イザヤ書42章

42章 助けるしもべ
 おはようございます。一般に「しもべの歌」と呼ばれる箇所です。このイザヤの預言を新約聖書のマタイは、イエスに当てはめて解釈しました。まさにイエスこそ優しい配慮ある仕方で、私たちの人生を建て上げてくださるお方です。今日も主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.メシヤ預言、しもべの歌
 1-9節は、一般に「しもべの歌」と呼ばれる。41章で登場した「しもべ」の働きが語られている。しもべは、神が選んだ器であり、優しく配慮のある、忍耐強い働きによって、力ではない正義に基づいた統治をおこなう、という(3節)。一体誰がそのような働きをするのだろうか。これまでの流れで考えると、バビロンを滅ぼしたクロス王が思い浮かぶが、そうではないようだ。しもべは、神によって見守られ、国々の光となり、諸国に救いをもたらすからだ(6節)。また、しもべは、人間がまだ経験もせず予測もしない神の栄光を現す働きをする(9節)。となれば、マタイがこの箇所を解釈したとおり、これをイエスについての預言として受け止めていくのが、正解と言える(マタイ12:15-21)。
神はまさにイエスを「しもべ」として選んだのであり、イエスは神によって力を与えられ、その十字架の使命を果たした。彼こそが弱い者、倒れている者を神の力によって立たせ、神の正義があることを人々に明らかにした。
だから「新しい歌を主に歌え」(10節)となる。神によってたてられた「しもべ」が、私たちの人生に新しい事をなす(9節)。喜べというわけである。イエスは、私たちの歩みを、これまでの流れとは違う方向へと導かれる。私たちが知らない道や知らない通り道を行かせる(16節)。イエスに期待する者は、日々惰性で生きることを止めるだろう。というのも、それは大きな決断であり、エネルギーを要することかもしれないが、逃してはならない、新しい人生のチャンスだからだ。
2.嘆きの歌
18節からは、一転して、心のかたくななイスラエルに対する嘆きの歌となる。「あなたは多くを見ながら、心を留めない。耳が聞いているのに、聞こうとしない」(20節)。何事にも無感動になり、聞かされていながら、その価値を理解できないでいることがある。あるいは、どんなに素晴らしいことであるとしても期待できないでいる。それが人の現実だ。人は変わりたいと思いながら、決断しようとはしない。むしろ自分の惨めな状況に不平不満を並べながら、無為な時を過ごし続けている。まさに「かすめ奪われ略奪された民、彼らはみな穴の中に陥れられ、助け出す者はなく」(22節)とあるように、希望のない捕囚の民に成り下がってしまっている。
神は、光を与えようとされる。神は新しい恵みを注ごうとされる。情けない人生を歩み続けるような思いを捨てて、罪人である私たちを受け入れ、私たちを立たせ、助けるしもべに注目したいところだ。しもべは来ている。イエスに対する信仰を明確にしよう。人の人生が変わるのは、この方を信じることにおいて他にはない。