出エジプト記32章

1.イスラエルの罪と金の子牛(32:1-6)
モーセが山にのぼったまま、40日が経過した。彼らは、自分たちの先行きを心配し、不安を抱いていた。そこには昼は雲の柱、夜は火の柱があったはずであるが、民にはそれが支えとはならなかったのは不思議である。シナイ山に付随する自然現象と思われるようになったのかもしれない。ともあれ、彼らは神の時を待つことができなかった。そして具体的に目に見える作り物の神を求め始めた。本来はここでアロンがモーセに代わって指導すべきところであったが、アロンも民に求められるままに、金の装身具でもって鋳物の子牛を形作り、これを神の象徴として礼拝することを許してしまう。アロンは「これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」(4節)と語り、指導者として方向性を示しているようであるが、実際にはただ民の声に振り回されているだけである。民の圧力に、大きな声に押されて、民の求めるままに行動する、理念のない指導者そのものである。
山から降りたモーセが耳にしたのは、「勝利の叫び」でも「敗北の嘆き」でもなく、歌を歌う声であった。彼らは、鋳物の子牛を礼拝し、飲み食いし戯れていたのである。それは甚だしい背教であった。彼らは土着のバアル礼拝とまことの神への礼拝を混交したのであるとも言われるが、明らかに、霊であり唯一まことの神への礼拝に対する反逆であった。神は激しく怒りを発せられる。神はモーセに、彼らを断ち滅ぼすが、あなたは大いなる国民とされる、と仰せられた(10節)。
2.モーセのとりなし(32:7-35)
注目しよう。これは明らかに指導者モーセにとっての誘惑である。モーセは、もはや、不平不満に満ちた煩わしい限りのイスラエルの民を切り捨て、さらにこれから前途多難な職務を投げ出して、自分と自分の子孫が祝福されることを願うこともできたのである。しかし、モーセは、理解していた。民自身が、そういう切り捨ての気持ちを持っていたからこそ、こんな結果になったことを。安易な解決は堕落への近道である。
むしろモーセは、主に立てられた牧者として、間違うことのない働きに徹した。彼は、忍耐をもってとりなし手として立つのである。民は神の所有であり(11節)、民への災いが結果的に神の栄光を傷つけるものであること、そして、先祖に与えられた契約は永遠である(13節)、とモーセは神にとりなしている。モーセは、民の罪を冷ややかに査定してはいない。モーセは罪を贖うことを考えていた。それは十字架に向かうイエスを思い浮かばせるものだ。そしてイエスと同様に、モーセは自らのいのちをかけてそれをしようとした。モーセは民を裁いたが、自らも醜聞をさらした民と共に死ぬ覚悟でいた。モーセは人を愛したのである。そこにモーセの人柄も表れている。人間は神に代わりうるものではない。人が人を裁く時には、自らの弱さを覚えながら裁かなくてはならない。裁くべき事柄にいくばくかでも自分が関わっているのであれば、自らの責任もやはり問われなくてはならないだろう。
モーセは言った。「あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください」(32節)。アロンもまさにそうではあったが、世の中では、責任を負うことをしない指導者、煩わしいことは切り捨てて始末しようとする指導者は多い。モーセのようでありたいとは思いながらも、自分の身の可愛さになかなかそうはなれないものなのだろう。
モーセは山に登り、主の前にひれ伏し、民の罪を告白して、民が許されるならいのちの書から自分の名が消し去られてもよい、と自分のいのちをひきかえに、とりなしをしていく。そういう人物であればこそ、神はモーセにイスラエルの民を任されたのだと言える。主はモーセの真剣なとりなしと祈りによって、民を救われた。人を愛し、神にとりなし祈る指導者が必要とされている時代である。このようなモーセの姿が語り伝えられている、というのは、私たちに対する主のチャレンジであることに間違いはない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です