士師記18章 安心して行きなさい

18章 ダン族の横暴

1.正義無き力の世界

18章は、ダン部族について、彼らは相続地を求めていた、と言います。というのも彼らは、割当の地を与えられていたにもかかわらず、それを自分たちのものにすることができずにいたのです。サムソンもダン部族の一人であったとされますが、この時代ペリシテの勢いが強く、ダン部族は、狭い相続地の中で本来の居場所である低地から丘陵地帯に追いやられていました。彼らが、本来の相続地とは別にはるか160キロも離れて北方の領地を所有していたのは、そのような理由があったからです。彼らは新天新地を求めていました。

そんなある日、彼らはミカの家に立ち寄ります。彼らは祭司がいるのに気付き、自分たちの仲間となるように話を持ち掛けています。するとこの祭司、「心をはずませて」ついて行き、雇われ祭司であったのに、神殿にあった祭儀の道具までも持ち去ったのです。なんともとんでもない食わせ物の祭司です。ミカは、これらを取り戻そうと追いかけるのですが、力の差を悟るや否や、空しく家に戻っていきます。そしてダン族は、「平穏で安心しきっている民を襲って、その地を自分たちのものとしました。正義を力で踏みにじり、弱い者を泣き寝入りさせる不条理な世界です。それは、まさに「イスラエルには王がなかった」(1節)という、王が待望される時代のお話でした。

2.ヘブル語本文上の問題

ところで30節、ミカのもとにいた祭司はモーセの子孫であったとされます。しかし脚注にあるように、ヘブル語本文では、「モーセ」を「マナセ」と読み替える別の読みがあります。このいかさま祭司がモーセの子孫であるというのは、いかにも不都合だ、というので書き変えられたと推測する者もいます。しかし実際、モーセの子ゲルショムの子については、聖書は長男シェブエルの名を記すに留めています。ヨナタンという子はいないので、やはり「モーセ」ではなく「マナセ」なのでしょうが、確かなところはわかりません。

また、「その地の捕囚の日まで」というのは、いつのことなのか。アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルがその住民をアッシリヤへ捕え移したBC733年の時という可能性を考える者もいます。しかし続いて「神の宮がシロにあった間中」とあります。シロが礼拝の中心となっていたのは、エリとサムエルの時代です。サウルの時代になるとそれは、ノブに移されました。そしてダビデの時代にはギブオン、ソロモンの時代にはエルサレム、王国が分裂したヤロブアムの時代には、ベテルとダンがその中心地でした。ですから「捕囚の日」を北イスラエルの捕囚(BC733)と理解するなら、つまり士師記の執筆年代をかなり後代のものと考えるなら、ダン人たちは、サウル、ダビデ、ソロモンの時代の政策とは関わりなく、自分たちの祭儀を独自に守っていたことにもなります。厳密に読んでいくと、ヘブル語本文の矛盾が気にならないわけではありません。しかし、細部に拘ることよりも、まず、このエピソードが伝えている中心的なメッセージを捉えることが大事なのでしょう。

3.エピソードが伝えるメッセージ

つまりこのエピソードは、まさに異常に乱れた当時の社会の状況を描くものです。正義によって国を治める王はおらず、神を恐れないいかさま祭司のもとで、めいめいが自分の目に良しと見える生き方をしていたというわけです。それは「地にあるもので欠けているものは何もない(10節)」毎日であっても、神が天から与えられようとしているものを、何も得ようとしない時代です。ただ人間の欲が蔓延し、力ある者がさらにその勢いを増し、力無き者が落ちこぼれていく時代です。ただ地上にある祝福だけが目的とされ、天上の祝福が忘れ去られた時代です。しかし、現代も同じかもしれません。

使徒パウロは「天にある全ての霊的祝福」(エペソ1:3)が人に注がれていることを語っていますが、天上の祝福の光がはっきりと照らされる、今の時代に求められることと言えるでしょう。では今日もよき一日となるように祈ります。

 

<クイズコーナー>

最初に、昨日のクイズです。旧約時代、銀は、どこからパレスチナに運ばれていたでしょうか?答えはタルシシュです。(エレミヤ10:9には、「銀箔はタルシシュから、金はウファズから運ばれる。」とあります。では、今日の聖書クイズを一つ、エリとサムエルの時代、礼拝の中心はどこにあったでしょうか?答えはまた明日、では、今日もよき一日となるように祈ります。

 

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