ヨシュア記14章

ヨシュア記14章 カレブの相続
<要約>
おはようございます。今日はカレブの信仰に教えられるところです。まさに神以外に頼るところのない人生を歩んできたカレブが、神の約束に信頼し、相続地を自分のものとする戦いに出ていきます。信仰に次ぐ信仰の歩みこそ求められているものでしょう。今日も、主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。主の平安

 カナンの地での相続地の割り当てが進められる。9部族半の部族がまだ相続地を受け取っていなかったからである。彼らは籤でその割り当てを決めた(3節)。彼らはそのような方法に神の導きを見出したのである。ともあれ、東側の相続は簡単に要約され、6節から、ユダ族を初め順番に相続地が決定された経緯が記録されている。
1.カレブの相続地
まず、カレブがその筆頭であった。カレブは、かつてカナンに民が侵入するように、ヨシュアと共にこれを求めた者であった。その様子は、民数記13-14章に詳しい。だがその後は、イスラエルの荒野の歴史の中ですっかり埋もれてしまった人物である。しかし彼は神の約束は変わらず生きており、それが実現し自分たちのものとなるまで、40年間忍耐深く待ち続け、ここでもう一度皆の信仰を引っ張りあげる者として再登場する。
彼は語った。かつて彼と共に上って行った者たちは「民の心をくじいた」と。しかし「私は私の神、主に従い通しました」と。大切なのは、彼がどのように従い通したかである。彼は、モーセを通して語られた神の約束と神の誠実さについて述べている(9、10節)。つまり、神の約束と神の誠実さに彼は守られたのである。信仰は自分で自分を鼓舞して持ち続けるようなものではない。やはり神の約束と神の誠実さにこそ、支えられるものであろう。
そもそも、カレブという名は、「犬」を意味した。あまりよい意味ではない。カレブは、その誕生が望まれない子であったのかもしれない。昔ラケルがひどい陣痛で苦しみ、死に臨んだ際に、生まれた息子に「ベン・オニ」(私の苦しみの子)と名付け、ヤコブがこれを「ベニヤミン」(右手の子)と改名したが、そんな改名すら配慮されなかった子どもだったのかもしれない。そんな人生の中で、カレブは、神に結びついて生きた人だったのであろう。彼は生きていくためには、神を必要とした。ただ神の助けを必要とした。神以外に彼を助ける者はありえなかった。だからただひたすらに神の約束と神の誠実さに期待した。そんな40年間の人生の積み重ねが、かつて、皆が「できない」と語るような時にも、ヨシュアと共に、「できる」と語らせたのだろう。85歳になったカレブは、「今なお、壮健で、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐える」と告白している。85歳は85歳であって、45歳とは異なっている。だからその意味は、85歳の下り坂にあっても、年齢相応に壮健であるということだろう。
つまり、「戦争にも」というのは、若者と同様、自分を取り囲む敵を相手に刀を振るい百人切りが出来るということではなく、むしろ、部族の長として、戦場に赴いて、陣頭指揮を執りうる程度に頭がはっきりとし、自分のこともしっかり自分でできるということであったのではあるまいか。カレブはユダ族にあって、なおも信仰の賜物を働かせ、リーダーとしての責任を果たしたのである。
カレブは語った。「主が約束されたこの山地を与えてください。主が私とともにいてくだされば、追い払うことができるでしょう」(12節)。ヨシュアは、カレブを祝福し、ヘブロンを相続地として与えた。しかしそれは勝ち取って得る相続地である。だから著者は、へブロンがカレブの相続地になったのは、「彼がイスラエルの神、主に従い通したからである」と書き加えている。信仰を持って神に近づき、神に従い通していく、そこに、私たちの祝福がある。信仰は一度限りの行為ではない。信じ続けて、従い通す、これに尽きるのである。

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