ヨハネの福音書14章

ヨハネの福音書14章 聖霊と言う助け主
1.真理、命に至る道(14:1-14)
最後の晩餐で、イエスがまず教えられたことは、仕えることでした。そして裏切り者が現れることを予告すると、ヨハネが質問しています。「裏切り者は誰であるか」と(13:25)。イエスは、「私がパン切れを浸して与える者」つまり昨日のクイズによれば、特別な愛情を注いでいる者だ、と答えています(26-30)。次に、イエスは自分が去っていくことを予告しました。そこでペテロが質問しています。「どこにいらっしゃるのか」と(13:36)。イエスは14:1「父が住んでおられるところ」と答えています。そこでさらにトマスが重ねて質問しています「どうやってそこにいくのか」と(5節)。彼はわからないものをわかったふりをするような人ではなく、突っ込みました。イエスは言います「自分の足跡に従ってくることだ」と(6-7節)。それはまがい物ではない真理である、さらに、人生を価値あるものにするいのちの道だ、と言います。
しかし、このことばを聞いたとしても、イエスを道とする者は、少ないことでしょう。刻々と変わり行く時代の流れの中で、私たちは様々な人生の道を選び、辿ります。それは広い道、皆が歩いていく道であったりします。果たしてそれは、真理の道なのか、それとも誤った道なのか、それは命に至る道なのか、それとも死、あるいは滅びに至る道なのか、考えたいところでしょう。
またイエスは、これまでご自分が地上の政治的な勇士、王ではなく、霊的な救い主であることを繰り返し語ってきました。それは地上の王国に優る、目に見えない神の国があることを真面目に語るものです。しかし果たして、そのような霊的な神の国というものがあるものなのか。神がおられるのか、ピリポは、不可能であるかもしれないけれども、父を見たい、神を見たいとイエスに申し出ます。イエスは言います。私と父は一つ、私を見た者は父を見たのと同じである、と。
2.イエスの約束(14:15-31)
さてイエスは、ご自分がいなくなると予告し、取り残される不安にさらされている弟子たちに向けて、自分がいなくなっても、聖霊なる助け主がともにいてくださること、またご自分が戻って来ることを約束されています。そして彼らが恐れを克服するため、四つのことを語られています。第一に16節、イエスが遣わす聖霊を信頼することです。聖霊は、26節、イエスの言葉を思い起こさせ、イエスに代わって教えてくれるのです。そして第二に27節、イエスが与える平安を求めることです。恐れ、ざわつく心を自分で押さえつけることなでできないものでしょう。しかしイエスの平安が私たちの心を静める経験というものがあるのです。第三に、29節、神のご計画を思い、見守ることです。イエスは、去って終わるのではなく、再び戻って来られることを約束されました。自分であれこれ考え、動き回るのではなく、神の言葉を静かに信頼し続けることです。そこで大事なのは、イエスをどれほど親しく知っているかなのでしょう。日々聖書を読むことは、聖書知識が増す以上に、イエスの人となりを知る機会を与えるのです。それこそ聖書通読の楽しさですね。最後に、31節、イエスに倣うことです。悲観的、否定的な心の習慣を捨て去り、キリスト共に、困難と闘う気持ちをしっかり持つことです。逃げられないものは逃げないで立ち向かうことです。神は、私たちの助け手であり、支え手であることを信頼するなら、神と共に立ち上がる勇気を持ちたいものです。

最後に、今日の聖書クイズを一つ、ヨハネの福音書の中で、イエスがご自分を表現するのに、使わなかった言葉はどれでしょう。①門、②道、③光、④山、どれでしょう。昨日のクイズの答えは、②ルツ記でした。2:14に、ボアズの好意を得たいルツに対して、ボアズが、食べ物を浸して渡す習慣を取り上げ、認めている姿があります。今日の答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。