マルコの福音書4章

マルコの福音書4章 霊的成長の原理
1.種蒔きのたとえ(4:1-20)
当時の種蒔きは、種を詰めた袋の端を切り取ってロバの背に乗せ、歩かせて、種が落ちるままにする方法が取られていました。そこで種が道端や岩地、さらにいばらの地に落ちる状況も生じたわけです。イエスは、その種蒔きの様子を見ていたのでしょう。神のことばを聞く人の心の態度に結び付けて語ります。
まずある人の心は、踏み固められた堅い道のようで、種を受け付けません。イエスを敵視する宗教家たちはまさにそんな感じでした。またある人の心は岩地のようで、種が根を下ろすことができません。聖書っていいね、と初めは耳を傾けても、何か不都合なことが出てくれば身を引いてしまいます。またある人の心はいばらの地。こういう人も、聖書っていいねと耳を傾けますが、聖書に優って夢中になるものを持っているので、聖書がお蔵入りになってしまうのです。様々な心の態度がある中、聖書の言葉をしっかり受け止めて、自らの肉とし、血とするような聞き方をする人もいます。その人は聞いたことの30倍、60倍、100倍とよい実を結ぶでしょう、というわけです。
基本的にこのたとえは、3:35、昨日お話した神のマインドを大切にする家族のお話の続きです。9節、23節「聞く耳のある者は聞きなさい」とありますが、神の家族に加わろうとするなら、神のことばを聞く心の態度に注意することなのでしょう。ただ漠然と聞いているだけではだめで、やはり、神を認めて、神のことばに耳を傾けて、それを行う心で聞くことが大切なのです。そのような意味では、聖書通読も漫然と続けるのではなく、自分の生活に結び付けて考えながら、日々何かの決断を得るように読んでいくことです。
2.小さく初めて大きく育つ(4:21-34)
それがその人を形作ります。神の御言葉に養われて、心の安定を得て、輝いているような人は、誰の目にも明らかになるでしょう。隠していても、いつかは発見されて注目されるようになります。また、聞いたことは、実行することです。神のみことばは、祝福のことばですから、その投資に見合う見返りがあるものです。神のみことばは、リスクなし、空くじなしですから、小さく投資する人は小さく、大きく投資する人は大きく儲けます。26節、聖書を日々手に取り、心の糧とするなら、自然に養われてくるものがあるのです。どうしてそうなるのか、わかりませんが、神のことばにはいのちがあるので、それが心に蒔き続けられると、28節「地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます」いつも言うことですが、継続は力なりです。からし種のように、小さく初めて大きく育つ日が来るのです。
3.最初の一歩(4:35-41)
これらの教えの後、早速イエスの弟子たちは、聞いたことを実行するテストを与えられました。ガリラヤ湖は、縦21キロ横12キロの洋ナシをひっくり返したような形で、琵琶湖の3分の2はある大きな湖でした。彼らは、その湖の真ん中で激しい突風にさらされ、船が沈む恐怖に襲われていたのです。しかし、恐れある時にこそ、神のことばに正しい態度を持つべき機会です。神を信じる者に、何の恐れがあるでしょう。世の波風、嵐、どんとこい、と言えるほどでありたいものです。では今日もよい一日となるように祈ります。