ヨハネの福音書17章

ヨハネの福音書17章 大祭司の祈り
1.イエスのご自分のための祈り(17:1-5)
  最後の晩餐が終わりました。イエスは、教えるべきことを皆教えられたのでしょう、ご自分の時が来たことを知り(18:4)、ゲッセマネの園へ向かう前に、しばらく、父に祈る時を持っています。そこで祈られたのは、三つのこと、自分自身について(1-5節)、弟子たちについて(6-19節)、そして教会(20-26)についてです。
まず1節、イエスは、ご自分の栄光が現されるように祈ります(1節)。それは一見自分を第一とする祈りに見えながらも、実際には、永遠のいのちの祝福がイエスに従う者たちに与えられることを確証するための祈りでした。4節、イエスは、神がご自分に計画しておられたことを、全て忠実に行ったのです。そこで、天に戻り、「世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光」が現わされるように、と祈っています。キリスト教は、神は一つであると言いますが、父なる神と子なる神はここではっきり区別されています。二つが一つ、聖霊を合わせて三つが一つ、三位一体よくわからないと思われる方もおられるでしょう。ただ神が人間の知恵で説明できたら、もはや神ではありません。人間以下でしょう。それでも、敢えて不完全な解説をすれば、一人の人が父親であり、夫であり、かつ息子であることがある、と説明できるかもしれません。大切なことは、その神と子なる神イエスを知る、知的に理解するというよりも、親しい人格的な関係を得るということです。だからこそ3節、それが永遠のいのちだと言われるのですし、それが神の願いであり、信仰の目的でもあるのです。
2.弟子と教会のための祈り(17:6-26)
続いてイエスは、弟子たちのために祈られました。6節「わたしはあなたの御名を現しました。」「現しました」は、覆いを取り除く意味があります。イエスは、弟子たちとともに3年の時を過ごし、それによって神の「御名」、つまり神のご性質を余すところなく示されたのです。イエスを見た者は父を見た者であると言うとおりです。そして今イエスは天に戻るにあたり、取り残される教会のために祈るのです。11節、「あなたの御名よって、彼らをお守りください。私たちと同じように、彼らが一つとなるために」と。父とイエス、そして聖霊が異なるものでありながら、一つであるように、教会も、多様な者が一致するようにと祈られています。鳥の巣が、木の枝、プラスチック片、ハンガーなど雑多な素材で出来ていながら、愛の巣として機能するように、教会も、神の愛によって信仰者一人一人が育まれる場として一つに完成されることが期待されているのです。そうであればこそ、17節「聖別してください」とも祈られます。そこは、この世にはない、特別な場所、天に通じる場所であることが期待されるのです。
 最後に20節、イエスは、弟子たちのことばによってイエスを信じる人々、つまり当時の教会の人々のみならず今日の私たちのためにも祈られています。驚くことです。イエスが私たちのことも心にかけ祈られたとは。そこでイエスは、21節、三位一体の神と同じように、一つになることを祈っています。三位一体の神秘が理解できるのは、キリスト者が教会において一つになる経験をする時なのでしょう。そして世はその経験を目撃する時に、神がまことにおられることを知るのです。伝道の力は、教会が声高に宣伝したり、パフォーマンスしたりすることにあるのではなく、ただ、神の永遠の命に生きるところにあるのです。

最後に、今日の聖書クイズを一つ、次の川のうち、ヨルダン川につながっていない川はどれでしょうか?①アルノン川、②ヤルムク川、③キション川、④ヤボク川、昨日のクイズの答えは、③魑魅(すだま)でした。聖霊は、木や石の精や物の怪とは違う、神そのものです。今日の答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。