イザヤ書37章

イザヤ書37章 ただ主に目を注ぐ
 おはようございます。イザヤの時代に起こった、神の素晴らしい御業を覚えながら、信仰をいよいよ固くし、神に期待し、「下に根を張り、上に実を結ぶ」歩みへと進んでまいりたいものです。主のことばは真実であり、信頼に値するものです。今日も主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.アッシリヤの脅迫
 イザヤは、繰り返し、神の言葉の確かさを証拠とするためにこれを書き残すと語り(30:8)、さらに、主の書物を調べて読め(34:16)、と警告してきた。ここに至り、ヒゼキヤがようやくイザヤの助けを求めて来た。今さら、四方八方兵に囲まれ、もはやエルサレム陥落という状況において、ヒゼキヤは、重い腰をあげてイザヤのもとに伝令を遣わしたのである(1節)。
 イザヤは、もう遅いとは言わなかった。むしろ、「あの言葉を恐れるな」と語る(7節)。この対応に、ラブ・シャケは、エルサレムに軍隊を残し、ラキシュから移動したセンナケリブに報告をしている。センナケリブは、ラキシュの北方約70キロにあるリブナを攻めていた(8節)。まだ残党による蜂起があったのだろう。そして、クシュ、つまりエチオピア系のエジプト王朝ティルハカが援軍を送って来たことを知ると、籠城戦を決め込んだイスラエルを早く落とすために、再度無条件降伏を促す書状を送った(14節)。
 ヒゼキヤは、援軍が近づいているにも関わらず、迷わず神殿へ行き、センナケリブが否定する神そのものに心を向け、センナケリブの書状を神の御前に広げて、助けを求めて祈った(14節)。神殿が何であるかを、明確にするエピソードである。教会も同じであり、教会こそが主を求め、主に祈る場である。
2.神の応答
神は、イザヤを通して、ヒゼキヤに答えられた。アッシリヤに対する裁きのことば(22-29節)、そして、ヒゼキヤに対する約束のことば(30-32節)である。神は、アッシリヤの王センナケリブが高ぶり、ご自身を侮ることを許されない。アッシリヤの偉大な力は、ただ神のご計画によるものであって、センナケリブのものではない。それを思い知らせる、と言う。そしてもと来た道に引き戻す、と言う。他方、窮地にあって神を求めるヒゼキヤには、アッシリヤからの救いのみならず、アッシリヤによって散々荒らされた町々に、収穫の喜びを味わう正常な日常の回復が約束される。「下に根を張り、上に実を結ぶ」とは力強いことばである(31節)。それは、安定した繁栄を意味するからだ。
この言葉は真実であり、信頼すべきことばである。今回のコロナ禍にあって、思いがけずに窮地に立たされ、また力を失った思いにある方々、また教会もあることだろう。しかし、神は、恵み深いお方であり、いかなる荒廃においても「残りの者」「逃れの者」たちが、「下に根を張り、上に実を結ぶ」偉大な御業をなしてくださる。「万軍の主の熱心が」信仰者を立たせ、教会を完成させてくださる。その日、「主の使いが出て行って」という神の不思議が働く。神の不思議に賭けて行く人生がある。