ手
 どこかで読んだ記事である。そう、一部(18:14-16)欠落しているが2列王記18:13-20:19と重なっている。つまりこの箇所は、①BC701 年、センナケリブのエルサレム侵略(36:1、2列王18:13-16)、②BC688年、センナケリブのエルサレム再侵略とエジプト軍ティルハカの反撃、ペストの流行によるアッシリヤの敗退(36:2-37:36、2列王18:17-19:35)、さらに、③BC681年、センナケリブの暗殺事件(37:37、38、2列王19:36、37)と三つの事件をまとめて記録している。
イザヤはウジヤ王が死んだBC740年頃に神の召しを受けヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に預言者として活躍した。その間、アラム・イスラエル北王国連合によるユダ侵略の危機、繰り返されるアッシリヤの侵略、ダマスコ、サマリヤの陥落、エジプト王朝の興亡、反アッシリヤ同盟を巡る政治的混乱、社会的経済的混乱、そしてここに描かれたアッシリヤの奇跡的敗退という事件が続いた。イザヤは、後半(40-66章)の預言の重要さに読者の注意、関心を向けるため、一旦預言を中断、これまでのイザヤの預言の言葉の確からしさを最も印象づけた、アッシリヤの奇跡的敗退の事件を取り上げていく。
2.アッシリヤ侵略
この時、アッシリヤ軍は、次々とユダ南王国の町々を攻め落とし、首都エルサレムへ迫っていた。ラキシュはエルサレムの西南約45キロに位置し、エジプトへの街道を支配する戦略的要衝であった。そこにセンナケリブの軍隊は本陣を構え、今やエルサレムを攻め落とそうと、エルサレムの西方2キロにある上の池の水道のそばに移動、集結していた。
既にユダ南王国は無条件降伏し、アッシリヤの属州とされていたのだから、エジプトに援軍を求めることは反逆に等しい。ラブ・シャケは、ユダ南王国の愚かな判断を批判するのみならず(4節)、自分たちの攻撃が、ユダ南王国がより頼む主の差し金であると言う(10節)。もちろんラブ・シャケは神を信じて、そのように言っているわけではない(20節)。神を恐れない高慢さの故であった。
この時、ユダの民は、アッシリヤの脅威に黙して一言も答えなかったと言う。ヒゼキヤ王が「答えるな」と語ったその命令に従ったからである。しかしそこに、神の民の信仰がある。脅威があっても心を騒がせることなく、すべてを支配される神が、これらをどのようにお取り扱いになるかを静まり見ていく、神の民のあり方が語られている。主を信じる者の希望は失われない。このような状況にあってどんな希望を持てようか、と思う人もいるかもしれないが、そこで神を信じる者は、敢えて聖書を開き、神のことばの確かさを思い信頼していく。そして、神がなさることの結末を見定める心を持つのである。