2列王記13章

13章 ただ神を求める
<要約>
おはようございます。人には、気持ちが後ろ向きになること、チャレンジする気持ちが失われ、それが大きなハードルのように思われ、臆病丸出しになることがあるものでしょう。しかし、主は、五度、六度打ちなさいと言われることがあります。その五度、六度のチャレンジに、私たちの心が引き上げられるように!今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.分かれたイスラエル、不信仰なエフー
1節「ユダの王アハズヤの子ヨアシュの第23年に、エフーの子エホアハズがサマリヤでイスラエルの王となり」とある。ユダとイスラエルはもともと一つの国であった。その事実を確認する表現なのだろう。それぞれ独自の歴史が築かれていくものの、元々は一つの国であった。そこで、二つの国を一つとして見て、一つにされるビジョンを持ち続けること、それは、主の視点である。まして、元々は一つであった全人類が、再び、神のもとに集められ、永遠の平和を共有するという、創世記に示された壮大なビジョンは、ただ、上から与えられ、信仰による応答によって維持されるものだろう。
というのも、以前、私がNPO法人の代表であり、就学支援による貧困救済を目的とした国際ボランティア活動をしていることを知ったある人が、どんな動機でこれを行っているのか、と尋ねたことがあった。ヒューマニズムですか、布教ですか?それともお金ですか?随分直截な聞き方をする外国人であったが、彼に言わせれば、国際ボランティア活動の純粋なヒューマニズム的動機など、怪しいというわけなのである。確かにそうだろう、だが、ヒューマニズムでも、布教でも、お金でもなく、それが神のご計画された自然な摂理なのである、という考え方もあるだろう。人間は分かれてはいるが、一つとされるべき者たちなのでもある。
2節、「エフーの子エホアハズは、主の目の前に悪を行った」。エホアハズの子ヨアシュもそうである。つまり神の壮大な計画がどうであれ、イスラエルに良い王が立った試しはなかった。これで、神の摂理というべき一つにされるビジョンは実現しうるのか。ダビデはこう語っている「私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない」(詩編103:10)。人間は、基本的に神を信じるよりも、神に対しては不信仰な者であり、敵対的なものである。そして神が示すビジョンには無関心なものだろう。しかし神はそんな人間を見捨てられることはない。そのような人間に対する神のあわれみは大きいのであるし、もし神がご計画を持っていて、それを成し遂げようとするならば、人の手を借りるまでもなく、天地創造の御業を行われたように、自らことばを発して実現しうることだろう。また、神は既に契約を交わしておられるのだからそれは、必ず起こることである。だから、23節「アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のゆえに」(23節)とある。
私たちに関わる重要な契約は、イエスキリストの十字架の契約である。つまり、イエスキリストの十字架の尊い血による契約の故に、私たちは、神がイエスを通して語られたことは、ことごとく受けることができる、と確信できるのである。
2.エリシャの死
さて預言者エリシャが死の病を患っていた。イスラエルの王ヨアシュはエリシャのもとへ行き、これを悲しんだという。神に背を向け続けたヨアシュ王が、なぜエリシャの死を惜しんだのか。「わが父、わが父、イスラエルの戦車と騎兵たち」と、かつてエリシャが、エリヤに向かって叫んだことばと同じことばを叫んでいる。ヨアシュは、神の人エリシャの存在が、イスラエルの戦車と騎兵と同等の存在であると理解していた。ヨアシュはエリシャを心底頼みとしていたのである。しかし、その依存性が、逆に自ら神に向かうことを妨げていたのだろう。確かにこの時代、ユダの国においても、ヨアシュ、アマツヤ、ウジヤに見られた問題も、依存的な信仰の体質が問題であった。
 エリシャは王に弓と矢を取らせた。この物語を読んで、誰もが、最初から言ってくれたら、そうしたのに、と思うところではないか。しかし、神のチャレンジはいつでも与えられている。神はいつでも祝福を、しかも最善の祝福を与えようと私たちに臨んでおられる。問題はその祝福を切望するかである。三度ではなく、五度、六度とうち叩くほどに、神に目を注ぐかである。しかしながら人間の気持ちというのは、萎えるばかりで、その五度、六度ができないことが多々である。その気持ちを神が引き上げてくださるように!
 ある人が死者を葬ろうとしたときに、モアブの略奪隊を見て、あわててその死体をエリシャの墓に投げ入れたという。まったく偶然というべきか、また何の期待もないところに主の奇跡が起きた。実に、神に願い、祈り求めるならば、ましてである。神を天地創造の神として認めるか、私たちをイスラエルの戦車と騎兵としてくださる主を認め、求めていくことが全てである。主に期待し、主のビジョンに歩ませていただこう。

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