レビ記18章

18章 神の民として生きる
1.基本的原則(18:1-5)
「あなたがたは、自分たちが住んでいたエジプトの地の風習をまねてはならない。また、わたしがあなたがたを導き入れようとしているカナンの地の風習をまねてはならない。彼らの掟に従って歩んではならない(3節)・・・あなたがたは、わたしの掟とわたしの定めを守りなさい。人がそれらを行うなら、それらによって生きる。わたしは主である」(5節)とあります。神は、イスラエルの人々が、自分が当たり前としてきた生活習慣、風習について再考する機会を与えました。それは、イエスがご自分に従おうとする弟子たちに、「~と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います」と、当時よく教えられていたことを批判的に見直すことを教えられたのと同じです。エジプトを脱出し、奴隷から解放された彼らは、新しい人生に踏み出すにあたり、過去の慣わしを引きずるのではなく、また新しく住む土地での風俗・習慣に染まるのでもなく、神に救い出された者として、神に聞き、神のみこころに従って、全く新しい人生を生きるように期待されました。
確かに、神を信じて生きるということは、これまでの生活にただ毎週礼拝に通うという宗教儀式を付け加えるようなものではありません。それは、神に親しんで、神のみこころにかなう品性や人格を養い育てつつ、新しい人生を生きることです。それは体裁上よい人となるというのとも違います。純粋に内面の実を結ぶことに他なりません。
2.性風俗への注意(18:6-23)
そこでまず教えられるのが、性風俗の考え方です。一つは近親姦、実母は当然ながら、継母、姉妹、異母姉妹、孫、継孫娘との結婚や性的関係について禁じます。なるほど、聖書は、そういう考え方か、と思いきや、実は、あまり単純に考えてはならないところでもあるのです。というのは後で学びますが、申命記25:5-10には、聖書のこの教えに真向から対立するような教えもあるのです。そこには、子がないままに死んだ男の兄弟ないし近親者は、死んだ人の妻をめとり、その妻に死んだ人の子をもうけさせなければならないとしており、当時レビラート婚と呼ばれた風習を支持することばがあるのです。原則、近親姦が戒められているのは、それが、不妊や異常児の誕生を招き安い遺伝的な危険があること、一時の激情的な結果による性的搾取やそれに伴う家族間の苦悩を防止する意図があったのだと思われますが、事情を考慮する部分もあったわけです。つまりキリスト教の倫理観は、実はそれほど、事の善悪を論じるような単純なものではない、ということです。次に取り上げられているのは同性愛(22節)です。今日LGBTQ(性的マイノリティ)に対するキリスト教の神学的な立場は、少なくとも四つあります。そのような人々に全く否定的な立場(Rejecting-punitive)から、その中間の受容的な二つの立場(Rejective-nonpunitiveとQualified acceptance)、そして全面的に受け入れる立場(Full acceptance)があります。中間の受容的な二つの立場の違いは、前者(Rejective-nonpunitive)は、そのような性的指向を後天的と考えるもの、後者(Qualified acceptance)は、先天的と考えるものの違いかなと私は理解しています。ともあれここでは、単純に「あなたは女と寝るように、男と寝てはならない」と戒められています。大切なのは、こうした性風俗というのは、15章でも見たように、最も人間的、地上的な部分である、ということです。そして、性風俗については色々な考え方があり、行動がある、けれども、教えの中心は、どれがよくて悪くてということよりも、神の民として生きようとするなら、救ってくださった神のみこころに聞き、それを大事にしなさい、ということでしょう。人はどんな考え方を持つ人であれ尊重し、大事にしなくてはならないことは、言うまでもないことです。
3.原則の確認(18:24-30)
つまり著者が繰り返すのは、「あなたがたは、わたしの掟とわたしの定めを守らなければならない」(26節)「あなたがたは、わたしへの務めを果たしなさい」(30節)です。要するに、助けていただいた神に恩義を果たすことが、ポイントなのです。キリスト教信仰を持つことは、色々な宗教がある中で、キリスト教がよいなあと思い、選んでそうなったというよりも、滅びの穴の中でもがき苦しんでいたところを一方的に救ってもらった、助けてもらったということが基本なのです。ですから自分の人生は、救ってくださった方のものであり、どうぞ色々と教えてください、教えてくださったとおりに生きます、ということです。世の中どんな価値観があってもよいはず、キリスト者は、事の善悪を論じる者ではなく、ただ救ってくださった方のことばに不器用に従う、義理堅い存在なのかもしれません。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。やぎは当時肉は食用、乳は飲用、毛は荒布や天幕の素材とされましたが、皮はどのように使われたでしょうか?答えは、衣や、皮袋でした。皮は、衣(へブル11:37)、また丸はぎにして皮袋を作り、水やぶどう酒を入れて運ぶのに用いられました(創世記21:14)。では、今日の聖書クイズを一つ。新約聖書の時代、近親姦の問題で教会がパウロの指導を必要としたのは、どこの教会であったでしょうか?答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>
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