1歴代誌27章

27章 神殿建設を支える体制

<要約>

おはようございます。神殿再建、礼拝再建という、当時の社会が抱えた事情を背景に読み解くと、色々と、多くのことを考えさせられる章と言えます。教会形成も同じで、しばしば教会を建て上げる途上には、不協和音が高じることもあるものですが、主キリストの愛に立って福音宣教の前進へと努めてまいりたいところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.これまでの流れと背景

最初の捕囚は、BC722年、アッシリヤのサルゴン2世がイスラエルの首都サマリヤを陥落させた時であり、「サルゴンの年代記」によれば、27,290人がメソポタミヤやメディヤに捕え移されたと言う(2列王17:5-6)。また、二回目は、BC605年、597年、586年と、南王国ユダの首都エルサレムが、バビロンの王ネブカデネザルによって攻略されるまで、三度に分けて行われた捕囚であり、王家一族を初めとする多数の民がバビロンに強制移住させられた(2列25:2-21)。

バビロンを攻略したペルシャの王クロスが、ユダヤ人の帰還を許したのは、アッシリヤ捕囚から185年、最後のバビロン捕囚から49年経った、BC537年である。バビロン捕囚の期間を生き延びた者もいたのだろうが、多くは、かつてのイスラエルを知らない者たちであった。廃墟となり、塵と化したエルサレムの神殿跡地にたたずみ、帰還したユダヤ人は、自分たちの歴史を振り返りながら、エルサレム再建の道筋を探り、悟らなくてはならなかったのである(エズラ3:12)。

2.27章の意義

歴代誌の著者は、ダビデ時代のイスラエルの祭司、レビ人による歌人、門衛の役割と働きを書き起こしてきたが、この27章では非常に世的な事柄に触れている。つまり、国に関係する軍の将校(1-15節)、部族の役人(16-22節)、そして王個人の資産を管理する役人(25-31節)である。

しかしながら、まず1-15節の軍の将校について言えば、彼らは、一個師団24,000人、12師団からなる軍隊を指揮するかのように思われるが、実際に、軍隊の核となったのは、1歴代誌11章に記された3人プラス30人の勇士たちであったと考えられる。そして、28章とのつながりからすれば、彼らは、いわゆる常備軍を指揮するというよりは、月々の税金を集める責任を持ち、神殿建設に貢献するために建てられたと理解すべきところである。しかも、ソロモンの行政は、地理的地域的に全体を掌握するものであったが、ダビデのこの組織は、そこに至る発展途上のものであり、十二人の隊長のうち、6人がユダ族から、2人はエフライム族から、1人はレビ、そして1人がベニヤミン、残りの2人については出所がわからない。つまりダビデの個人的なつながりによる構成であった、ということだ。ただ、そうであれ、ここでわかることは、こうして神殿建設のための資金確保のための体制がソロモンほどではないが、何とか形作られたということであろう。

そして捕囚帰還から帰ってきた民が、この体制を理解することの意義は極めて重要である。彼らもまた、急ごしらえの政治体制で、神殿建設および城壁再建の偉業を成し遂げなくてはならなかったからである。

そのような意味では、教会形成にも似たような部分がある。開拓期が終了し始め教会が成長してくる時に、やはり組織化、秩序化が必要とされるのであるが、それは過渡的な組織であり、ソロモンが作り上げた体制にはまだ至らないままに物事を進めざるを得ないことがある。つまり開拓牧師、いわゆるリーダーシップとの個人的なつながりの色彩の濃い、急ごしらえの秩序体制、組織体制から、徐々に洗練された形に発展していく中で、教会活動は進められなければならないのである。大切なのは、体制の不完全さはあっても、それによって神の御心の実現に皆が一致していかなくてはらないことだ。集めるべきものを集め、提供すべき労力を提供していく。神の奉仕者としての一致した努力がなければ、建つべきものも建たないのである。

23節、24節の解説は、この時点での人口調査の結果が年代記に記録されない理由を示している。それは、ヨアブの怠慢のようでありながら、最終的には神の介入による未終了であることを示している。つまり、神はイスラエルの発展が天の星のような結果になることを確約している。となれば、結果ではなく、結果を出しうる一致した努力にこそ、重きがあるということになるだろう。神殿や礼拝を廃墟から再建しようとするネヘミヤやエズラの努力は、しばしば不協和音によって乱されたが、教会形成においても、教会の構成員がそのような不協和音の震源となるようであってはいけない。むしろ、何事も良き方向で受け止めて、互いに信頼し、愛をもって助け合い、神の御心のなることを願うことが大事なのであって、そのような人員が多い教会であればこそ、神の祝福はいよいよ明らかになるだろう。

3.王の財産を管理する長

25-31節は、王の財産を個人的に管理する長のリストである。二人の宝物倉担当(25節)、農業の役人(26節)、ぶどう酒と油の役人(27-28節)、そして家畜の役人(29-31節)となる。非常に当時の時代を反映した、長の構成であるが、彼らは国全体を管理するよりは、むしろ王の個人的な財産を管理する者たちであった。兵站部門を担う縁の下の力持ち集団は、国家のみならず、ダビデ王個人にも及んだ。重要なことはこれを誰が読んだか、である。単なる歴史好きや読書愛好家に向けて書かれたものではない。捕囚帰還後のエルサレム再建にあたり、様々な配慮されるべきものが配慮されない状況の中にある人々に示唆的に、実践的に書かれたものである。主の聖霊が神殿再建にあたり、考えるべきところを考えるように、教え諭すために書かれたとしたら、これは、単にダビデ王の富の豊かさを語っているものではないことは、わかるだろう。実際ネヘミヤの事業の多くは、貧困救済(ネヘミヤ5:8)や税制改革であったり(ネヘミヤ10:37)、適正な所得の分配(ネヘミヤ13:10-13)であったりした。こうした中で、彼は、指導者の財産の見える化、透明性にも着手していたであろうことは確かである(ネヘミヤ5:4)。つまり、ダビデ王の時代の神の御前における誠実な政治の在り方は、当時の人々の参照とされた、と言えるだろう。

全ての人が、王でも祭司でもなく、長でもない。多くの人は、背後に退いて支える無名の働き人である。だが、崇められるのは、ただ主お一人、と影役者に徹して、力を尽くす奉仕者がおり、そして、物事の透明さが維持され、物事が正しく進められていることが確認できる体制がなくては教会形成も進まないのである。リーダーとして優れた者もいるが、部下として、あるいは奉仕者として優れた者がいる。それらを生かす、透明性のある秩序だった組織化も必要なのである。

最後に32-34節は、王の側近にいて相談役となった重臣のリストである。寝返ったアヒトフェル(2サムエル15:12)、脱落したエブヤタル(1列王1:7)、血の報いを受けたヨアブ(1列王2:28-35)の名がある。彼らも不完全なものであったに違いないが、ダビデ王国を築くには、重要な役割を演じた。人間には、忠誠を貫き通す難しさがある。神の幻の高さを実現する歩みが守られるように、自らの弱さを謙虚に覚えながら歩ませていただきだいところではないだろうか。

 

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