民数記8章

8章 レビ人の任職に関すること
1.大祭司アロンの務め、神の御前に民の祝福を祈る(8:1-4)
8章の最初の数節は、大祭司アロンが、聖所に入って、朝晩すべきことを定めています。彼は朝毎に、また夕毎に、幕屋の中庭にある祭壇と会見の天幕の中にある燭台に、火を燃やし続けていなくてはなりませんでした。また会見の天幕の中にある燭台については、そのともしび皿の火は、燭台の前方を照らすようにしなくてはなりませんでした。その意味は何か。考えてみると、燭台の前には12個のパンが積み重ねられている机があります。それを照らすように、というのですから、それは、天来の食物をもって養われる神を指し示す意図があったと言えるでしょう。神の臨在と祝福の確かさを、24時間目に見える形で示し続けるというわけです。
今日、教会にそのような象徴的なディスプレイがあるかどうか、考えたいところです。教会は、世界の希望です。しかしそれは、朝毎に、また夕毎に、24時間絶えず、天来の恵みをもって人々に向かわれる神を指し示しているのか、そのような何かを持っているのか、考えたいところです。
2.レビ人の任職の定めと任職(8:5-22)
さて、レビ人についてはすでに3、4章にその人数と職務が明確に語られていました。そして7章では彼らの自発的なささげ物によって道具が与えられ、さらにこの8章では、いよいよ彼らがその役割につくための儀式、任職式が行われたことが記録されています。神は、レビ人を召しだしましたが、彼らはイスラエル人の初子の代わり、つまりイスラエルを代表して主に仕えるように任命された部族です。そこで考えてみたいのです。様々な事情で、教会で奉仕をする機会が得にくいという人もおられるでしょう。そこで、自分は教会の中では何にもしていない、役立たずと考えたり、なんとも後ろめたい気持ちを持ったりすることがあるかもしれません。しかし、教会で奉仕している一人一人は、本来私たちの奉仕でもあるのだ、と考えることも大切です。教会で奉仕している人々の働きは、私たちと無関係なものではありません。むしろ、自分の体は、物理的に教会にあるわけではないが、私の思いは彼らと共にあって奉仕しているという意識です。そうすれば、奉仕している人々に対する祈りというものが自然に出てくるものではないでしょうか。そして祈りにおいて、彼らの働きを熱心に支えることの重要さにも気づかされるのです。祈ることは、いつでも、どこでも、心の中ですら、繰り返しできることです。そのようにして奉仕に参加し、心を教会に傾けて祈るならば、それは目には見えない働きとなるかもしれませんが、決して奉仕をしていないと卑下することはないのです。またそのように祈られている働きであるならば、教会への関心も高まり、奉仕者と共に祈りの実を確認し、喜びを分かち合うことも起こってくるはずなのです。
さて任職式についてですが、教会において働き人を任命する場合に重要なのは、聖別です。聖別は、「罪のきよめの水を彼らに振りかける」(7節)とあるように、きよめられること、つまり上からの聖霊の働きにより、聖なる務めにふさわしく整えられることが大事です。そのために次に、「全身にかみそりを当て、その衣服を洗い、身をきよめる」(7節)とあるように、自ら肉や汚れを取り除く決意をなし、あらゆる汚れを実際に脱ぎ捨てていく応答も大事なわけです。神の務めは聖なる務めです。自分はそのような務めにはふさわしくないと思わされたとしても、神が任命してくださったのだから、一層謙虚に示された罪を脱ぎ捨てて、任に当たるにふさわしく努力すればよい、ということになります。
ただこのきよめにおいて大事なのは、「若い雄牛と油をまぜた小麦粉の穀物のささげ物を取る。あなたはまた別の若い雄牛を罪のきよめのささげ物として取る」(8節)とあるように、私たちを聖なる奉仕にまことに相応しくするのは、私たちが自らを聖別する行為よりも、キリストの犠牲を覚えることにあるという考えが大事です。キリストの十字架が、私たちの罪を赦し、きよめ、神に近づけるのです。ですから、キリストの十字架にしっかりと立ち、肉なるものは何もよい物を生み出さぬことを認め、悔い改め、キリストの赦しと恵みに立つ祈りの時を持つのです。自らが救われた罪人と認め、遜って神の聖霊の働きを願う、その心が明確でない限り、本当に神の目に価値ある奉仕はできないことでしょう。
3.レビ人の任職期間(8:23-26)
さて、レビ人が幕屋で奉仕をするのは、25-50歳までであるとされています(23-26)。4章には奉仕の開始は30歳であるとされていました。25-30歳までは、見習い期間だった、という説もあります。また、50歳以上の者は補佐的な奉仕をすることは許されましたが原則引退です。自然の理にかなったことと言えます。いつまでもやれる、というのではなく、神が定めた引き際を、忘れてはならないということでしょう。人間としての限界を覚えながら、謙虚に奉仕に与らせていただきたいところです。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。イスラエルの重さの単位として使われたもので、最小のものは何であったでしょうか?①ゲラ、②ベカ、③シェケル、答えは、①ゲラです。ゲラは約0.57グラム、ベカは、約5.7グラム、つまりゲラの10倍です。シェケル(通俗のシェケル)は、ゲラの20倍、ベカの2倍、約11.4グラムになります。では今日の聖書クイズを一つ。レビ人の仕事の退職年齢は、何歳とされていたでしょうか。答えはまた明日。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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