レビ記8章

8章 祭司への任職
1.祭司への任職(8:1-5)
この8章から10章までが、また一つのまとまりを持った内容になっています。1~7章は、ささげ物について、8~10章はささげ物を実際に神に献げる、祭司の任命について語るものです。モーセは、全会衆を会見の天幕の入り口に集めるように語っています。何百万の会衆を幕屋の入り口に集めるなど、本当に可能であったのかと思われるところもありますが、この儀式は七日間続いたので、全会衆が代わる代わるやってきたと考えるのがよいのでしょう。ともあれ、今日、神を信じる者は皆祭司とされているのですから、この箇所は、私たちにとっても重要な真理を伝えています。
2.任職の儀式(8:8-29)
まず、祭司への任職の儀式は、「水の洗い」から始まりました(6節)。水の洗いは、今日的に考えてみると、水と御霊のバプテスマ(洗礼)を象徴するものです。使徒パウロは、新約聖書のコリント人への手紙の中で、こう語っています。「主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです」(1コリント6:11)。次に祭司にふさわしい装束が着せられました(7-13節)。「(モーセは)アロンに長服を着せ、飾り帯を締め、その上に青服をまとわせ、さらにその上にエポデを着せた。次に、彼に胸当てを着け、その胸当てにウリムとトンミムを入れた。また、彼の頭にかぶり物をかぶらせ、さらにそのかぶり物の前面に、金の札すなわち聖なる記章を付けた」(7-9節)今日的に言えば、霊的な武具を身に着けることに相当するのでしょう。使徒パウロは、エペソ人への手紙の中でこう語っています。「腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。」(エペソ6:14-17)ユダヤの祭司制度に親しんで育ったパウロは、キリスト者は皆祭司である、という真理を理解した時に、キリスト者は、やはりそれなりの装束で身を整えなければならない、否、信仰者の人生は霊的な戦いなのだから、霊的な武具を身に着ける必要があるという結論に達したのでしょう。ことにパウロは、キリスト者の主要任務は、宣教にあると考えたところがあります。そして祭司はとりなしをする任務が主ですから、キリスト者も、福音を世界に広く告げ知らせ、神と人との間の橋渡しとなる聖なる任務のために身に着ける聖なる装束をもっと霊的に、もっと積極的にイメージしたと言えます。
そこで第三に、聖なる務めに就くのですから、聖霊の油注ぎが必要となります(10-13節)。イエスは言われました「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そしてエルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒1:8)イエスの油注ぎによって私たちは聖別され、神に与えられた使命に立っていくのです。
第四に、ささげ物を献げて聖別します。罪のきよめのささげ物、全焼のささげ物、そして任職のためのささげ物と交わりのいけにえです(14-32節)。任職のためのささげ物には、明らかに、罪のきよめのささげ物や全焼のささげ物とは違う手順があり注目されます。つまりそれは、雄羊の頭の上に手を置くだけではなく、その血を祭司の右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に塗るのです。血塗られた耳たぶは、神のことばを聞くために、血塗られた手は神の奉仕に携わるために、血塗られた足は主の庭を歩くために、すべてが聖別され、新しくされたことを意味するのです。今日のキリスト者も同様で、ペテロはこう言いました。「ご存知のように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです」(1ペテロ1:18,19)と。
そして最後に再び、油注ぎの儀式を行います(30-36節)。これらはすべて出エジプト記に記されたことの繰り返しです(出エジプト28:41、29:4-7、19-28)。聖別のための水の洗い、奉仕のための着衣、聖霊の油注ぎ、血潮による聖別、すべて、今日のキリスト者に必要とされることなのです。
3.任職後のこと(8:33-36)
さて任職後、祭司たちは、向こう七日間会見の天幕から出てはならないとされています。それは、彼らが世の活動から分離し、神の奉仕のために任命されたことを明らかにしました(33節)。
かつては、奴隷であったイスラエルは、もはや奴隷ではありませんでした(エゼキエル16:7)。彼らは、どの諸国からも独立し、また自分たちのために祭司を立て、装束を着せ、神を礼拝する民としての歩みを始めたのです。朝から晩まで空しくレンガ造りをするだけの奴隷生活を送っていた者たちが、神を礼拝し、人を愛し、人々に平和を告げ知らせる歩みを始めたのです。この変化の大きさと、そのような変化をもたらした神の恵みに彼らが感謝したことは想像に難くありません。キリスト者もただ罪の滅びの穴から救われたのではありません。主の祭司として神に選び分かたれ、周囲の人々に神の平和と祝福をとりなす者として立てられているのです。この大きな恵みを覚えて、感謝しつつ歩ませていただくこととしましょう。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>

最初に、昨日のクイズです。さげ物の肉の部位で、決して食べてはいけないとされているものは何でしょうか?答えは脂肪(レビ7:23)でした。では、今日の聖書クイズを一つ。一般にささげ物には5種類のものがありましたが、祭司の任職の儀式で、献げられることのないささげ物は何でしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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