2列王記16章

16章 アハズの時代
<要約>
おはようございます。それまで、条件付けで承認されていたユダの王様たちでしたが、アハズに至って、彼の信仰的態度は、全く神のみこころにかなうものではありませんでした。彼は目に見えない神を見ようとせず、もはや、ただ、人間的な社会の力関係の中で生き延びようとするのです。しかしその結果は、ますます惨めなものであったことがわかります。主に頼ることの、可能性と恵みがあることを忘れてはなりません。今日も、あなたが主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.アハズの信仰の特徴:人頼み
 ユダの王アハズの記録である。アハズに対する評価は、これまでの王に対する評価よりも厳しい。著者は、アハズの背教の状況を記録し、「異邦の民の、忌み嫌うべき慣わしをまねて、自分の子どもに火の中を通らせることまでした」(3節)という。これは、ユダ南王国がダビデ王以来の伝統を捨てて、イスラエル北王国の背教に倣った、最初の例であった。 
その頃、北方のアッシリヤはエジプトに近いガザに進軍し、軍事遠征を進めていた。既にアッシリヤの貢納国となっていたイスラエル北王国とアラム王国は、この時反アッシリヤ同盟を結んで反乱を起こしたが、ユダ南王国がこれに参加しなかったために、彼らはユダ南王国を攻撃するのである。その様子は、2歴代誌28章に詳しいが、ユダ南王国は二つの王国によって大きな損害を受けた。彼らの多くの人々はダマスコに捕らえ移され、略奪された。そこでアハズはアッシリヤの王ティグラテ・ピレセルに使者を遣わし、アラムに報復を求めるのである。アッシリヤの王は、アラムの王レツィンを殺し、ダマスコを占領した。しかしそれは、さらに大きな損失を生み出す結果となった。アハズは、結局主の宮と王宮にある金銀と引き換えに、助け出され、また、これまで以上の恭順をアッシリヤに示さなければならなかったのである。
預言者イザヤは、「気をつけて静かにしていなさい。恐れてはなりません」(イザヤ7:4)、と豊かに恵みを施し、すべてを最善に導かれる神に信頼するように警告していたが、アハズに聞く耳はなかった。アハズには、目の前の脅威を、目に見えぬ神の助けによって乗り切る信仰はなかった。アハズの行状を見れば当然のことである。だが、万物の創造者であり、主権者であり、保持者であるまことの神を確かに覚えることができれば、この危機の乗り越え方も違ったことだろう。そして、神に御業を仰ぐことで、自らの人生への結末も違うものを期待することができたはずである。
2.落ちぶれたユダ南王国
 10節、アハズは、アッシリヤの王ティグラト・ピレセルに会うために、ダマスコに行ったとある。この当時の様子は、聖書外資料として碑文に詳しいようだが、貢納国のユダを初め、アンモン、モアブ、エドム、ガザなどの君主とともに、アッシリヤの君主に貢納するため、ダマスコに会合したようである。
さてアハズ王は、そこで見た祭壇の図面と模型を祭司ウリヤに送り神殿の改修を命じている。イスラエルの神に詳細な作り方を示されて造られた、元々あった青銅の祭壇は、脇に備えられ「私が伺いを立てるためのものとする」と王専用の祭壇とされた。しかし実際のところは、それは言い訳程度のものであった。というのも、その他の調度類は、解体され、移動させられて、誰の目にもそれは神殿大改修の印象を与えるものであったが、目的は他の所にあったのである。一説にアハズ王は、イスラエルの神の無力さを嘆き、ダマスコの神を敬う気持ちになったのだ、という者もあるが、実際には、それは、アッシリヤへの貢物を用意するための苦肉の策であったとも考えられている。18節、「アッシリヤの王のために」とある。つまりアッシリヤの王に忠誠を示し、貢物として青銅の装飾品を提供するためである。アハズは、アラムとイスラエルを追い払うために、アッシリヤ王の助けを得たが、その時既に主の宮と王宮の宝物倉にある金銀を贈り物にしていた。だからもはや貢物として提供できるものは、神殿に残っていた青銅の、ただ神のためだけにささげられた装飾品以外になかった、というわけだ。実際、ダマスコの祭壇を参考に造られた祭壇は、石の祭壇であった、と考えられている。
 栄華を極めたソロモンの時代は、実に、イスラエルのいのちである神殿そのものの解体を余儀なくするところまで落ちぶれてしまったのである。そしてユダ南王国と神との離婚は明らかな事実となってしまった。
しかしそれが誤った同盟、誤った援助者を求めた結果であり、代償なのである。人を恐れ、人を頼る悪循環から、私たちは解放される必要がある。主を信頼するように勧める、聖書のことばに心を留めていくこととしよう。

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