人生💯倍の祝福😊 サムエル記第一1章 安心して行きなさい

サムエル記第一1章 ハンナの祈り

1.士師記からサムエル記へ

ヨシュアの死後、約200年にわたって、士師と呼ばれる、カリスマ的なリーダーによって、それぞれ12の部族が統治される時代がいた続きました。モーセ、ヨシュアの時代、イスラエルは一つにまとまっていましたが、士師の時代には、ばらばらでした。しかし、そのイスラエルがもう一度一つの王国にまとめられようとするのです。そのような意味で、ヘブル語のもともとの聖書では、士師記に1サムエル記が続くのだ、と理解できますが、キリスト教の聖書ではそうではありません。士師記と1サムエル記の間にルツ記が来るのです。その意味は、おそらく、統一王国時代について語る前に、王国を築いたダビデが、ユダヤ人の王として生まれた方、キリストの先祖であることをあらかじめ示す意図があったのだと思われます。つまり、私たちはただイスラエルの歴史を読んでいるわけではなく、神の救いのご計画の歴史を読み進めている、ということなのです。

2.サムエル記の始まり、小さな家族の物語

ともあれ、サムエル記は、一人の女の祈りのエピソードから始まっています。しかもその祈りは極めて個人的なこと、国家のため、隣人のため、というよりは、自分が身ごもって、不妊の女と呼ばれる恥が雪がれることです。この女がいかに、この問題で苦しんでいたか、一つのエピソードが加えられています。4節、神にいけにえを献げた後、夫得るかなは、二人の妻にその分け前を分けた、とあります。神へのささげ物の種類によっては、それを献げる者たちで分け合うものがあったのです。そしてエルカナは、ペニンナには子どもの分も、しかし不妊の女ハンナには、ハンナの分だけを与えたわけです。その分け前ではしゃぐ子どもの声は、ペニンナがあからさまに意地悪をせずとも、ハンナに孤独を思い知らせるに十分なものであったことでしょう。そんなハンナの気持ちを察して、エルカナは5節、特別の分け前を与えていた、と言います。しかしそのような余計な気遣いが、返ってハンナに惨めな思いを倍増させていたようです。ハンナは泣いて、食事もとろうとしなかったのです。しかしこの女性、究極の問題解決方法を知る女でした。彼女は、立ち上がって、祈りの家、神殿へ出かけるのです。

3.ハンナの祈り

当時、神殿は、シロにありました。ヨルダン川の西側、ベテルの北北東およそ14キロで、1926-29年、デンマークの発掘隊が調査した現在のセイルーンの遺跡がその場と考えられていますが、未だにその証拠も痕跡も発見されてはいません。

ともあれ、彼女はそこで一心不乱に祈るのです。その切実さの故に、彼女は、この祈りが聞かれるなら、それは神の恵みに間違いはないのだから、与えられた子を神におささげする、ことを誓います。そんな彼女を見つけ、見守っていた祭司エリは、初めハンナが、酔っているのではないかと誤解しましたが、事情を理解し、「安心して行きなさい」とハンナを励ましています。大事なことは、祈り終わったハンナの顔はもはや以前のようではなかったと記録されるところです(1:18)。ハンナは、祈りの中で、確かに究極的な解決を得ているのです。置かれた状況は何一つ変わっていないのに、彼女の心は安らかにされ、神が、すべてをよきにしてくださる確信に至っているのです。信仰を持つというのは、まさにそういうことでしょう(へブル11:1)。全く不幸としか思えない状況の中にあっても、静かに神に期待し、神のなさることを待ち望むことができるようになるのです。

4.ハンナの物語が教えること

ルツの物語に続いて、ハンナの物語は、これまでのモーセやヨシュアの物語に比べれば、完全に小さな片隅のお話です。しかし、神はそのような下々のことをも心に留めてくださるお方です。となれば、「どうせ私など」といういじけた気持ちは、そのまま素直に神にさらけ出して、「こんな私ではあるが、主の助けが欲しい」と祈るべきでしょう。

また、自分が苦しいところから逃れられることを祈るだけであるなら、ハンナの祈りを手本とするまでもありません。ハンナは祈りの実を主に献げています。初めに誓願した通り、乳離れ(三歳頃)した子を、主の宮に仕える者となるよう、祭司エリの教育に委ねています。つまり、彼女の祈りは、自己実現に終わらず、自分の祈りに対する神の答えを認め、神の恵みに応答していくものでした。祈って聞かれたよかった、ピリオドではなく、神に祈って聞かれたとするなら、その神の恵みを認め、恩義を忘れず、神にお返しする心を持って生きることが大切でしょう。では今日もよき一日となるように祈ります。

 

<クイズコーナー>

最初に、昨日のクイズです。旧約時代、町の門の内側のすぐ側には、何が設けられていたでしょうか?①広場、②神殿、③王宮、答えは①広場でした。通常、町の門の近くにはやぐらが設けられ(2歴代26:9)、見張りが置かれ(2サムエル1:24、26)ましたが、その内側には広場が設けられ、商売が行われ、雑談などの個人的な交わりのみならず公的な相談や会議、裁判なども行われました(申命記21:19など)。では、今日の聖書クイズを一つ、

サムエル記は、元々のヘブル語聖書では、どのような構成になっていたでしょうか?①1サムエル記と2サムエル記が一つにまとめられていた。②現在の聖書のように二つに分かれていた。答えはまた明日、では、今日もよき一日となるように祈ります。

 

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