マタイの福音書26章

マタイ26章 イエスの十字架への道
おはようございます。パスターまことの聖書通読一日一章です。継続は力なり。聖書を日々手に取り、心の糧とするなら、自然に養われてくるものがあるものです。今日もぜひ聖書を開きながら聞いてください。今日はマタイの福音書26章からです。
1.ユダの裏切り(26:1-19)
26章冒頭、「イエスはこれらのことばをすべて語り終えると」とあります。つまり、ここまでの内容が、イエスの語られたすべてであるとマタイは言うのです。そしてこれ以降は、いよいよイエスが語られたことに基づいて行動を起こしたこと、つまり十字架の使命を成し遂げていくイエスの姿が記録されるのです。ですからマタイは、場面も時も一挙にイエスの生涯の最期に移し、イエスの十字架の予告、最後の晩餐、ユダの裏切り、イエスの逮捕と裁判へと駆け足で書き進んでいきます。
まずマタイは油注ぎと呼ばれた出来事を書き留めています。この出来事は、すべての福音書に記録されていますが、微妙にその状況や内容が異なっています。その違いは、間違い探しではありませんが、後でじっくり読み比べて見つけていただきたいと思いますが、この時女は、インドから輸入されたぜいたく品の香油をイエスの頭に注ぎました。それは死体に塗るために用いられるもので、イエスの葬りの備えをするものでした。
続いて、ユダの裏切り(14-25)。イエスは銀貨30枚で取引されました。それは、奴隷を失った主人に対して支払われる賠償金の額に相当するものです(出エジプト21:32)。つまり、ゼカリヤが預言したとおり(ゼカリヤ11:12)、イエスの働きに対して彼らは銀30枚という評価を下したのです。神の子イエスの働きは、お金に換算されるようなものではなかったはずなのに。
2.最後の晩餐と逮捕(26:20-75)
ともあれマタイはこの後駆け足で、最後の晩餐、ゲッセマネの園での祈り、逮捕と裁判、そしてペテロの裏切りと綴っていきます。注意深く読むと、17節、マタイは最後の晩餐は、種なしパンの祭の第一日、ニサンの月の15日に行われたと記しています。しかし、ヨハネの福音書では、これはニサンの月の14日が始まる夜とされています(13:1、18:28)。となると、イエスが十字架につけられたのは、ちょうどお祭りで、過ぎ越しの小羊が殺される時刻、ニサンの月の14日が終わる午後に起こったことになります。おそらくヨハネの方が事実に近いのではないかと考えられていて、マタイの記録がどうして異なっているのか、その意図はよくわかっていません。気になる人もおられるかもしれませんが、福音書は大筋を書いているものであることは弁えておく必要はあるでしょう。
ともあれマタイは、56節、十字架の前にイエスの身に起こったこれらすべてのことが、聖書、つまり旧約聖書に語られていることが成就するためであったと言います。イエスのエルサレム入場を大歓迎した民衆の姿はなく、弟子たちもみな、イエスを裏切り消え去っていきます。さらにイエスには、辱めと侮辱が加えられています。この時のイエスの心境はいかばかりであったか、想像するのみです(ヨブ記29、39)。しかしこれが私たちの罪の赦しのためにイエスが引き受けられた試練でした。わずか銀30枚で、この偉業を成し遂げられたイエスに心動かされるところです。では、今日もよき一日となるように祈ります。