マルコの福音書1章

マルコの福音書1章 イエスの宣教のはじめ
1.福音のはじめ(1:1-13)
マルコの福音書は、イエスの誕生のエピソードを省略しています。マルコは、「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」と書き起こした後、バプテスマのヨハネの活動、イエスのバプテスマ、荒野の誘惑、ガリラヤ宣教とその要点を簡単に書き進めて行きます。マルコの福音書の特徴と言うべきなのでしょう。マタイは、イエスの教えを丁寧に取り上げましたが、マルコはイエスの行動に注目しているのです。
そこで、二つ目の福音書を読むにあたり、ぜひ心に留めておいていただきたいことがあります。福音書は、イエスが書いたものではなく、イエスの弟子たちがイエスについて書いたものだということです。マルコとマタイ、二つの福音書が異なるのは、それぞれが対象としている読者の違いによるものです。たとえば、9節、イエスがヨハネからバプテスマを受けたことをマルコも記録しますが、マタイの福音書の方が長く、これに、イエスのバプテスマの意義について、ヨハネとの間に押し問答のあったことが加えられています。それは、マタイがこれを書いた時期には、イエスのバプテスマの意義について語らねばならなくなった初代教会の事情があって、マタイは、それに答えるエピソードを加えたと考えられるわけです。福音書はイエスの言行録でありながら、イエスの時代と著者の時代、二重の時間軸を意識して読んでいく必要があるものなのですね。
2.イエスのガリラヤ宣教(1:14-45)
さて、マルコは、荒野の誘惑を記した後、ガリラヤ伝道を記録します。マルコの書き方は実に、簡にして要を得る書き方ですが、それは、マルコがローマ人の読者を念頭にしたからだと言われます。というのも、成果主義のローマ人は、業績に興味を抱く性質があったので、イエスがしたことをまとめていく書き方をした、というわけです。
まずガリラヤ宣教の初め、イエスはシモンとアンデレを弟子に招かれました(16-20節)。彼らはすぐにイエスに従いました。続いて会堂に入って教えられると、人々も、イエスの権威を認めています(21-28節)。イエスに肩書などありませんでしたから、まさに人々は、イエスの語ることばに力を感じたわけです。さらにマルコは、イエスの一連の癒しを書き留めていきます。まず、ペテロのしゅうとめの癒し(29-31節)。これは二つの点で、当時の宗教家のようではなかったイエスを印象づけるものでした。一つは安息日に癒しを行ったことです。ユダヤ人は安息日を厳粛に守るように教えられました。ですから、32節、人々は安息日が明けてから、イエスのもとに病人を連れてきて癒しを求めたとなるのです。また、当時の教師は、婦人が食卓で給仕することを許しませんでしたが、イエスは、それを受け入れています。人々はイエスのすることに全く異なる新しい空気を感じたのです。ツァラアトに冒された人の癒しもそうです(40-45節)。この時イエスは、身をかがめて手を指し延ばされて癒されています。当時の教師であったら背を向けたことでしょう。つまり、イエスは、そのことばも、振る舞いも当時の宗教家とは全く異なる印象を持って登場したのです。イエスは言います。38節「さあ、私はそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから」イエスの宣教の目的は福音、つまり神からの良き知らせを伝えることで、それは皆さんにも関わることです。では今日もよき一日となるように祈ります。