士師記8章 あなたがたに比べて、私が何をしたというのですか

士師8章 ヨルダン川東岸での戦い(8:4‐35)

1.争わぬ知恵

「ぶどうの踏み場で小麦を打っていた(6:11)」ギデオンは、今や、そんな過去を微塵にも感じさせない勇士になっていました。まさに、神のみことばのとおり、彼は「力ある勇士よ」(6:12)と呼ばれるような人物になっていたのです。そして、ギデオンは物事に柔軟に対処しました。先の戦いに参列できず、そのことで激しい抗議をしてきたエフライム人に対する態度に注目しましょう。ギデオンは彼らの自尊心を傷つけぬように、彼らの貢献に比べると自分たちの貢献など取るに足りないと答え、怒りと不満を巧みに処理しているのです。もし、ギデオンがエフライム人の自尊心や嫉妬心を読むことのできない、鈍感な人間であったのなら、起こす必要のない衝突が生じていたことでしょう。しかしギデオンは、自分の手柄にまさる相手の手柄をほめて、エフライム人の怒りを和らげるのです。まさに、「柔らかな答えは憤りを静める」と言うべきでしょう。

2.戦う勘所

衝突を旨くかわしたギデオンは、さらに三百人の兵士たちと一緒に追撃を続けていますが、その途上、自分たちに兵站協力を惜しんだスコテとペヌエルの人々には手厳しい処罰を下しています。スコテはガド族の割当の地です。彼らは、デボラとバラクの戦いの時にも協力しませんでした(5:15-17)。この戦いに勝算を見込めなかったためかもしれません。確かに、ギデオンは勝利を収めてはいましたが、ミディアン人の王ゼバフとツァルムナは逃走を続けていました。彼らが逃げ切って体制を整え、再び反撃してくる可能性もあったのです。結局事の成り行きを見守り、意を決しない、日和見的な判断に終始し、この戦いが神から出たものであると信仰をもって受け止め、協力することのないスコテの人々は、部族の結束を破壊するだけであったのです。後に、彼らは、ギデオンの報復により、神が誰と共におられたのかを知ることになるのです。

3.主の支配の中に身を置く

22節以降は、ギデオンの晩年について語るものです。ギデオンは、イスラエル人に世襲制による支配を求められました。しかし彼はそれに応じません。彼は明らかに、主の統治に、イスラエル人が目を向けるべきことを語っています。教会のリーダーシップも同じでしょう。教会の指導者は、神を置いて他にはいません。教会は、単純に世襲的な統治を求めるようであってはならず、いつでも、主が教会の中心であり、主が教会を治められることをしっかり心に留めなくてはならないのです。その点、ギデオンは、自分や自分の子どもを神の座に置き換えるような過ちは犯さなかったわけです。

ただ、ギデオンも人間です。彼の弱さは、別の形で現れました。彼にもまた自分が大事にされることを求める心がなかったわけではないのです。ギデオンは、分捕り物で、エポデを造りました。ギデオンが願った金の耳輪の目方は金で1,700シェケル、約18,000グラム、18から34キロの重さです。エポデは、大祭司の装束の一部であって、胸当てのようなものであったり、占いの道具であったり、様々な形で使われるものです。彼は、それを自分が神に従って勝利したことの記念としたかったようです。しかしそれは後の偶像崇拝の罠となりました。罪人にとって信仰の純粋性に生きることは難しいことだな、と思わされるところです。そうであればこそ、「主にあって受けた務めを、注意してよく果たす」(コロサイ4:17)ことが大切なのでしょう。では今日もよき一日となるように祈ります。

 

<クイズコーナー>

最初に、昨日のクイズです。小ヘルモン山と呼ばれるモレの丘は、標高約500メートル、では、イスラエルで最も高いと言われるヘルモン山は、標高何メートルでしょうか?①2800メートル、②3700メートル、③4600メートル。答えは①2800メートルでした。では、今日の聖書クイズを一つ、イシュマエル人は、アブラハムと誰の間に生まれた子に起源を発しているでしょうか?答えはまた明日、では、今日もよき一日となるように祈ります。

 

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