レビ記12章

12章 出産の規定
1.不浄の意味(12:1-4)
 食事の次は、出産について。日常性の中で信仰を考える第二弾というべきでしょうか。普通の感覚であれば、子どもが生まれたら、嬉しい、幸せということではないかと思います。女性にとっても母親になれた幸せ感で満たされた、最高の時ではないかと思います。そこに神様を引き出すなら、母体をお守りくださり感謝します。どうぞこの子の行く末を祝福してください、となるでしょう。
ところがレビ記は、子どもが生まれた時には、生んだ母親は汚れているので、宥めが必要だと言うのです。一体これはなんだろうな、と思うところではないでしょうか。まさかレビ記は、子どもを産んだ女性は、衛生的に汚れ、隔離が必要だと言っているのでしょうか?ネパールの西側のある地域では、女性が生理になると、家から離れた小さな小屋に隔離する習慣があると聞きます。女性は血を流し、不浄であると言うかのように。そして小さな小屋に不衛生な状態で押し込められた女性が命を落としたというニュースも耳にします。レビ記も同じようなことを言っているのでしょうか?
いくつかカギとなる言葉に注目してみましょう。まず、彼女はその出血の汚れ、つまり出産の汚れから、きよめられるために、宥めが必要だと言われている点です。「消毒」が必要と言っているのではない、「宥め」が必要と言っている。宥めということばは、神の怒りを前提にしています。出産に当たって、神の怒りがあるということを言っている。そこで思い起こすべきことは、エバが神に背いた罪です。神は、禁じられた木の実を食べたエバに対して、「あなたは苦しんで子を産む」(創世記3:15)と裁きを告げられました。エバは、産みの苦しみの中で自分が、神を認めず、神に背を向けたこと、自分が神に造られた者であるという立場を超えてしまったことを覚えさせられたわけです。彼女の罪は罪のきよめのささげ物で、償われる必要がありました。さらに、出産という危険な試練の中で、神のあわれみによって無事に子を産み、命をつなぐことができた、神の愛は変わらない、神は罰するが、赦し癒されるお方でもあることを覚え、これから先、神の前に遜り、神を主として生きる献身の思いを新たにする、その思いを込めて全焼のささげ物が献げられることになるのです。
そしてエバのかつての失敗は、全ての女性に同じ現実があることを物語っているのです。人は出産という機会を得るたびに、実はその非常に危険な時に、人間が人間であること、人間をお造りになった神を認め、神の前に遜るべきことを教えるわけです。そして、男性も、妻と共に、性がいのちをはぐくむ尊いものであり、また、罪の性質を持ち、神の怒りにさらされている者でありながらも、既に宥めがなされ、神が私たちの守り手となってくださっていることを覚えるわけです。
それは、実際には、とても大切な子育て、家庭教育の準備にもなることではないかと私は思うところがあります。子育ての障害となるものは、親の我欲、罪の思い、それが子どもとの関係を歪め、また子どもの人生に大きく影響を与えていくことがあるものでしょう。そうであればこそ、自らの罪性を認め、遜った思いに子育ての出発点にならせられるというのは、とても重要なことと思うのです。
2.不浄の期間(12:5-8)
なお汚れの期間が七日間というのは、完全数の7を意識してのことでしょうから、そのような人間の罪性を十分認識した後で、男の子には、割礼の儀式をほどこす、つまり契約の民の中に正式に加えるのです。割礼は、アモン人、モアブ人、アラブ人、エドム人を含む西セム族の人々の間で行われるものでしたが、ペリシテ人、カナン人、アッシリヤ人、バビロニヤ人の間では行われていませんでした。イスラエル人の場合、割礼によって、神の民となる、ということは、神と人の根本的な差を理解していること、人が罪人であり、贖いが必要な者であるという現実をよく理解していることを意味しました。古代のイスラエル人は、このようにして、生まれたての子どもに、自分に正直になってしっかり向かい合う時を設けた、というべきではないでしょうか。単なる宗教儀式として読み流してはならない箇所ではないかな、と私は思うところがあります。また女の子の場合には、その期間はいずれも倍にされています。それは男性優位の社会の中で、母親が、女の子のためにはより丁寧に世話をする時間を与えられた、それによって、女の子が情緒的にも安定して育てられるようにした、と考える説は間違っていないように思います。 
ともあれ、レビ記が語る汚れは、神との関りの中での汚れです。神を信じて生きるというのは、ただ教会に通う、礼拝に集う、祈るといった宗教的な行為をすることではなく、日々の生活の中で、神との関係を大事にすること、神は神であって、人ではないし、人も人であって神ではない、神に造られた者であることを確認させられながら謙虚に生きることでもあるのです。今、人は皆主にあって神の呪いを解かれ、救いの中に置かれています。全ての人は救われている、この事実に感謝したいと思いますが、全ての人がその救いを受け入れているわけではありません。全ての人が神を認め、その神に赦され受け入れられている祝福を受け入れて生きているわけではないのです。この事実のために深い祈りが必要です。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>

最初に、昨日のクイズです。古代イスラエルで、食べてはいけないとされた動物は、どれでしょうか?①豚、②牛、③羊、答えは①豚(11:7)でした。では、今日の聖書クイズを一つ。エバが神に逆らって禁じられた木の実を食べた時に、エバの心を捉えていたのは、サタンのどんなことばでしたか?
答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです!