申命記5章

申命記5章 授けられた十のことばの振り返り
<要約>
皆さんおはようございます。新しい世代に十のことば(十戒)が繰り返されます。それは、守るべき規則というよりも、愛されるべき神の価値観でありことばです。神に、大きな恵みをいただいた、という事実に立つ者であれば、それがわかることでしょう。神の恵みを覚え、神の十のことばに従う、そのような歩みを今日も導いていただくこととしましょう。今日も主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。主の平安

3)授けられた十のことばの振り返り
(1)契約(5:1-3)
 旧約聖書信仰の中心は、シナイ契約と十のことば(十戒)にある。なぜ、聖書を読むのか、それは私たちを滅びの中から救い出してくださった、神との契約の故である。その契約は、かつての古い世代と交わされたものでありながら、新しい世代においても、またこれから後の世代においても有効である。実際このモーセのことばに耳を傾けたのは、シナイ契約を受け取った世代ではない、その次の世代、いわば新しい世代の人々であった。なのにモーセは強調する。「主はこの契約を私たちの先祖と結ばれたのではなく、今日ここに生きている私たち一人ひとりと結ばれた」(5:3)と。神は十把一絡げにイスラエルの民と契約を交わしたのではなく、イスラエルの民「一人一人」個別に向かい合って、各人の心に向けて語られ、契約を結ばれた。そしてその契約は、幾世代にもわたって、神との個人的な関係で繰り返し受け継がれていくのである。
その契約関係にあって、私たちの新しい生活の規範として、十のことばが与えられている。「聞け、イスラエルよ。今日、私があなたがたの耳に語る掟と定めを。これを学び、守り行いなさい」(申命5:1)その目的ははっきりとしている、救い出された私たちが神の民となるためである。大事なことは、神は、ただ自らのおきてと戒めを押し付けられる方ではないことだ。むしろ、交わされた契約については、自らもその契約を守られる。そこで、私たちが神の命令に従うなら、「あなたがたが生き、幸せになり、あなたがたが所有するその地で、あなたの日々が長く続くようにするためである」(33節)とあるように、神も私たちを幸せにする義務を守られる。ここが押さえられていないと、やはり、神を漠然と信じるだけの人生になってしまう。しかし、漠然と神に期待し、神を信じている者らしく振る舞うだけの人生であってはならない。確かに神が、私たち一人一人と向かい合っておられ、私たちを祝福し、幸せにしてくださる、という深い確信のもとに、その祝福に与りながら、あるいは理解しながら生きていくことだろう。私たち一人一人と関わろうとされておられる神に、自らの心を向けていく、そして自分に対するおきてと定めを聞いていくことが大切なのだ。
(2)十のことば(5:4-21)
6節からは、基本的に出エジプト20:1-17の十のことばの再録である。まず前文が大切で、出エジプトの恵みに基づいて、神の戒めが語られる。先行する恵みがあるために、私たちは戒めに従っていく。神に何かいただけるから、神に幸せにしていただけるから従う、というのではなく、既に大きな恵みをいただいる、という過去の事実に基づいて従っていくのである。パウロも、「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい」(ガラテヤ5:1)と語っている。救いの事実に基づいて、神の戒めを受け入れて生きるのだ。
しかしそうではあっても、やはり私たちの心の中には、神に従いたくない心があったりするものだ。かつてのように全面的に罪を楽しむよりも、ひそかな罪の楽しみの余韻を捨てきれないでいたりする。そのようなものを断ち切ることには勇気を要するものだろう。しかし、神が私たちにどんな深い恵みを現してくださったか、とまず覚えたいところではないか。神がまず私たちに大きな恵みを注いでくださった、だから十のことばがある、と。
そして十のことばは、神の民が大きな二つの義務を持つことを伝えている。神に対する義務と、人に対する義務である。縦の関係と横の関係双方において健康的に従順であることが、求められている。そして神に対する義務ということからすれば、神の主権を認めること、神の権威に従うことであるし、人に対する義務ということにおいては、人のいのち、財産、評判、関係を守ることが教えられている。これら十のことばは、守られるべき規則というよりも、愛し、魂に浸透させるべき、神の価値観であり言葉である。
(3)十のことばへのイスラエルの反応(22-27)
 かつてシナイの山で、神の御声を直接聞いたイスラエルの民は、さらなる神のおきてと定めを、モーセが代わって聞くことを願った。また、神はそれを認め、神がモーセによって伝えられる神の言葉に聞き従うことを願った。それは、「彼らもその子孫も永久に幸せになる」(29節)ため、「所有するその地で、あなたの日々が長く続くようになるため」(33節)である。神は、私たちに新しい生活の指針を示しておられる。古い生活から救い出されて、新しい人生を歩もうとするのなら、まず地道ではあっても、主のみ教えによく耳を傾けることであろう。そして分かったつもりにならず、謙虚に、幸せの人生の秘訣を、教え続けられることである。私たちを救い出してくださった主が、導かれる人生を進んで行きたいものである。

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