民数記1章

<要約>
皆さんおはようございます。今日も、主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。本日から民数記に入ります。民数記は、出エジプト後の荒野の40年間の記録ですが、その初めに、人口調査がなされています。それは、戦力をはかるものでしたが、その数およそ60万人でした。大切なのは、生粋のイスラエル人だけがカウントされたことであり、それはまさに新生したキリスト者を数えるようなものです。私たちも神の側に立ち、神と共に戦うように召されているのです。今日も、皆さんの上に主の平安があるように。

1.民数記について
「民数記」というタイトルは、BC3世紀に翻訳されたギリシャ語訳聖書(70人訳)に由来する。そこでは、ギリシャ語の「アリスモイ」(数字を意味する)が使われており、なぜ、そのように表題が付されたのかと言えば、前半と後半で、二回人口調査がなされているためである。
しかし、ヘブル語の表題は、「ベ・ミドバル」であり「荒野にて」を意味し、まさにそれは、荒野を彷徨うイスラエルの記録という内容を掴んだものになっている。
実際、出エジプト記の最後の章には、「第二年目の第一月、その月の第一日に幕屋は建てられた」(40:17)とある。また民数記の冒頭には、「人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、主はシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せられた」とあり、民数記と出エジプト記の間の空白期間はわずか一ヶ月である。また、この書は、出エジプト後の二年目の第二月(1:1)から第四十年の第十一月(申命1:3)までの記録であり、別名「40年の書」と言われ、荒野での40年間を記録している。そこで、民数記の中には二つの世代が出てくるのであり、一つはエジプトから脱出し、荒野で滅びてしまった世代、もう一つは、荒野で成長し、約束の地カナンに入った新しい世代である。だから1-14章ではその古い世代を、21-36章では新しい世代を、そしてその間の15-20章に、荒野での放浪の時代、いわゆる過渡期の時代が記録されている。
2.民数記の位置づけ 
さて、最初の章において、イスラエルの軍事力を調査する目的として人口調査がなされている。実際の人口は女子ども併せて200万人以上であったとされるが、戦力となる登録人数は、約60万人であった。創世記は神の民に与えられたビジョンの物語であるとすれば、ビジョンを実現するためにしなければならないミッション、いわゆる奴隷状態から解放されて新しい出発を得て、前進し続けることを示すのが出エジプト記である。そしてレビ記は、神の民としてのビジョンをいかに実現するか、神の民らしい実現の仕方、神の民の価値観、物の考え方を示す、今はやりの言い方で言えばバリュー(価値)を示す重要な書である。民数記は、ミッション、ビジョン、バリューに生きた戦士として神の民を描いている。神の民は約束の地を戦い勝ち取る者たちとして描かれており、その最初に戦力が調査されたのである。したがって、レビ記では価値として教えられた律法よりも、歴史的記録に多くの頁が割かれている。
3.人口調査=イスラエルの軍事力
 人口調査の対象となったのは、「氏族ごと、一族ごとに分かれたその家系に属する者」つまり、完全にイスラエル人だとわかる者である。イエス・キリストに対する信仰によって新生し神の民とされた私たちを、神の兵士とカウントするようなものだろう。つまり神の側に立ち、神の民として霊的な戦いを戦い抜く者たちが、神の戦いに召されているのである。地の塩、世の光として生きる覚悟を持った者、いやそのように人生を生き抜くことに、たとえ戦いがあっても、それを良しとする者たちである。
4.神の民と共に勝利する
クリスチャンになったのに、不幸続きである、神様に従って来たのに、何にもよいことがない。ますます苦しくなる、ますます追いつめられる、神様なんてやっぱりいないのだ、ではない。地の塩、世の光として生きることに、戦いはつきものであるし、一々、困難にぶち当たることで驚き怪しんではならない。パウロは、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」(使徒14:22)と語っている。信仰の戦いを戦い抜く歩みが必要なのだ。
信仰の歩みにおいて、世の人々とは異なる価値を大事にし、礼拝を最優先することは基本的なこととして(レビ記)、苦難にしっかり立ち向かって、戦い抜いて行く(民数記)ここが出てこなければ信仰の成熟は達成しえない。神の約束を信じ、神の民として、約束の地を目指して生きる者にとって、お金の使い方にしろ、時間の使い方にしろ、あらゆる面で世の人々とは生き方の違う、戦いを意識させられる部分があるだろう。しかしそれは個の戦いではない。12部族がそれぞれ長を立て、組織されたように、私たちも神の教会に位置付けられ、一つとされている。それぞれに違った部族であり、違った指導者を立てながら、一つのキリストの指揮下に戦う軍隊としてまとめられている。そのことを覚えて、それぞれが所属する地域教会によって支えられながら、その地域教会で主に仕え、霊的な戦いをしっかり戦いぬいていきたいものである。真の信仰者とともに、信仰の戦いを戦いぬく者となろう。

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